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2019年07月19日12:30

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絵画とLGBT、ぴょんた君と聖書

フォト

「ニュートンとホイヘンスが発見した光の構造は、印象派の画家たちに多大な影響を与えた」
(小林秀雄『近代絵画』、的な)

小林さんは例のレンブラント『夜警』を指して言う。肖像画家たるレンブラントが、なぜ夜警を前面に押し出し背景を暗くしたか。これぞ近代の − すなわち憲法でいう「個人が個人として尊重さるる」 − の謂いではないか。

人間は、人として尊重されるんじゃない。「個人」として尊重される。
たとえば昨今のLGBT問題につきネトウヨは言う。

「憲法14条は『結婚は両性の合意のみに基づく』ち書いてあろうが? 同姓で結婚したいとなら憲法を改正してから言えや!」

ふふっ。低能♪

現憲法が想定した仮想敵は「家制度」。すなわち家長のみが子の結婚を許可でける、大日本帝国時代の制度。
それを打破せんと新憲法では14条を明記したのであって、LGBTなんか想定していないんだって。
法理論以前に、彼らはだから文脈を読まれない馬鹿なのだ。

「個人」こそ近代であり基本。たとえば俺でちゃ、国のためにも生きてはいない。あなたも私も、自分のために生きておる。
たまには集団 − 宝塚歌劇団やら家族 − のために生きることもある。でもそれは、自分あってこそ。自分が死んだら、誰のためにも生きることはできない。

これをばレンブラントは『夜警』で表し、小林秀雄は指摘した。

「近代」は、一般に西洋由来とか。西洋の基本はキリスト教だ。
世間とか教会はおき、神と個人との、1対1の関係。福田恒存か誰かが書いていたのは・・・

神 → 個人(たち) の三角形。神のみその頂点に唯一で、底辺に個人たちがいる。
これは、八百万の神とは異なる世界認識。ましてや「交通安全の神」「安産の神」なる”現世利益の神”とは違う。

「モーセ、モーセよ」
「はい、私はここにいます」
「そこは聖なる土地である。履物を脱げ」

(中略)

「私の民をエジプトから救い出せ」
「や、無理だって。どげんしたら良かか分らんし」
「私がお前に、言うべきことを教える」
「そすか。ばってん、あなたのことを何と呼べば?」
「私は、ある。私は『ある』という者である」
「アジすか!」

■映画 十戒 より : https://www.youtube.com/watch?v=lQ5QDVCxdzQ



しかしてモーセは、囚われたイスラエルの人々をエジプトから脱出させます。自動的にユル・ブリナーの皇帝の軍が追っかけてきます。
民はパニックに。焦ります。しかし・・・

https://www.youtube.com/watch?v=j3CANELyPo0

「信仰の薄い人たち。万軍の主たる、神の御業を見よ!」
かっけー。



こげんして神に救われました。
しかし数百年の間、荒野を彷徨ううちに人々は不安を催し、あろうことか、聖書に書いてある「偶像を拝んではならない」を破り、金の子牛の像を拝みます。
で、馬鹿たれどもは。

https://www.youtube.com/watch?v=-YETnMqtlyI


ね? かくも人間は、神を忘るる。偶像にかこつけ、己を神としてしまふ。
ぴょんた君、アーメン言えるもんね♪ 君もまた、唯一絶対なるキリストの子どもだもんねー。
たまには宣教させてくれや。
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