母親に怒られると信じてしまう。母親は怒ると、「私は本音を言っているんだ。」と言う。私は母親の言葉を聞いていると、自分なんてあんたにとっては紙程度のものなんだなと受け取ってしまう。母親は怒りのメッセージを私の怒りの額面通り受け取れと言うけれど
そういえば、ネットが普及する前「衛星テレビによって、情報は隠せない。」と述べた人が存在した。しかし、ネットだったら、どうなのかな。ここではこういうふうにしか言えない。
昔、此処だったかもしれないけれども、こういうことを言われた。「友達が大量にいるのがそんなに幸せですか。」と。それは男性のユーザーだった。私にとって、男性は男の友情というとてつもなく崇高な考えがあると思っていたからだ。私はいつも友達付き合いが
僕が母親に怒られていると「生まれてきてすみません。」という考えがいつも過る。母親が自分の為出来したことを怒っている時、母親が、「お前なんて生むんじゃなかった。」という気持ちがバリバリ感じる。
目が覺めて、色々思う所あり。調子いいときに、snsなどで党になりましょうと言っておきながら、肝心なときは裏切る。いつも自分の前からは人が去っていく。私はこれで苦しむ。
すべてを任せてればイインダヨ!という言葉がある。嫌でも身を委ねて、気持ちが楽になるものがある。遊びは危険なほど楽しいという言葉が存在するぐらいだ。
母親に怒られると、自分が真っ白になり、自分の価値はまったく紙同然だなと思ってしまう。悪いことをしてきたと思うけれども、ますますいけないことをしているようにも感じてしまう。
自分は生きる価値はない。人を噛みちらかし、そして幼稚園の父母会では自分はつるし上げにあった。母親はいつも苦労して、お前なんで生むんじゃなかったと考えたという。自分のせいで母親に苦労した。交通事故で車が飛び出して自分が先に死ねばいいと考えると
以前、facebookで、友人が大量にいて幸せを独り占めにしている弟が、自分の家族は奇妙な家系で、それを癒やしてくれた、長渕剛の歌ということを述べていた。この言葉に、彼が大切にして家族代わりに大切にしている鉄の友情を感じてしまって、怖く感じた。弟に