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2020年05月31日21:12

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ダービー特集ーその5(ラスト)

結末篇は、こちら↓

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975858158&owner_id=988396

ダービーも終わっちまった。さびしいなあ。
山口瞳だか、(社台グループを作った吉田善哉氏と親しかった)吉川良だかの著作に、「来年のダービーまで生きられるかな。生きのびたいな」みたいな言葉があった。

然り。競馬野郎にとってダービーは、そんな希望であり指標でもある。

吉川良氏の『人生をくれた名馬たち(2)』(毎日コミュニケーションズ)は、ナリタトップロードにヒシアマゾン、エアグルーヴやルドルフ等を通じて人のあれこれを著した逸品。そこに、こんな逸話がある。ウイニングチケットの回。

「ウイニングチケットのことを書き出す前に、まずMさんに会わなければならないと私は思った。会うといってもMさんは、もう4年前に64歳でこの世を去っているので、仏壇に手を合わせるしかないのだが」
「Mさん、覚えているでしょう。あのウイニングチケットが勝ったダービーでを。東京競馬場で、わたしの隣で、あなたは凄い声で、シバタシバタと叫びとおした。わたしはびっくりしましたよ。気が狂ったような叫び声で、それにあなたはそんな叫び声をあげるようなひとではなかったので」

Mさんは私立女子高の先生だった。唯一の趣味が競馬だったが、それを誰にも、奥さんにも隠していた。
彼は吉川氏に「一生のお願いだから、ダービーの日、東京競馬場の指定席を」と頼む。それは柴田政人のアローエクスプレスのことがあったからだ。
1970年、柴田政人騎手はまだ4年目・21歳。自分が乗って新馬戦から3連勝させてきたアローエクスプレスが、皐月賞を前に加賀武見騎手へ乗り替わり。彼は高松三太師の前で悔し泣いた。

「俺、なにも悪くないですよね。ミスなんかしてませんよね」

すると師匠は、そっけなく

「悔しかったらな、政人。加賀武見を超えてみろ」

以来23年、柴田政人騎手はずっとダービーを勝てなかった。Mさんはそんなジョッキーに思いが深く、競馬をやり続けた。だから柴田政人が乗るウイニングチケットのダービーで、東京競馬場で叫び続けたのだ。

◆93年、これが悲願のダービー制覇

https://youtu.be/qWZawVmvfss

吉川氏は、続けてこう記す。
「単勝(360円)を1万円のみ。それだけ買っていたMさんが、『ロッチテスコ』と府中の居酒屋でビールのジョッキをぶつけあったとき言ったのも忘れられない。
ロッチテスコはウイニングチケットの祖母で、柴田政人が乗っていた」

そんな思いをファンも共有する。それがダービーなのである。
本特集「その1」に書いたが、だからダービーは特別なのかもしれない。

ところで馬名・コントレイルは、「飛行機雲」という意味とか。むかしヒコーキグモという、きさらぎ賞を勝った馬もいたけれど。
◆ユーミン ー ひこうき雲

https://youtu.be/SlXL1A7rrxo

空にあこがれて 空を駆けていく
あの子の命は ひこうき雲

飛行機雲は人を乗せ、そして未来へとたなびく。

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