また自分が粗相として、母親に怒られた。下品、不様、なんとかという罵倒文句を並べられたあと、怒られるのを感謝しなさいと言われた。でも、怒られる不安、怒られる言葉ばかり考えて自分は、ここでナニクソと頑張ることができない。怒られる辛さばかり考えて
私は優しい母親と違って物事をズケズケ言うタイプだと言って自分の物差しを押し付けるだけ押し付ける。嫌なら出て行けと言われた。母親の言葉は注意されているという気持ちより脅されているという恐怖感しかない。弟は友情に逃げを求めたのだろう。
母親の発言の裏みたいなものを考えてしまって、何とも母親の言うことを信じられない。自分にとって理解できない憧れとか感じてしまう。
今しがたTwitterで、「頑張ることを強調する危うさに気がついたほうがいい。」と言う文言が横行していて、それを必要以上に肯定している。極端に頑張ることか、あるいは、それを極端に揶揄する屈折した文言の2つばかり独り歩きして、お互い分かり合えないまま
私が、 facebook であまり発言しないのは、大親友が大量に存在する弟の存在がある。彼がアニメや特撮が嫌いなので、あえてその話をしない。自分が折れて幸せを独り占めをする弟に会えて合わせてやったほうがいいかなと思うんだ。自分は彼を否定しない。あいつ
いつも下町/上野駅周辺地方の行動に疑問を持っている。「貧しい下町/上野駅周辺地方が東北の人間を守ることは願ったりかなったりだ。」という空気が存在して、それに意義を挟むことは悪いことだという空気が存在する。しかし、特定の地域ばかり受け止めるから