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2020年04月06日08:14

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メモ : 20.04.05 朝デジ 「緊急事態宣言の強権、首相自身も無自覚 決断は首かけて」仲正昌樹・金沢大教授


緊急事態宣言の強権、首相自身も無自覚 決断は首かけて

仲正昌樹・金沢大教授
聞き手・稲垣直人

 中国から世界に飛び火した、新型コロナウイルスの脅威。各国政府がロックダウン(都市封鎖)などの強硬措置に踏み出すなか、欧米の政治思想に詳しい仲正昌樹さんは、歴史上における感染症と政治権力との「密接な関係」に着目する。国家による市民の「管理」や「隔離」、危機対応と民主主義のジレンマを、私たちはどう受けとめるべきか。

写真・図版
政府のコロナ感染を巡る対応に関して語る仲正昌樹・金沢大教授=杉本康弘撮影

 ――感染症の発生で隔離された人々の不条理を描いたアルベール・カミュの「ペスト」が、たびたび重版するほど売れているそうです。この現象をどう見ますか。

 「伝染病は古今東西の哲学・文学でけっこう主要テーマになっています。中国・武漢の封鎖というニュースを最初に見たとき、カミュや、エドガー・アラン・ポーの短編『赤き死の仮面』の世界そっくりだと感じました」

 ――そっくり、とは?

 「人間の本質があらわになるのは、戦争や自然災害より、むしろペストに象徴される『未知の何か』が人間内部に侵入してくる状況だ、というのがカミュのメッセージです。『ペスト』の舞台はフランスの植民地だったアルジェリアですが、フランス政府はある限られた区画に人々を隔離し、人々を管理・監視できるようにした。こうした状況は、戦争や自然災害では想定しにくい。ペストも怖いが、このときの政治権力の方がもっと怖い、というわけです」

 ――仲正さんの専門は政治思想ですが、政治権力の怖さという点で、コロナ危機を考えるヒントを与えてくれる思想家はいますか。

 「やはり公衆衛生と権力の関係を論じたフランスの哲学者ミシェル・フーコーでしょう。彼が1975年に出版した『監獄の誕生』で示したのが、看守が囚人を一望監視できるあの有名な施設『パノプティコン』ですが、その導入部でペストが出てくるのも、何やら符丁が合っています」

 「パノプティコンは、中心に監視所があり、周りを取り囲むように独房が設置されている監獄のイメージです。照明などを調節し、囚人からは、誰に監視されているのか、そもそも監視されているか否かも分からない。こうした管理システムは監獄に限らず、病院、学校、工場などに拡張されうる。人々を規律正しく従順なものに導くという意味で、フーコーはこれを『規律権力』と名付けました」

 ――権力にとって、そんな管理システムの利点は何でしょう。

 「統治の手間、コストが抑えられます。権力側が市民を抑え込もうと武力や強制力を行使すれば、市民が抵抗してその鎮圧に手間がかかる。近代の権力は、前近代のように人々の命を粗末に扱うのでなく、なるべく生かした状態で利用するという手段をとるようになった、とフーコーは指摘します」

 ――フーコーの権力分析は、現代の私たちにも有効でしょうか。

 「フーコーはノーム(規範)/ノーマル(正常・普通)という概念も示しています。安倍晋三首相によるイベント自粛や一斉休校の要請に対する人々の反応を考えるうえで、示唆的かもしれません。政治権力は通常、立法や何らかの指導でノームを作りますが、そのノームが定着すれば、人々はいつの間にか『これが普通だ』と思い始める。人間は誰しも『普通』から逸脱し、異常扱いされるのは嫌です。こうして、権力から強く促されなくても、自分で自分を無意識に統制するようになります」

 ――安倍首相が打ち出したのはあくまで「要請」でした。感染者が出ていない自治体もあったのに日本の圧倒的多数が従いました。

 「自分が逸脱していないかどうかを確認する手段は大抵、自分と他人を比べてみることです。あいつは『標準』から逸脱している、オレはあいつのような『逸脱者』にならない、などと思う。そうして自分で自分の逸脱を戒めたり、他人の逸脱をとがめたりする。そうなればさらに、権力による監視・管理の手間は省けるわけです」

 ――中国政府は、個人の「健康証明」をコンピューターでチェックしているそうです。AI技術の進展で、政府の管理は、より精緻(せいち)でSF的になっています。

 「そうですね。極小の機械を人の体内に入れ、一人ひとりの健康を管理するといった高度に医療化された社会という着想は、以前からSF小説にありました。早世した伊藤計劃の『ハーモニー』がそうですし、最近公開された邦画『AI崩壊』もその延長線上でしょう。ですが、最近のITによるチェックシステムを見ると、SFと現実の境界はもはやないかもしれません。ここでもポイントはやはり、権力による監視・管理が人々の意識を素通りしている点です。自分が管理されているという認識が薄いことなのです」

 ――国民の安全・安心を第一に考えれば、一定の「監視・管理」は避けられない気もしますが。

 「気を付けるべきは、対応策がエスカレートすることです。私たちは健康の話となると、『イデオロギーの問題ではない。科学の話だ』となり、政府が進める公衆衛生政策をさほど抵抗なく受け入れがちです。つまり、価値中立のように思ってしまう。外交・安保といった、いかにもイデオロギーが絡みそうな政策に比べ、人々は権力に統治されやすくなる。そのことは、今回の改正新型インフルエンザ等対策特別措置法の成立にも表れたと思います。この特措法が国会でどのように成立したか思い出して下さい」

 ――立憲民主党など野党も軒並み賛成し、反対は共産党、れいわ新選組などに限られました。

 「立憲などは『物分かり』が良すぎたのではないでしょうか。というか、もう少し抵抗するだろうと私は思っていたので、あっさり賛成に回ったのは意外でした。5年前の安保法制のときの国会はどうでしょう。衆参両院で審議時間は計200時間以上に達し、安保法制反対派は『それでもまだ審議時間が足りない』と言っていたのですよ。なのに今回、私権制限などに関わる重要論点もあるのに、わずか3日で成立しました。この違いは大きすぎます」

 「オーストリアの哲学者イバン・イリッチが論じていますが、現代人の特徴として、人々は健康に過敏に反応し、権力の浸透を招きやすいとも言えます。前近代人は戦争や病死が日常茶飯事だったため、人の死が身近にあった。ところが現代は、医療技術の発達と長続きする平和のおかげで、死への文化的・社会的な免疫が落ちている。立ち止まって自省することが出来ないのかもしれません」

 ――特措法にもとづき、安倍首相が緊急事態宣言を出すかが焦点となっています。仲正さんには、ナチス登場時に活躍した憲法学者カール・シュミットに関する著作もあります。特措法はシュミットのいう「委任独裁」ですか。

 「法治国家が何らかの非常事態に直面し、その存立が脅かされた時、例外的に行われるのが委任独裁ですが、この特措法は、委任独裁とすら言えないでしょう」

 ――違いますか。

 「シュミットは自著『独裁』で古代共和制ローマの独裁官制度から説き起こしました。当時のローマの法律はかなり整備され、元老院や執政官の権限、市民の権利がきっちり定められていたため、たとえ為政者でも法律上できないことがあった。そこで、もし緊急事態の発生でその収拾に現行の法律が障害となるなら、一定条件のもと、あくまで時限を区切って、独裁官が一時的に法律を超越してよい、としました」

 「シュミットの分析の核心はこうです。最高権力者が非常事態の宣言を出す際には、憲法に照らし、具体的に『この部分とこの部分がこういう状況の時に障害となりうるから、こういう一定条件のもと、時限を区切って憲法上の私権を制限する』という、法律家らしい緻密(ちみつ)な考察です。今回の特措法審議で、そうした議論はありませんでした。安倍さん自身にも、特措法で首相は強大な権力を行使できるという自覚はなかったのではないですか。ここでも『これはイデオロギーを超えた健康の話』という前提が、安倍さんの心の内にあった可能性があります」

 ――あのとき国会で、もっとどんな議論が有り得たでしょう。

 「安倍さんが記者会見で述べたように、今回の一連の対応が本当に『私の責任』と言うなら、たとえ事後でも、緊急事態宣言を出した首相の責任の有無・所在が問えるよう、事後検証の仕組みを議論して整備すべきでした」

 ――シュミットは政治家の「決断主義」も唱えています。安倍さんはコロナ対応で「決断」をアピールしているようにも見えます。

 「一見、シュミット的決断主義のように見えますが、そうは言えないでしょう。決断とは、自分の進退を賭ける、ということです。安倍さんは、休校やイベント自粛について要請という形をとり、自分が責任をかぶることは避けました。本当に責任を取るつもりで判断したなら、一定の強制力を伴う措置を打ち出し、自分の首まで懸けるものです。それが本来の決断主義です」

 ――欧米各国の政府の対応はどう見ますか。民主主義との矛盾は生じないでしょうか。

 「欧米の民主主義国家も切羽詰まれば、何をやり始めるか分かりません。フーコー的な健康にまつわるノーム(規範)は、かなり浸透・徹底しているからです。たとえば、イタリア政府は国内全土で人の移動を制限する強硬措置に出ましたが、現政権は中道左派を基盤にしていたはずです」

 「ドイツもきわめて潔癖な国で知られます。もちろん、つい最近まで『我が闘争』が出版できないほどナチス的全体主義は徹底排除する国ですが、『いや、これは差別や民主主義に反する問題ではない。健康の話だ』となると、もはや止まらない可能性があります。欧米にコロナが飛び火する前、『中国は強権的な政治ができるから封じ込められた』と言っていた人たちは、欧米各国の強硬措置にはどう反応するのでしょうか」

 ――収束が見えないなか、今後どんなことを懸念していますか。

 「『外国人の入国は拒否して当然』という風潮にみんなが慣れてしまい、自国第一主義が高まることです。とくに危ういと感じるのは、いま多くの国の政権基盤が弱いこと。独メルケル政権も、左派と右派から『決断できない政権』と批判されている。そうした批判をかわすためにも、政権与党は何らかの強硬措置に流れやすくなるかもしれません」

 「つまり、この問題を迅速に解決しようとする政治は、民主主義とは相いれないジレンマを内包しています。私たちはそのことに無自覚であってはいけません。権力に無批判に従う状況につながりかねないからです」(聞き手・稲垣直人)

      ◇
 なかまさ・まさき 1963年生まれ。専門は政治思想史・法哲学。主著に「マルクス入門講義」「カール・シュミット入門講義」「現代思想の名著30」など多数。

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