米沢城は、伊達政宗が生まれた城として知られるが、城主が何人入れ替わったのか?上杉鷹山に至るまでどうしてこうなったかと、呆[とぼ]けて見せる。
世界史的にゴシック・リバイバルという様式があったが、1995年前後の日本では1960-70年代リバイバルが強かった。
お金があって、変わる人がいる。駅ができて変わってしまった地域がある。そのため、その駅ができた地域以外の人が駅がある地域よりも俺は違うと考えてしまう。
いつも自分は事件を起こすダメ人間だと母の辞書の中ではでき上つているらしい。お前なんて死んでしまえ。と聞こえるときがある。母親が自分より先に死んで悲しむなんてありえない。いつも自分は怒られることを何度も繰り返す生きるべきのない人間だ。
輸入文学は資料にしかならないという人がいた。彼にとっては日本文學の精通こそ世界に通づる精神が持てると豪語していた。
タイトルのことを考えると、逆に上野駅周辺のほうが、自分の好きなものや自分の守らなければいけないものに締め付けられたと思う。しかし、この問題はデリケートでタブー以上のタブーだ。
下町と変換して、上野駅とのやりとりでもって考えている自分がいた。あの電車に乗ってやって来た人々に振り回されているのが悲しく感じるんだろうな。
自分がいじめられたのは、当然であり、お前なんて生きるべきではないと母に言われた。自分は生き抜いても地獄を味わうだけ死んだほうがマシだ。と感じてしまう。自分が死んだら母は本当に喜ぶだろうな。生き拔けば、また母親は怒りのカードを抜いてくるだろう