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2020年04月28日18:24

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視角

 異動すると、屡々余裕が無くなったり、逆に余裕になったりするのであるが、寂れた田舎に引っ越した、という状況の通り、仕事に関して謂えば余裕を感じている。
 だからであろうか、読書量が戻ってきているし、日記を書くかな〜、という気持ちになる事も増えてきた気がする。

 それで先日購入してきた本のひとつ、緒方貞子女史の「満州事変」を突っついている。
 これはカリフォルニア大学バークリー校在学中の博士論文を出版したもので、執筆は1963年(昭和38年)、米国での刊行が翌64年、日本語版は66年(昭和40年)で、当時は原書房からの出版であったらしい。
 ただ現在、私の手許にある本は、岩波現代文庫からの復刻版で、初版は2011年、本書冒頭には緒方女史自らのまえがきが追加されている。

 現在は3割程を読み通しているが、思った以上に読み易い。
 出色と思ったのは、第2章で、満州事変に至るまでの経緯、米国からの政治的影響、外交政策の結果、欧米思想や革命思想の流入による国内思想の動揺といった、原因と結果の連続性の説明が非常に丁寧で理解し易く綴られている。
 ぶっちゃけ、2章の文章だけで、明治後期から大正、昭和の思想動揺の時期の概説としては、極めて秀逸と評してよいかと思われた(勿論、その説明の為の文章であるのだが)。

 ただ当然の事ではあるが、古い文章であるし、使用できる史料や研究も昭和40年以前のものとなれば、最新の知見には及ばない部分があるのは致し方ないのはドーにもならない。
 が、それでも本質を捉えていると思われる意見、前書きにも説明がある通り、教授からの紹介で片倉衷から(当時、門外不出であった)日記を借り受けたり、母方の祖父である吉沢謙吉から直接の聞き取りを行ったりと、最大限に精力的な行動で当時最新の知見を下敷きに冷静な分析を行っているものと受け止められた。
 この時期の日本の学者の、この手の書物は今の視点からすれば非道く偏ったモノが散見され、(今ではカビの生えた)マルクス史学の偏狭な視覚を押し付けられるのは実に御免被りたいものなのである(ぶっちゃけ、変なカタカナ言葉……ドイツ語(?)か何か知らんが、そういう専門用語を連発されて、そもそもの読む気が失せる始末であった)。
 そういう意味では、外国にあっての研究は、国内の悪影響に晒される事のないフラットな分析を行えたのかも知れない。

 それでも古典としては、それ程、名前が通っている印象はなく、新たな発見や新説の提出には至らなかったのかも知れず、私自身が本書を出典として明記されているのを見た記憶がない(私自身は、出典は結構気にしてみているので、緒方女史の名前を見ていれば記憶に残していると思う)。
 いずれにせよ、意想外の上物と云える本であったので、じっくりと読み進めたいと思う。
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