我々の世代には、シムラに「さん」をつける習慣がない。
シムラは当時の小学生の男子の、スーパースターだった。
みんなシムラが大好きだった。
家には「だいじょうぶだぁ太鼓」があったし、
PCエンジンで加トちゃんケンちゃんが遊べる友達が羨ましかったし、
スイカ男が怖すぎてマジ泣きした。
シムラのせいで、自分は「俺たち!ひょうきん族」を1秒たりとも見ていない。
たけしタモリさんまのBIG3の上にいるのが志村けん。
いま考えてみれば、シムラがいなかったら、自分は今の仕事をしていないと思う。
シムラがいたから、回り回って今テレビの仕事をしている。
シムラがいなかったら、おそらく学校の先生にもなれず、塾で非常勤で政治経済でも教えていただろう。
海外メディアがシムラを「日本のロビン・ウィリアムス」と表したが、やはりシムラは「日本のチャップリン」だと思う。(顔はジョン・レノンそっくりだが)
なぜか日本の首相ではなく、台湾の総統から最大の賛辞(正当な評価)を送られた志村けん。
シムラこそ、国民栄誉賞にふさわしい。
ダッフンダ!
アイーン!
なんだチミはってか?
なんだろな?なんでもねえよ!
ひーちゃん
とんでもねえ、あたしゃ神様だよ
だいじょうぶだぁ〜
うえっ うおっ うわっ
そうでぃす!あたすが変なおじさんです
ヒゲダンス
しむらー!うしろー!
真夜中に志村の動画見ながらシムロスで泣いてる。
シムラの笑いは思考を必要としない、人を選ばない笑いだった。
シムラがいじめたのは弱い者ではなく、上司のいかりやだったり、先輩の茶だった。
笑いが「強い者いじめ」のツールだということを再確認させてくれた。
そして、笑いこそがこの世の中で最も素晴らしいものだということを教えてくれた。
俺はシムラとコロナを一緒に語りたくない。
シムラがコロナで死んだことが大事なのではなく、
シムラという日本一のコメディアン(喜劇王)がこの世を去ったことが大事なのだ。
シムラからコロナの怖さを学ぶのはいいが、それよりもシムラから笑いの素晴らしさを学ぶべきだ。
シムラは神じゃ。
いつか東村山で「志村けんの木」に手を合わせ、だっふんだァー饅頭をヤケ食いしたいと思う。
最後に、シムラが国民にどれだけ愛されていたかがとてもよく分かる動画を勝手に添付させていただきます。
(・Д・)ダッフンダ!←だから「心よりお悔やみ申し上げます」みたいに使うな
■新型コロナ闘病の志村けんさんが死去
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=6027301
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