久方ぶりに佐藤泰志『海炭市叙景』より。
「十一時を過ぎると産業道路はめっきり車の数が減った。それに金曜の夜だった。明日の朝なら、暴走族がどこからともなくあらわれて、わがもの顔に産業道路を走り回り、繁華街にもくりだすはずだ。とんでもない奴らだ。いったいあんな真似をして、どこがおもしろいのか」
冒頭のこの一文は、過日上げた『裂けた爪』の晴夫と通底する。
『裂けた爪』
「街をまっぷたつに引き裂くように流れている押切川の橋のひとつを渡り、古新開町のあたりに来ると、晴夫は急に注意力が散漫になってしまった。グリーンプラザと呼ば…
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「ほろ酔い気分で、寛二は北西にむかって車を走らせ、あいつらは真夏の蝉のように湧いてくる、と思った。そうして、自分が寝起きをともにしている職業訓練校の寮生のことを思いだした。彼も寮生のひとりだった。しかし、寮生の中には彼ほどの年齢のものはいない。たいがいは、中学か高校を卒業したばかりで、彼とは四十近くも齢の差があった。専門学校にでも行くつもりで、産業道路の南端にある職業訓練校に集ってきた連中だった。首都にならそんな学校は腐るほどあるが、海炭市にはふたつしかない。職業訓練校は本来、失業者のためにあるのだ。けれどもこの街ではそれもやむを得ないことなのだろう」
海炭市は幕末に開港された街のひとつ。往時は貿易で栄え、今なお北海道の観光地ではあるが、それは他所者が見る姿。地方都市特有の寂寥感が漂っている。
寛二は首都圏で、去年まで働いていた。成田を開港させるにあたり、肉体労働で稼いだ。
「去年一年は、首都の近郊の国際空港作りの飯場で、彼は仲間と毎晩、浴びるほど飲んだ。そこは十何年も前から工事にかかって、いまだに滑走路が一本しかできていなかった。空港を作るのに反対の百姓や彼らを支援する過激派の学生が時々ゲリラをかけてきて、ブルドーザーを丸々焼かれたこともある。
毎日、ひどかった。ブルドーザーで畑を掘り起こすと奴らがやってきては石や火炎瓶を投げる。鉄パイプを振り回して殴りかかってくる。実際、同僚で大火傷を負ったものもいるし、彼もいちど、殺されるかもしれないと思ったこともある。機動隊が催涙弾で追い払うこともあったが、向こうが大量動員をかけた時には凄まじいありさまになった」
「そんなことの繰り返しで一年たったら嫌気がさした、国はだらしがない。ひと握りのあんなわけのわからない連中のために、満足に空港も作れずにいる。本当に、国は情けない。
あいつらは人殺しだ。この国にたてをつく、とんでもない大馬鹿者だ。思い出すだけで胸がむかつく」
寛二は故郷に戻り、今は職業訓練校にいる。
寮長含め、みんな年下である。キレやすい彼を寮の連中は腫れ物を触るようにしている。
訓練校の寮は酒類禁止。が、寛二は飲む。久しぶりに自宅へ帰るのだ。女房を抱き、漁師の友人と明日は終日飲むのだと。
金曜の夜、寛二は産業道路で車を走らせる。工業団地にさしかかる。どこか懐かしい風景だ、どこかで見た景色。ふだん5本は飲むビールを今日は3本。
前を行くスカイラインは、誰もいない道路でもノロノロ運転。焦れた寛二は追い越す。
と、突然車はサイレン鳴らす。覆面パトカーであったのだ。
「なぜ停められたかわかるだろ」と、40代と20代の警官ふたり。20代のが横柄な口調でいった。「免許証出して」。
寛二は免許証を渡す時、小声でいった。「汚い」。
「何が」と20代のほうが言った。
「なあんだ、こいつ、酒を飲んでいるじゃありませんか」。「ああ、飲んでる」と寛二は平然といった。
「あのね、飲んでるって・・・」年配のほうがいった。
「だから飲んでいる」それが悪いか、と彼は思った。
ふたりは目を見交わした。年配の警官が続ける。「飲酒運転だよ」。
「それがどうした、盗んでないぞ」「いやいや、そうじゃなくて。酔っ払い運転なんだよ」。
「だから、俺の金で買ったビールだ」。
自分の金だろうが盗んだビールだろうが、飲酒運転は飲酒運転。法律を知らないのかい、と警官。「馬鹿にするな、知っているさ」。
彼はよほど、去年まであの首都の作りかけの国際空港で働いていた、といおうかと思った。法律どおりに働いていたのだ。
「これは駄目だ」と若いほうがいった。駄目なのはここでしょう、と頭を指して。
「いいか、俺は自分の金で買ったビールを飲んだんだ。それのどこが悪いんだ。え、俺はドロボーじゃないんだ。今でこそ職業訓練校にいるけどな、ガキの頃からよ、自分で働いて、全部自分のものは自分でまかなってきたんだ。誰からも後ろ指さされることはしていない。おまえらみたいに覆面パトカーで追い越させておいて、とっつかまえるような汚いことはしたことがないんだ」
無駄でしょう、木の芽時です、と若いほうが頭から決めつけるようにつぶやいた。木の芽時? いったい何のことだ。
「まずはあんたのいうとおりなんだ。確かに自分の金で買ったビールを飲んでも罪にはならない」
「そうだろ、間違ってはいないだろ」いつだって俺はそうしてきた。確かに酒を飲んで車を運転してはならないことぐらい知ってるつもりだが、しかし、自分の金で買ったビールの場合は別のはずなんだ。それが世の中の筋というものだ。
若いほうは首を振った。「とにかく署に連れて行きましょう、必要なら、病院に連絡した方がいいかもしれませんね」。
寛二は完全に頭に血がのぼってしまった。汚い、汚すぎる。最初から前を行くのがパトカーなら、俺だって追い越しはしなかった。ところがどうだ、あげくの果てに、頭のおかしな男にされかかっている。それもこんな若僧に。寮でだって、俺は一目置かれ、話かけてくる時には、むこうはびくびくものなのだ。
そう思った途端、彼は腕を突き出していた。ただ働いてきた、それだけの人生だ。それをこの若僧は、全部駄目だというのだ。そういっているのと同じだ。
こぶしに鈍い痛みが走り、不意をくって20代の私服があっけなく路上に引っくり返った。寛二は喚いた。自分で何を喚いているのかわからなかったが、声の限りを出していた。
工業団地と反対側にあるアパートやシャッターを降ろした商店から人々が出てきた。40代のほうが腰に組みついて足払いをかけてきた。「暴行、傷害、公務執行妨害!」という言葉が聞こえた。
寛二は暴れ続けた。そうしながら、去年一年こんな光景をずっと見てきたのだ、と気づいた。
そうだった、ずっとだ。なぜ工業団地のあたりが懐かしい光景のように思えたのかも、彼にはわかった。何もかもだ。
「彼は力の続く限り暴れなければならないと思った。畑を掘り返した時の首都近くの空港建設予定地の百姓のようにだ。あの百姓たちは間違ってはいなかったのだ。そう思った」
まっとうな男。曲はシンディーローパーで、Shine。
https://youtu.be/lgbG9CwtjY4
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