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2020年01月24日23:03

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また追悼

報道によれば、

■96年の年度代表馬サクラローレル死亡
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200124-00000063-dal-horse

余生を送っていた日高で、29歳老衰で。
去年から立て続けに、はあ、ヒシアマゾンとかトップガンとかダンスインザダークとか続々。
ディープやキンカメはずっと後の人だが、彼らも鬼籍に入りましたね。

俺が最も競馬に勤しんで(?)いたのがトップガンの頃。上にはブライアンとローレル、下にはダンスインザダーク。もちょっと下がエルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィークたち。だが、ほぼ同世代。

奴らがバリバリだった90年代後半は、有馬記念でも16〜17万人入っていた。中山だけで。
今の倍ですね、ほとんど。
バブル弾けて数年後。だが慣性の法則だか何だか、さほど不況という感じじゃなかった。いわゆる就職氷河期はその後(00年前後)で、新世紀を迎えどんどん悪くなっていった印象。
ローレルやトップガンの頃には、今のような閉塞感はなかった。

むろんネトウヨ の跋扈も。昔っから変な奴はいるにはいたが、それはあくまでも「変な奴」で、あいつ頭おかしいんじゃね? そんな社会的コンセンサスがあったものだ。今もあるけど、連中が表で、我が物顔で振る舞うことはなかった。
これは不況や閉塞感、そしてインターネットが大きい。

とまれローレル。彼は元々足元に不安があって、3歳(当時は数え表記だから4歳)クラシックには出られず。明け4歳(5歳)の中山金杯をようよう勝ったあと、中山記念を圧勝。
そして春の天皇賞ではブライアン、トップガンと対決。この時もまだ穴評価じゃなかったかなあ。https://youtu.be/k-I54C-ipBc ← 杉本アナも「二強対決」と言ってますね。

実質これで、彼は世に出た形。
秋はオールカマーを叩いて天皇賞へ。ブライアンは居なくなったしトップガンも負かしたし、のぼり馬マーベラスサンデーくらいかな、歯応えありそうなのは。そんな状態。ところが。
■天皇賞(秋)https://youtu.be/yZZs9w43VPo

鞍上・横山ノリ氏、直線でポケットに入れちゃったんですね。脚を余してジ・エンド。
帰ってきたら境勝太郎調教師、本人を目の前に「あーあ、1億損した」。そう言ったとか言わないとか。俺は馬券とったからいいけど。

切歯扼腕したノリちゃん、なので年末のこれ。
■96年有馬記念 https://youtu.be/sq9TmM1-sBE

この時こそ中山に、16万人くらい入ったんじゃないかなあ。俺は阪神にいたけど、もう大変でしたもん。混み混みで。
私はトップガンとヒシアマゾンから行ってました。そして、ローレル君が4角回ったとき「あ”ー、終わった」と確信しました。
一方ノリ氏は汚名挽回、うむ、普通に乗ったら勝てるってば。当時のローレルは。

年が明けて97年。ローレルはぶっつけで春の天皇賞へ。僕のマヤノトップガンは阪神大賞典を叩いて。そしてマーベラスサンデーは大阪杯経由で。
■三強の死闘、敵はローレルただ一人。https://youtu.be/rfrhDSwiCTs

これ、ワタクシ的には史上最高のレースです。未だに。

秋の再戦を誓う三人。ところが、境勝太郎師の後を継いだ小島太、よせばいいのにローレルを、フランスへ持ってった。凱旋門賞狙いで。
だけん、脚元弱いち言いよろうがちゃ!

案の定、脚をやって引退。小島太のばーか。

サクラローレルはそんな好敵手であり、トップガンからしたら「仰ぎ見る存在」でした。彼がいたからこそ三強の名勝負が生まれたのは間違いありません。
ローレル君ありがとう。マーベラスサンデーもマヤノトップガンも、向こうで待ってたよ。
またやろうぜぃ♪
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