高校時代、母親にやれやれ言われて、とった英文法。つまらなかった。ここに来る人々も保身で、個々に来ているのではと思うような人ばかりで、なんとも味気なかった。おいら世代では、アメリカは憧れの国ではないのだなと実感。そばのハングル選択のチームのほ
父方の家系は關東の鶴見・川崎・蒲田・大森にゆかりのある方であるが、ある時、今はなき、父方の祖父が「伊達騷動とはいつだったっけ。」という言葉を聞いた。父方の人は母方の鹿児島は言うに不及、東北にもルーツがない。それゆえに出した言葉なのだろう。關
私の知り合いはインテリじゃないけれども、スティーブ・マックィーンのファンだ。他に洋画サイトで欧米の映画しか見ない人が多かった。ねぇ。寺山修司って親は読んだことある?
東北でもなければ関西でもないものがある。それを認めて欲しい。以前、出来杉のことをアニメ界最強の怪物だと考えていたけれども、以外と、彼を憎んでいる人に簡単に追い詰められそおうな気がしてならない。遠巻きに自分を自慢している彼の性格が、かえって自
自分が怒られた時、反省していますかとか、昔あの嵐に余計なことを教えたとか怒られると、自分が卑小な人間に思えてくる。怒っている人に詰め寄られると、自分が自分で思われなくなる。
メールのやり取りをしていた人間に、自分は不正を犯したと言われた。詳しくは話したくないけれども、自分は駄目人間だと言われると、それを全面的に認めてしまいたい部分がある。自分のことを一方的に攻撃した人間を悪く思いたくない。自分が悪いと思いたい。
私は、遠方への移動では飛行機での移動も厭わない生き物である。バスや自動車でもいいだろう。逸れ故に、神奈川県では東海道線沿線・御殿場線沿線という宇宙観が強いと思う。鉄道をあまり使わない人でも、高速を利用してその物差しによって動いている感じがす
タイトルみたいな言葉は、結局、男が気難しいし、友達が表面上作るのが難しい生き物だからかもしれないのだ。
最近、裏切られた。簡単に裏切られた。人に嫌われやすいオーラを自分は発している。弟は軽やかに人に認められている背景を感じざるを得ない。自分が100努力しているのに、弟は1努力して、友情を手にしている。
たとえ好きでも撤退する時期はなんだろうか?たとえ嫌いでも、熱狂的な憎惡に与しない術はないのだろうか。
現在、私定時で帰りますが、ついこの間まで放映されていた枠の後番組、HEAVENだけれども、違和感を私の幼稚園児から小学校中学年ぐらいのイメージて捉え直すと、俗に言うジャンプ黄金期のジャンプ漫画のアニメ版がクール代わりで終了して、番組改編をへた次の
下町は山の手にコンプレックスを抱いている。それって1970年代ぐらいまでの様子だと思う。自分の目の前では全くそれが見えないんだよね。
ジャニー喜多川氏が亡くなったようだが、ジャニーズが無くなっても、ジャニタレの代替でものを過ごしている人の話を聞く。ジャニタレファンは一枚岩じゃなくて、代わりの似たものがあれば、それに心を寄せるタイプの人間もいる。
いつだったか、ググっていて、見つけた言葉がタイトルにある「東北の縄文の匂い」である。この言葉は上方と言われる場所でよく京都に「千年の古都」、大阪に「なにわのど根性」みたいな言葉を使われるみたいに、地域の強烈な特性を表す言葉に感じることがある
私の地元の郷土史家と、下町・上野駅周辺地方の論客の考えている事が余りにも懸離れていて怖い時がある。昔は、下町・上野駅周辺地方が決意するならば、我々も決意するみたいな部分があるんだけれどもね。
今の職場で、麻薬になる植物のポスターが貼ってある。多分警察がクライアントだと思う。区役所にそういうものを貼ってあるのを見て行ると警察もわざと栽培して写真をとっているけれども、それなりに規律が厳しい場所じゃないとこういうポスターは貼れないだろ
ノーコンティニューで倒してやるぜ。平成ライダーであるみたいだけれども、youtubeのパロディでよく見るから、なんだか気になる。
私の周りには「お母さんと喧嘩したんだ。まあ、あの世代はアメリカさまさまみたいな部分があるから映画や音楽といえばアメリカやヨーロッパの映画や音楽しか頭が受け付けないかもよ。」と言う人、「育った世代が違うから、受け付けないものがあるかもよ。」と