また、小学校時代の嫌な奴について考える。こいつより、出世したやつはたくさんいると思う。自分をいじめたやつもたくさんいる。だけれども、人間の暗い部分で自分を見張ていたのはこいつだろうと思ってしまう。誰かが言う。「アイツは出世しないよ。」と。そ
自分が罵倒されたわけじゃないし、いじめられたわけじゃない。だけれども、惡評が多くてなおかつ先生の寵愛を受けた部分で巨大な闇を感じてしまうのだ。だから、恐ろしいことをしてしまうのではと考えてしまう。
母親が嫁姑ドラマを嫌う理由としては、祖父方の曾祖母がいてその人が祖母をいじめたらしい。写真からも見えるけれども、何やら死神みたいな顔をしている。そのイメージが存在するから母親は現代主義とか進歩という物差しの渇望があるみたいだ。自分にはそんな
家では嫁姑ドラマが一種のタブーだ。他にもタブーが存在するけれども、このタブーは怖い。嫁姑ドラマ内容以上に。母親が好きで思い込むハッピーな世界のほうが怖い。と感じてしまう。
母に言われた、これからの将来なんにも考えられない、あなたが怖いと。そこまで生むんじゃなかったって言うならば、自分は先に死んだほうがいいって感じる。お前なんて自殺しろとも言われたし。
母親に怒られる。気が利かないと言われた。母親はいつも怒りのセンサーがついていて、いつもダメ人間な自分を起こりたくてしょうがないようだった。
岩手のテレビ局がものを作って、それが鳥取で流行る。みたいなことを考えたことがあった。インターネットなんだから色々な人が見ている。
あの元ちとせの出現は、オアシスやbulrが出現した時代の日本からの回答だと感じた。それも沖縄方面のアーティスト以上に。
どこでも嫌われるやつに生きる価値が存在するのだろうか。どうもそれがないようにも思える。悲劇の主人公って母親には言われそうだけどもね。
大昔、尾崎豊が急逝して彼に関心を持ったけれども、アクタージュという漫画も、原作者逮捕で興味を持った。どんなエンディングにするのだろうか。
やたらとサンデーモーニングを気にするネットユーザーが多い。それを気にしないでネットできるならば、それでいい。
ここにあるつぶやきでつぶやかなくなってから、気が楽だ。弟が自分を睨んでいるし、その睨まれるのが嫌だからただ流れるままに、ネットの情報を流している。
ネットで知り合つた海外の人が、mixiはガラパゴスというけれども、私はTwitterと組み合わせれば、海外の資料もリークできると思う。
老害は老害かもしれない。でもネットで「老害張本」って煽れば煽るほど、ある程度の人がサンデーモーニングを視聴しちゃう傾向にあるんだよね。昔は新メディアができると、それが驅逐していく場合が多かった。でも、ネット時代、テレビへの怒りをぶつけるツー
本当はテレビに代わるインターネットがあるべきなんだ。だけれども、インターネットを連絡にしか使っていない人もいるから、逆にテレビに代わるメディアにならない部分があるのかも。
サンデーモーニングに怒りを上げている人は少なからず存在するようだ。あれは中高年のための企畫だと口を酸っぱくして言っても。あの企画にネットで怒りをぶつける人がいる。嫌なら見るなで済まない部分もある。以前私も大河ドラマの戦国幕末の繰り返しに怒っ