意外と男は、頑固で強情な部分がある。ヲタクはヲタク。ヤンキーはヤンキーみたいな。私はそういう、ヲタク・一般人・ヤンキーという物差しに必要以上に徹しすぎる考えに悩む。
關東の歴史を考えると、下町・上野駅周辺地方は、自分たちの街の立ち位置からくる使命を自分たちの物差しに入れたがるくせがある。
「自分の体は自分一人のものだが、弟の体は彼の嫁さんと大量に存在する大親友のために存在する。」私は友情を失った。私のように友達が全く存在しないといってもいい人間には何かがもがれたような感じがしてしまった。自分は苦しみのもとに、自分は存在する。
( 今回の文章は歴史政治の左右は関係ありません。不悪。 )また、人に嫌われた。「お前は本当に人に嫌われるね。」母親によく言われる。ボク自身敵を大量に作ってしまう因子がある。いつもそれで悩む。逆に弟には大親友に好かれるカリスマがあるのだろう。母親
最近、世界史・海外の歴史に興味を持ったのは、浪人時代の暗記本からだった。その後、色々あってインターネットの時代になって、youtubeや個人ブログの片隅で暗記本に記載されたエピソードを語っているとにやりとしてしまう。歴史の授業や受験で歴史が嫌いに
男の友情への無謬性というものが存在するようにもある。私みたいにつまらないし、すぐ裏切られてる人間はいつも苦しい。この言葉を簡単に使わないで。
今になって思うけれども、ボカロを作曲ソフトと認識できるように成ったのは歌い手さんの存在だ。歌い手さんが歌っていて、「こうやって歌える曲が作曲できるんだ。」と感じた。
いいやつばかりじゃないけれども悪い奴ばかりじゃない。最近考える。昔は職場の意地悪女に必要以上に味方が多かった職場があったからだ。
今しがた、母親から横から話しかけられた。ちょうど、嫌な顔をしたのだけれども「こんなんだったら、お前と仲良くする人間は一人もいない。」と言われる。横から話しかける自分に対応しなければいけないのかと思うと自分は人間失格だ。
莫逆之交みたいなことを言うと、母親に怒るための物差しをぶつけられてそれで御仕舞いだけれども、ついつい口にしてしまう。自分は人に裏切られやすいけれども、弟は友情ですごい力をもらっているようにも思える。余談だが、冷蔵庫を変えた。
男は共感力がないと言われる。でも多少は存在している。存在しているから、男でもベルばらを読む人がいるし、女性誌掲載でも、男がよく読んでいる女性向き漫画もあるんだよね。
弟には大量に莫逆の友が存在する。自分の中で彼の鉄の友情は、生きる哲学、父親の存在、そんなものを学んでいるようにも感じる。自分はその弟と大親友たちの莫逆之交を感じてfacebookでは黙らなければならない。
母親に怒られると、追い詰められる気持ちがする。弟に苦言をていされると、彼が大量に確保している大親友たちに囲まれている怖さがある。