1981年の「おんな太閤記」、1983年の「大河家康」のキャストで言えば強引に当てはめると明智光秀が加藤剛、斎藤利三が西田敏行かなと思っている。今述べた作品でも、三英傑に現代の光を当てた快作見たく言われたんだから、1981~83年頃光秀伝をやったら「裏切
先日までお盆だったので、義実家という言葉が飛び交っている。この手の嫁姑もののドラマやワイドショーの話題は、映るだけで母親に換えられた。母親の考える、現代・民主主義・男女平等みたいな世界からしたらタブーなのだろう。私は逆怨みなんだろうか、母親
何かの時代物の小説か漫画、たしか三国志か戦国時代が舞台の作品だったかも。そのなかで「お前、俺の器の中身にならぬか。俺は器ではあるが、中身がわからない。」その言葉は凄く好きだ。そんなふうに振る舞わなければいけない状況もあるのに、器の中身を選ぶ
大河ドラマは戰國と幕末の繰り返ちを笑っている人がいるのでは。嗤われるならば古代史や近現代史もって考えたことがあるぜ。
大河ドラマは好きだけれども、戦国時代は飽きたと思っている人はいると思う。いだてんを切って次の明智光秀を煽っているけれども戦国時代好きを必要以上に味方につけているようで怖い。
私の住む地元の港南区は昔農村、今住宅地みたいな場所である。そんな場所が、多少誇張も含めて、郷土の歴史を説いている。沖縄や西日本からも人が着ているのにそういうことを言うのに、なぜ下町は北の玄関口という「家社会」の掟にこだわるのだろうか。街の真
バマコってマリの首都だっけと呆けてみる。私も政治信条はあるが、何もいいたくないのだ。webによっては左右双方の言い分を載せている。
あえて言うけれども、自分はどこにも与したくないという気持ちのほうが強い。気にし過ぎると、強い嵐に見えるから。
私はTwitterを利用して、色々な資料を張っているけれども、中には貼り逃げとも受け取れる行動で、何も言わないで逃げる行動だってあると思う。でなければ好奇心が抑えきれない。私が弟以外にもそういうことを考えている。
母親に怒られた。自分のことを早く死んで欲しいと思っているようだ。お前が思い込んでいる病気を直なければ、お前は病気のままだルーティーンワークにしているようだから、お前は世間を操るあいつに躍らされているんだと言われた。母親の口から言われると「お
昔出入りしていたサイトに「若い人はなるべく左右問わず、政治問題を扱ったサイトに近寄るな。」と言っていたのを思い出す。それと同じで關東人は、ルーツを考えずに關東人としていきよといいたい。私は城東の地方の人が吸収してこだわっているもの以外とも私