先日の話しであるが、片山杜秀氏の「皇国史観」を読んだのであるが、その時に感じたのが、「皇国史観」という題材は自分が今まで思っていたよりも重要な内容だ、という確信である。
どうしても皇国史観というと前時代というか、戦前の非科学的な歴史観だという先入観が先立ち、興味を持って調べた事も無かった。
実際、この本を手に取った理由も、題材の目新しさ……言葉は識っているが、具体的には説明できないテーマであるため興味を引いた……であった上に、読むまでもないかな、と思い直して一度は書棚に戻している。
戻した上で再度手に取った理由は著者の名前を見て気を変えたというモノで、この人の文章なら面白い研究内容ぢゃあないだろうか、であり、感覚として摘まみ食い程度の認識であった。
だがこの思想が戦前期に於いて大きな影響を与えた……ぶっちゃけて謂えば、226事件に於ける青年将校達の行動様式に小さくない影響があったのではないか、という視角が生まれたのである。
彼らの行動については様々あるが、その声明が存在する。
所謂、決起趣意書である。
これを読んで……事情により現代口語文に翻訳した事があるのだが、この皇国史観の前提を加味した上で改めて読み直すと、文脈の理解に差が出てきたのである。
それで先日から皇国史観に関わりそうな本を探していたのである。
「近代日本の国体論」 昆野伸幸・著
「近代日本と変容する陽明学」 山村奨・著
の二冊を買ってきた。
ぶっちゃけると、2冊とも読了前の評価が無い。
と、云うのも思想史自体、殆ど触れてきた事がない上に、上記の通りで皇国史観自体を軽視しているという事情に依る。
ただいつも通り著者の略歴にだけは目を通して、意外にも比較的若い研究者である事が判った。
勝手なイメージで申し訳ないのだが、こういう歴史上の社会思想って高齢の研究者がやっている、と思い込んでいたのである……失礼な話しかも知れないが。
ともあれ、何れも大部の書物なので読了に時間が掛かりそうである……。
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