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2020年05月29日05:53

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クルマ0221 極端(CHEETAH)

戦後のクローズド・スポーツカーでは、FR(フロントエンジン・リヤドライブ)でLNSD(ロングノーズ・ショートデッキ)のクルマが大好きです。特にココロときめくクルマとして、前々回はトライアンフGT6、前回は初代フェアレディZ(S30)のことを書きました。どちらも「メチャクチャええわ〜」と思っているのですが、一方で「おいおい、チョッとLNSDが極端とちゃうか?」と思われるチータというクルマもありました。

1960年代、Caroll Hall Shelby (キャロル・シェルビー)のコブラが台頭するアメリカのレース界において、シボレー・コルベットのチューナーだったWilliam Thomas(ウイリアム・トーマス)が送り出したクルマがチータで、1963〜66年に23台作られました。台数に関しては諸説あって確実ではありませんが、50台以下であったことはまず間違いないようです。ですのでコブラ同様に公道走行用として広く市販することを目論んでいましたが、全く実現しませんでした。
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サイドビューを見ていただくと、かなり極端なLNSDであることがわかります。ボンネットの長さは約2m、実に全長の1/2以上あり、最後尾に小さなキャビンがチョコンとしがみついています。トーマスが経営していたシボレー車専門のチューニング・ショップのDon Edmunds(ダン・エドモンド)がデザインしました。
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シャシーはクロモリ(クローム・モリブデン)鋼によるスペース・フレーム構造で、中央にシボレー327型V8OHV
エンジン(5358cc、340馬力)が鎮座していました。これに極端なLNSDのボディ(最初の2台はアルミニウム製、残りはFRP製)を被せていました。

サーキット・デビューとなった1963年のロサンゼルス・タイムズGPで、2号車(ボディをアルミからFRPに換装していました)に乗ったDon Horvath(ダン・ホーヴァス)が予選でクラッシュしています。原因は、エンジンのオーバーヒート(熱気でダンは気を失いかけたとか)と劣悪なハンドリングと言われています。
オーバーヒートはエンジン周辺の空気の流れを改善すること(ボンネットに孔を開けて熱気を逃がすなど)で解決したようですが、ハンドリングの問題はいかんともし難く、以降も関係者を悩ませ続けます。結局、コーナーでのモタツキを挽回するため排気量・出力アップしたV8エンジンを搭載して「直線でタイムを縮める」作戦を採らざるを得なかったと言います。
そこでチューナーのトーマスは元の5.3リットル340馬力の327型V8エンジンを6.2リットル450馬力にスープアップしました。このエンジンが720kgしかない車体に搭載されているのです。直線ではさぞかし速かったことでしょう(最高速データは見つかりませんでした)。

その直線での速さを活かそうと思ったのか、チータをル・マン24時間耐久レースに出場させようというプロジェクトが始動しました。
チータの1号車はシボレーに売却されていたのですが、1963年にトーマス自身が買い戻し1965年のル・マンを目指して「スーパー・チータ」に改造するつもしでした。シボレーにある間に徹底的にテストされて改良すべき点が列挙されていたのです。しかし、シボレー自体がこのプロジェクトから手を引いたためにル・マン参戦は実現しませんでした。
なせシボレーは手を引いたのでしょうか?チータの開発を支援してきたのに。それは、時代はミドシップ・エンジンのレーシングカーに移行しつつあるとして、上層部が支援打ち切りを決めたのです。1964年のことです。
トーマスはしばらくオーダーをこなしていましたが、工房が火事に見舞われた不幸も重なり、チータの生産を辞めざるを得なくなりました。そして最後の1台が1965年9月9日に完成し、テストを経て翌1966年4月に納車されました。

本稿で取り上げるクルマの中には、熱心な愛好家によって別会社が設立されてオリジナルに忠実なレプリカが生産されるモノか多いです。しかし大々的に流通することは稀です。
チータも例外ではなく、製造権が何度も売買され(時には裁判を伴いながら)、数年前まで作られていたようです。その数は4〜50台と思われます。少ない上に仕舞い込まれているのか、市場で流通することはありません。

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