先日から、canadaの地方紙のメルマガを取っている。ノバスコシアという場所なんだけれども、北米らしく、mlbの報道も載せられてやってくる。でも、所謂mlbで世界最強みたいな人の話題が多くて、日本人選手の話題はない。野球報道の歪さは怖い。多分北米の田舎
毒親という言葉の背景は、親に怒られて親より先に死んでも大丈夫だろうという關係に、共感する人が昔より増えたからでは。
母親に、「お前は私が言ったことを守らない何度も何度も間違いを犯しているね。」と言われる。守らなければいけないけれども、そうやって守らないことによるペナルティーが課せられている悲しさがある。守つたとしてもまた母親は怒りの材料を見つけてくる。や
ポラロイドカメラという技術が子供の頃、羨ましかった。すぐ写真が現像されて出てくるので。だけれども、デジカメ、スマホ、タブレットなど、ポラロイドカメラみたいに瞬時に画像が映し出されるものが出てから、普通に受け止めていて、ありがた味がなくなって
ここにも、Tumblrにも、母親に怒られたことを何回も書いている。私みたいに何回も怒られている人は何人もいるけれども、私は母親に怒られると、どん底に落とされた気持ちと、世界で存在してはいけないという気持ちがこみ上げてくる。母親には「お前なんて存在
やはり、社交的で広い世界を見ている弟に強いコンプレックスを抱いているようだ。「俺は強い」って見せていてその世界にかなわないし、色々な意味で幸せを一人占めにして、自分はその世界に勝てないとずっと思っている。
長渕剛が、「友達がいなくなっちゃった」って歌っていたけれども、一人の友だちに、別れを告げられた。彼とは自分も一方通行で、自分の薄っぺらい感じが浮き彫りにされる人だった。でも、寂しくない別れなんだよ。
弟の友達は、母親にとっては歓迎されざる存在で、私が羨ましがっているほどでなない。母親がよく「こんな向上心のない友人とは縁を切れ。」と言っているのを耳にした。しかし、弟はそう言われてしまうと、いわば自らの家族としての存在である大親友を手放すわ
私は以前母親について「当時の欧米の日本の流行の比較、そして、日本のサブカルの向上」という側面でしたものを語らない頭が固い年寄りだと言った。それに対して、そういう風に考えるのはインテリだからとか私の親は東洋も西洋も区別しないで見ているとか言う
自分がしつこく気にしている下町人だけれども、何処まで東北のことを考えているのだろうか。それから、yシャツをアイロンをかけよう。
思いつかないときはそこまで考えなくてもいい。そんな感じがする。私がしばしば、人樣のサイトの過激な話題や新聞社やテレビ局の話題をリークするのは、カモフラージュのためだ。
先日哲学ニュースというまとめサイトになんで山の手に高級住宅街が存在するか という投稿が存在した。 山の手と下町の對立を書きたかったのだろうけれども、どこまで ある一定より下の世代が理解するかと考えてしまった。 現在40代の私は関東の古い地域と言え
しばしば蒲田を「城南の下町」というのは、朝ドラ「梅ちゃん先生」の放映前後のような気がする。2000年代から2010年代の人間にとって城東地方にイメージを占拠されたくないんだろうね。1970年代頃に「城南の下町」という言葉は使えただろうか。当時は城東地方
私が私淑していた人が自分とは合わない主張を始めた。 彼に偏っているよ。言いたいのだけれども 取り卷きが彼をやたらに辯護するので何も言えなくなっている。 しかし、こういう言葉もある。 「取り卷きが大量に存在する一方で彼から離れていった人もそれなり
つぶやきをポータルサイトから拾うようになってからは心が楽だ。弟の壹百の目と壹百の耳が見えない。
母親に怒られると、嵐が始まった。母親の怒つた言葉ばかり考えている。注意されている事よりも母親の怒つた言葉の方が気になってしまう。
自分が私淑している人がなんともめんどくさい人とわかったときは、少し裏切られたような気がしてならない。Twitterは相手の本心がわかるようにも思える。