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2020年04月23日11:29

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鵺的

 川田稔氏の「木戸幸一」を読了した。
 結論を謂えば良著の類いで、氏の今までの書を含めて近代史を理解する上での価値ある参考文献のひとつとして数えられるべき労作であったと思う。
 それで本書を読んだ上で、その主題である木戸の評価を見てみたい。

 私は本書を購入した時に、木戸を「鵺的」と感じている、という内容の事を書いていたと思う。
 鵺的、というのは、まぁ端的に言うと、得体が知れない、理解し難い、くらいのニュアンスで、近代史を概観した時、この木戸という男は敵なのか味方なのか、一体、誰の為に行動をしているのかが非常に分かり難いのである。
 それで正体不明の箇所を理解可能に解釈する場合、結果から逆算して、そこからの推理を行う場合が尤も簡便な手法となる。
 まぁ、陰謀論の温床になり易いのだが、そうすると、前回の日記でも指摘したように、統制派の手先になったり、ソ連のスパイになったりするのである。
 前者については、井上侯爵を通じて陸軍と、永田鉄山や武藤章といった統制派官僚との繋がりがあり、海軍であれば高木惣吉の名前が挙がってくる。
 その上、議会主義者、英米協調を考える元老・西園寺公望とは、近衛共々、そこからの推挽であるにも関わらず、思想的には反対路線が明確である。
 そうなると陸軍統制派に近しい行動を執る英米嫌忌の反議会主義者となれば、一面、陸軍の手先に見える。

 実際、226事件の時には反乱軍を利用しようとする陸軍の策謀を粉砕するための重要な立ち回りを見せている。
 これを、この後に陸軍を指導していった統制派が背後にあったと関連付けた場合、非常にスッキリするし、後の独伊との同盟の時にも陸軍に同調しており、少なく無い人達は、これだけの状況証拠があるのだから、統制派の手先で決まりだ、みたいな勢いになるのは已むを得ないのであろうか。
 ただそれでも私が彼を鵺的と評していたのは、状況証拠だけでは納得し切れない箇所があると感じていたが、実際、それを指摘できない状態にあったという事になる。
 云い得るならば勘所であり、そこを解消しない限り、決定的な評価は下せないのである。

 本書に於いて木戸を語る上での……私にとってキーとなったのは……彼独自の権力基盤が存在しないというワードである。
 翻ってみれば木戸は確かに内大臣という役職を与えられており、どう考えても国政上の重要人物となるのであるが、よくよく調べてみれば、内大臣というのは内閣に参画する大臣ではなく、宮中役職としての大臣であり、詰まりは政府に直結する立場ではない。
 そしてその役割は、宮中に於ける天皇の常時補弼(ぶっちゃければ助言、補佐)であり、内大臣が直接的に政治に関与する場面というのは存在し得ない。
 よって、スタッフと呼べるものも10人にも満たず、その役割は内大臣の事務取扱を補佐する程度、各省庁を司る大臣の下に多くの官僚が集ったり、陸海軍の参謀連中を背景にした軍務大臣とは、そもそもの立ち位置が違うのである。

 そのため各軍務大臣は軍務官僚を背景に、その意見を取り纏めたり、或いは操縦されたりするのだが、木戸に限ってはそれが見当たらなかった。
 よってその他の大臣の行動を、省庁や個人、官僚の意見の集約として、国内組織の代表的な意見が何なのか、として観察可能であるのに対して、木戸に対してはそれができなかったのである。
 それもコレも、固より省庁を代表する大臣でもなく、そういった組織的なバックボーンも存在しない、飽くまで西園寺に天皇補佐を主務とするべく引き立てられた、明治貴族の代表者としてその場にいるためである、と説明されると非道く納まりがよくなる。

 但し、木戸は内大臣という政治的実権を持たない役職でありながら、実際の歴史上では、頻繁に政治的な影響力を発揮しており、戦前期を通して重要局面に於けるキーパーソンとして評価されている。
 コレがこの人物を一般理解から遠ざけている要因とも云える。
 ただこれについては、政治的なスタンスと、近衛を含んだ彼ら自身の行動力によるモノと評価できるが、この点もまた曲者と云わざるを得ない。
 というのも、彼らが何故、バックボーンも無い儘に政治的影響力を保つ事ができたのか、というとそれは天皇の権威に浴する事のできる貴族の立場であったからであろう。
 通常、国政に関与するには議員として登壇するか、官僚として政務に関与するか、いずれにせよ相応しい組織を経由しなければ、正々堂々と、その立場に至ることは難しい。
 だが彼らは貴族であるが為に宮中の役職に、誰憚る事なく選ばれるのである。
 何せ、近衛は藤原道長の後裔で五摂家の主宰、日本貴族の頂点である。
 そして木戸は、と云えば明治維新の元勲にして、三勲とも評される木戸孝允(桂小五郎)の甥の息子で、その跡目を継いだ正当後継者である。

 誤解を恐れずに謂えば、自他共に日本という国の中枢に関わる事が義務とされる人物であり、西園寺もそれを見越して指導を行い、順当に抜擢を行ったのである。
 ただ西園寺自身、彼らが政治の中心に立つ事は望んでいなかったと考えられ、飽くまで宮中に於ける天皇の股肱としての活躍を期待されていたのではなかろうか。
 だが彼らは、その立場と世間の了解を背景にして政治の場に立つ事が可能であり、その影響力を行使する事を躊躇わなかった。
 同時に当時の世界情勢に於ける独自の理想を懐に、敢えて活動を行い、議会政治を見限り、陸軍統制派に寄り添ったのである。
 しかし発言力と立場だけは有意義のふたりであるが、その相手の各大臣とは即ち、確固たる権力基盤を備えた組織そのものであり、その真ん中に立つだけの近衛や、天皇の小間使いである木戸という、個人の集合体では自ずから限界値が定まるのは当然の成り行きであろうか。

 勿論、彼らが常に無為無策、無能極まっていた、という指摘をする事はできないが、常に彼ら自身の腕力で政治的理想を達成できた事はなかったのではなかろうか。
 これだけの発言力、影響力を持っていながら、近衛や木戸を眺めた時、最終的には状況に振り回されているだけだな、という無力感を覚えてしまうのは、詰まるトコロ、彼ら自身の力量が問題なのではなく、近代国家に於ける政治家としての条件を満たしていなかった故の日本の悲劇なのかな、という結論に至るのである。

 以上が本書を読み終えた感想だが、筆者の目論見とは違(たが)う内容となっているかも知れないが、まぁ、それは読書の本質ではないから問題ではないだろう。
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