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2022年05月16日23:06

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【1993年GW】不景気と天候不順の年の九州旅行

バブルが弾けて不景気になり、不採算部門のリストラも少しずつ進められ、新製品をなかなか出せない農薬分野の外資系企業への売却の話が水面下で進行していました。元通産省の官僚で日本の本格的な石油化学工業の立ち上げに尽力した社長が肝不全で急死したのが2月で、同じ財閥系の大手化学会社との合併協議も開始したと考えられ、クリスマスイブの午前の発表、翌年10月の実現となります。私は農薬の研究室に所属して構造活性相関の研究に携わっていましたが、学生時代の専攻分野であるコンピュータケミストリーを化学工業に生かすには、農薬分野にとどまっていたらダメだという思いがあり他の分野への転身も視野に入れる必要がありました。職場の雰囲気が悪化し、お世話になったはずの先輩・上司・同僚に対する悪意を持って貶めて失脚に持ち込もうと躍起になる女子社員もいて、ラボは針の筵と化しつつありました。

職場での不遇と不満を誰よりもわかってくれるのは、同じ会社の他部門で働く独身寮生、社内サークル仲間、同期入社の友人より他にいません。社員3千人規模の会社で茨城県阿見町の研究所では200名程度のアットホームな人間関係が錯綜していたのは幸いでした。アウトドアサークルの仲間とニセコ、平成元年同期で白馬、健康保険組合のツアーで苗場とスキーに熱中することで、平日の会社生活のストレスを発散しました。スキーシーズンの終了により向上心の対象を失った心の隙間に「そうだ!ピアノやろう!」という思いが沸き上がり、新星堂の新生活応援キャンペーンにより電子ピアノを送料込み20万円以下で独身寮の自室に設置したのは4月の上旬で、窓外の庭では桜が満開でした。音楽の趣味にアクティブな側面が新たに追加されました。

それまで部屋での音楽鑑賞は、遠慮がちの小さな音で聴くものでしたが、電子ピアノの納入に先立ってヘッドホンだけ受け取ったので、ミニコンポでCDを掛けてみたら、周囲を気遣わずに自分の両耳だけで大音量を堪能できることに初めて気づきました。CD14枚に及ぶワーグナーの四部作「ニーベルングの指輪」を月、火、木、金の四晩掛けてドイツ語の歌詞対訳を見ながら鑑賞し、かけがえのない感動に包まれました。第3部の「ジークフリート」を水曜の夜に聴いている最中に部屋にノックがあり、社員寮の庭での花見(夜桜)に誘われて音楽鑑賞を中断しましたが、バイロイトなど本場での実際の上演では四晩連続ではなく途中に休みを入れるそうなので、自宅での音楽鑑賞も中休みが入って本格派となりました。

不景気が影を落とし、リストラの嵐の前の恐怖に曝された研究所の索漠とした雰囲気がしばし活気づいたのは、バブルの余韻で新入社員の大量採用が続いていて、配属前の研修で学生気分の抜けない若者が次々にラボの見学と実習に訪れたからでした。研修生との有機合成実験や分子シミュレーションなどの合間の雑談で、今年の新人についての印象の話になり、美人で人気の高い女子社員や共同の風呂場で妙な行動を起こす同期社員の噂話に体育会系社員の上司は大喜びです。

ゴールデンウイークは4年連続の九州旅行に出かけることにしました。九州ワイド周遊券を購入したのは、4月26日(月)に直属の上司と北里大学薬学部の先生のところへ委託研究の打ち合わせに出張した帰りの上野駅だったことが日記に記されていますが、切符の購入に上司が立ち会った記憶がありません。時刻表の購入は17日、乗車予定/候補の列車の時刻欄を色鉛筆で塗り分ける作業には出発3日前に取り掛かっています。天候不順の年となる兆しがあり、普段の会社生活の不調も影を落とし、旅行への気分の高揚が今一つだったようです。

旅の前日にはラボのメンバーのローテーションに伴う親睦会(ボーリングと宴会)で土浦へ繰り出しました。ボーリングのスコアの目標を決めて、達しないメンバーは宴会費を余計に負担することになり、体育会系のノリが浸み込んだ上司と三年目の二十代の男が200点に近いスコアをマークしました。阿見町のお馴染みの店(食道苑)より少し高級な焼肉屋での宴会では、肉の取り合いになり、食い意地の汚さを露呈する女子社員(二十代後半)も大騒ぎです。前年にお子さんが生まれたばかりの男性二名は、帰宅後にニンニク臭さで奥さんから怒られ、一人は罰として翌日の夕食も焼肉を食べさせられたそうです。

4月28日(水)の夕方の出発でした。自分の旅は今まで寅さんのように孤独な一人旅スタイルを決めていたつもりでしたが、今回は珍しく、会社前のバス停から土浦駅まで、国家プロジェクトに出向するメンバーの壮行会に向かう農薬探索合成研究室の一団、友人の結婚式(水戸)へ向かう研究員のキミ子さん(昭和最後の入社、年下の先輩社員)、石岡からのバス通勤の事務員のカズ江さん(二十代前半)と同行でした。リュック姿の私を見たキミ子さんは、結婚式がなければバイクで旅に行けるのにと残念がります。四国のユースホステルの宿泊経験もあるそうで、キミ子さんの旅先での様子と旅先で出逢った女性の会社生活の様子の両方が目に浮かびます。一人旅でも旅先では積極的に出会いを楽しんでいるという話にカズ江さん(人気の女性社員)は感心しています。

東京駅発の寝台特急「あさかぜ3号」の車内で午後8時40分に前日からの日記を書いた後、10時半頃の早めの就寝、5時半までたっぷりと眠れましたが、4、5回目が覚めて、その間に多くの夢を見ました。犬が出てくる夢、列車の寝台を他の人に乗っ取られ、その人とそのまま会話している夢、車窓にスキー場が見えて結構賑わっている様子である夢が続きました。広島駅到着は6時半。駅前のサウナで汗を流しました(2000円)。前年の四国旅行の途中で入った岡山駅前のサウナほどきれいではないけれど、熱放射を三度浴びました。肩に彫り物のあるオジサンが一名いました。朝食は駅構内の肉うどん一杯だけでした。前日は夕方から関東地方に雨が降り、博多から広島にかけても雨模様でしたが、朝には止んで晴れ間が差しつつあるようです。

4月29日(木)の朝8時半、広島駅の新幹線の待合室で日記を少し書き、博多に到着したのは11時少し前でした。前年に立ち寄って気に入った中州の「かろのうろん屋」へ直行。海老天うどんを注文し、どんぶりに盛られた青ネギをたっぷりと入れました。スープにも海老の出汁が効いてコクがあります。手打ちのうどんには腰があり、表面には艶があります。ネギと海老の出汁の味が浸みたスープも一滴残さらず飲み干しました。

西鉄福岡駅に向かい久留米に着いたのは14時頃でした。まっすぐに父方の先祖代々の墓のある順光寺へ向かいました。近所の花屋で花と線香を購入しました。昨年買った花瓶が倒れていたので、少し高いところに設置しなおして石を置いて固定しました。隣の小さな墓に昭和7年没の名前が刻まれているのが曾祖母だったことが判明したのは令和になってからです。

先祖の墓参りの後、西鉄久留米駅を通り越して石橋文化センターまで歩きましたが、それほど距離はありません。関東より少し季節が進んで木々の緑、藤の薄紫、ツツジの赤と色彩豊かです。美術館では「ラスキンとヴィクトリア朝」という展覧会を開催していました。ラスキンは評論家として名高い人ですが、絵画作品も構図が優れた良い作品が多くみられました。イギリスの絵画の展示も見応えありました。

JR久留米駅まではバスを使い、筑後川の畔の水天宮へ行きました。クスノキの新緑がきれいです。本宮で小学生の女の子が三人くらいでテープからの音楽に合わせて「舞」と「唄い」の練習をしています。鈴とリボンを持って舞っていますが、服はショートパンツだったりスカートだったりまちまちで、練習なので時々よそ見をしています。筑後川の水は午前中まで降った雨で増水して茶色く濁っていました。久留米の街は、松田聖子レベルの美人も多く見かけられました。

瀬高駅で降りてルノワール・ユースホステルに到着したのは18時前でした。前年に続いて二度目の宿泊で、前回、岡山のライダー杉山君(真っ赤なTシャツを着ている)のカメラでのホステラーの談笑後の記念写真が飾ってありました。ホステラーは男性6名、女性2名でしたが、前回の盛り上がりには程遠くて夕食の席の会話もほとんどなく黙って食事する感じでした。焼き魚を骨まで完食した若い男に、一人旅の三十代後半と見られるオジサンが感心して声を掛けてやっと沈黙が破られました。ユース歴の長いオジサンは額でクルミを割る芸も披露しました。九州の島を巡る旅が好きで、全て回りきるには一生かかるだろうと言います。パチンコで大勝したという若い男がお菓子を差し入れたところから賑やかなYHらしい雰囲気になりました。オジサンを中心に、水の不味い土地、名古屋の街、酒についてなどの話題が続きました。

4月30日(金)は瀬高駅8時32分発の特急列車(ワイド周遊券なので特急券の購入が不要)で久留米発9時9分の各駅停車の日田行きに乗り換えました(車内で久留米滞在の分の日記を書いています)。久留米駅のホームでは孔雀を三羽飼っていて、公募で決めたというオスの名前は「ジャック」、メス二羽の名前は「ランラン」と「ルンルン」と安易でした。終点の日田は大分県で遠いので、手前の吉井で降りて白壁と土蔵の残る古い街並みを散策しました。中央通りに整然と並んだ瓦屋根と白壁は見事ですが、現在も九州の物流の重要なルートとなって久留米ナンバーのトラックなどの往来が絶えず、視界を妨げられてシャッターチャンスを捉えるのに苦労しました。T字路の突き当りの白壁と信号機が重なっているのは吉井の代表的な景観のようです。

久留米に戻り15分遅れで発車した特急で熊本に入ったのは14時前でした。市電で交通センターへ向かい、地下の「こむらさき」の餃子とラーメンを昼食としました。餃子はあっさりした味でした。週末などに通っている阿見町の「楽生」のラーメンは美味しいけれど、食べ進めるに従って鶏ガラの出汁に味の素が混ざっているのが鼻に付く欠点がありました。「こむらさき」のラーメンのスープは、一口目はあっさりですが、食べ進めるに従って味が出るので一滴残らず飲み干してしまうのが常です。

晴天だったので熊本は暑いくらいです。新緑の熊本城公園を散策しました。コンクリート製の天守閣は補修中でした。創建当時のまま残っている宇土櫓の中は広くて十分に古い建築物を堪能しました。公園内は樹齢数百年のクスノキの緑に覆われて、何層にも重なった石垣の石組の多様性が見事でした。アーケード街をしばらく歩きました。大抵のものは揃いそうです。書店には音楽関係の本も充実しています。旅行中に着る服が足りないのに気づいていたので、岩田屋で長袖のシャツを二枚(2000円と3000円)購入しました。

水前寺公園に着いたのは17時過ぎになっていました。土産物屋も店じまいを始めて、観光客も帰り始めていたので落ち着いて鑑賞できました。阿蘇の湧き水の美しさは見た目にも感じられます。親に連れられてきた子供たちは鯉を見てはしゃいでいます。池の周りを一周歩いたあと、水前寺ユースホステルへ向かいました。公園から歩いて15分くらい、ペアレントさん一家が、みんなとても親切です。

夕食の提供がないのでYHお勧めの「花いちもんめ」という定食屋へ向かいました。同行したのは、別府を回ってきた姫路の女の子二人組で、昭和42年生まれ(みゆきちゃん)と昭和40年生まれ、どちらもグラマーな体型です。カウンター内の調理場は油まみれで、頭の大きなご主人が料理を作っていて、ご夫婦とも優しく親切でにこやかです。サバの塩焼きがたった550円で脂が良く乗っていますが、生臭さがなくとても美味しくいただきました。油まみれの落書き帳には、フランス語やドイツ語の書き込みもあって、水前寺YHの外国人ホステラーの多様性をうかがわせました。

夜の7時半を過ぎても熊本市内の車の往来はひっきりなしで、路面電車も込み合っている様子です。YHの宿泊者も多く満室に近いようですが、外出しているか部屋にこもっているかのどちらかで、談話室は閑散としています。ペアレントさんによる観光案内は雑談に変わりました。熊本城の姿を鑑賞するには、向かい側の美術館の喫茶室が良いとか、熊本ラーメンは「こむらさき」が定番だが、行列のできる人気店もあるという話を聞きました。超能力の話もあり、人間の潜在能力には水道の蛇口のようなリミッターがあって、その蛇口を緩められる人が超能力者になったり、霊に取りつかれたりするのだそうです。ハンドパワーでお茶を濃くしたり薄くしたりできるそうです。三十代と思われる夫婦と歩くのが趣味と言うふくよかな女性と一緒にポラロイドの記念写真を撮りました。外国人二名と同行する日本人の女の子二人が到着し、翌日は高千穂と阿蘇を回った後、山口県の秋芳洞を見学し広島に向かうという無謀なスケジュールを考えていて、歩くのが趣味のふくよかな女性が計画の見直しを必死で説得していました。

翌5月1日(土)はペアレントさんに勧められた通り、水前寺公園の早朝散策へ出かけました。朝の開門前は無料で開放されています。朝日に照らされた公園の景色は美しく、謡の練習で池に向かって声を張り上げる地元の中年の人を三名ほど見かけました。YHには7時20分頃に戻って朝食を頂いた後、8時に出発しました。熊本発8時45分の日奈久行の特急列車の中で熊本滞在の分の日記を書きはじめ、八代で肥薩線に乗り換えて人吉に向かいながら続けました。天気が曇ってきて先行きが不安になりますが、球磨川の緑白色の水が長々と蛇行して流れている景色は美しい車窓風景です。

小雨の中、人吉の街を散策しました。球磨川の川幅が広くゆったりと流れて水がきれいで、川下りの観光船も幌を掛けて遊覧中です。増水していて川沿いの堤防の上の水路にもたっぷりと水が流れています。人吉城跡は緑が多く、石垣が苔むしています。街のシンボルの蔵を三か所くらい巡ったのですが、写真が残っていません。街並みにそれほど魅力を感じていなかったのは、当時の心境のせいか天候のせいか不明です。14時前に人吉駅に戻り、15時10分のくま川鉄道湯前線の列車を待つ間に待合室で少し眠りました。

くま川鉄道の乗務員は上下紺色の制服にカウボーイハットのような帽子を被っていました。終点の湯前温泉駅からバスに乗って15分程で「温泉前」、バス停から市房ユースホステルまで歩いて5分程でした。ホステラーが少ない「幻のYH」というキャッチフレーズですが、かえって穴場として人気があるようで、宿泊者は少ないとは言えず家族連れも二組くらい宿泊しています。ペアレントさんはスキンヘッドと口髭がトレードマークですが、ヘルパーさん共々親切で感じの良い人たちです。

以前別のユースで出会った人に二名再会しました。一人は昨年11月に定福寺YH(高知県)で会った人だそうですが、記憶にありません。もう一人は同じ11月末の京都への出張帰りに和歌山の有田オレンジYHで泊まり合わせた名古屋の男で、朝一緒に散歩に出かけた人ですが、今回は大学の友人と同行でした。市房ユースの受付には大きな模造紙にYHの利用案内が掲げられ、規則を守れないものは退場とあり公共の宿であることを宣言しています。しかし利用規則の中にある禁酒は建前だけで、食事の受け渡し口に小さい字で「焼酎150円」と案内があり、ペアレントさんがコップになみなみと注いでくれます。禁酒法時代のアメリカのバーに立ち寄った気分になります。広い食堂でホステラー5人の談笑が続き、焼酎のお代わりも二杯に及びました。名古屋の男は賑やかな人柄で「性の暴走族」という綽名もあり、生命保険の枕営業の恩恵に与った友人の話に熱中していました。

5月2日(日)は雨が強くなっていました。市房山の登山を予定していたので、ともかく登山口まで歩いていきました。国道446号線を登ります。民家の軒下をかすめるような高知県の国道439号線と同様、国道とは名ばかりの狭い道です。足元はアスファルト舗装でそれほど悪くはないけれど、雨が止まずに靴がびしょ濡れになりました。おまけに途中で道を間違えて山中を彷徨いかけました。市房神社に着いたのは11時頃でした、市房山の頂上までは3時間掛かるそうなので、無理のないところまで踏み込んで30分程で引き返しました。樹齢800年以上の杉の大木が何本もあり、地面に力強く根を張って、一部は苔むして年輪を感じさせます。樹木にもコケにも植生の豊かさを感じます。厚く積もった椎の枯葉の踏み心地も良く、森林浴となりましたが、雨が激しくなり靴も泥まみれになったので杉木立の写真を何枚か撮影して引き返しました。

アスファルトの道を歩いている間も雨が容赦なく降り続けました。遠くの霧が立ち込める中に集落がうっすらと浮かび上がりました。竹林も多く、1.5mくらいに育った鮮やかな若竹もたくさん見られました。少し前の季節ならタケノコの大豊作だったに違いありません。途中にキャンプ場があったので、雨宿りのための休憩を取った後、市房湖まで降りました。湖には噴水が吹き上げているところでした。ダムを背景にした写真を撮影しました。湖畔のレストランで「ヤマメ定食」(1200円)を昼食としました。魚が小ぶりで20cmに満たない大きさですが、味はなかなか良かったです。

ユースに戻ったのが16時前でしたので、前日の夜と同じく近くの「元湯温泉」に入りました。入浴料は300円です。新しい清潔な建物で休憩室にはジュースの自販機とテレビが備わっています。泉質はアルカリ性で少しぬるぬるした感触があります。露天風呂も備えてあり雰囲気のある岩風呂でした。

昨年五島列島の三井楽YHで同宿し、堂崎天主堂を一緒に回って長崎までのフェリーに同行した大阪の若い男と再会しました。昨年と比べて天候に恵まれず、自慢の一眼レフカメラの出番も減ってフィルムがなかなか減らないそうです。五島列島を車で回っていたカップルにはその後再会したそうです。今回は桜島を回ってきたところで、市房YHには三連泊して市房山の登山も試みる予定で、装備は自宅から宅配便で送ったそうです。

夜11時から「ボブ・ディラン デビュー三十周年コンサート」がテレビで放映され、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリスン、ニール・ヤングという豪華なゲストが出演、昭和33年、昭和34年生まれの男性ホステラーとの70年代ロックの話題になり、ニール・ヤングのギターをカッコイイと言ったら30代以上であることがバレるとのことです。ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌詞の和訳を、ドラマ「愛という名のもとに」のラストで登場人物が一堂に会して朗読したのは半年前のことでした。別のテーブルでは二十代前半と思しき女子を含むグループがUNOに興じて騒いでいるのに妨げられながら、番組の終了までロックの鑑賞を続けました。

5月3日(月)の8時半には湯前温泉駅発の「くま川鉄道」の車内にいて、市房YH二泊の日記を書いています。人吉発9時59分の肥薩線で鹿児島を目指します。スイッチバックの駅が連続する上、ループ線もあり鉄道ファン垂涎の路線の一つです。隣の席に座っているのは、大きな時刻表と一眼レフカメラを抱えた若い男ですが、眼鏡とジーンズ、締まりのない口元、あまり洗ってなさそうな髪と典型的な「鉄ちゃん」でした。列車は勾配のきつい坂を延々と登って行きました。ループ線の中にスイッチバックのある構造の大畑(おこば)駅では、数人の鉄道ファンがホームに降り立って列車の写真を撮りながら、行き違いの列車を待ち受けました。吉松駅手前の車窓は霧島連峰が絶景です。鹿児島県の隼人までは特に景色の印象はありません。西鹿児島に到着したのは12時39分でした。

市電に乗って天文館通の「和田屋」に入り、混んでいたので少し待たされた後、チャーシュー味噌ラーメンを注文しました。野菜たっぷりでボリュームがありましたが、あっさりし過ぎた味で濃厚な熊本ラーメンの方が自分の好みに合っている印象は三年前に指宿の帰りに寄った時と変わりません。桜島に上陸するのは初めてです。鹿児島港からフェリーで10分、130円でした。あいにくの曇り空で噴煙を上げているはずの頂上が全く見えません。港近くの公園へ登っても頂上が見えない状況は変わりありませんが、土壌がほとんど火山灰から形成され、遊歩道の至る所に溶岩がそのまま固まって様々な形のオブジェと化しているのが面白くて、写真を何枚撮っても飽きません。鹿児島駅に戻ったのは16時頃でした。

都城駅には17時半に到着。駅前通りのケヤキの並木がきれいです。都城YHまでは宮崎交通バスで10分ほどでした。旅館と兼業のユースホステルで、ペアレントのお婆さんも息子夫婦も親切で都城の見どころなど旅の予定にも色々と相談に乗ってくれます。夕食のおかずはカツオのタタキと太刀魚の塩焼きでした。郷土の名産の魚にアナゴに似た味を感じました。ホステラーはわりと多くて、暗くなってからも一人旅の外国人など次々に到着しました。同室者は千葉から来た昭和38年生まれの髪の薄くなりかけた男で、北海道の旅に詳しく、ユース宿泊歴は200泊を超えているそうです。食堂で隣り合わせた一人旅の女性を相手に旅の話題で話し込んでいました。登場したばかりの東海道新幹線「のぞみ」は揺れがひどいなど欠点ばかりだと批判的です。山形で農事試験場に勤めている女の子は、周囲の白い眼をよそに一週間以上の休暇を取り、出雲大社で縁結びの神様にお参りするという口実で旅行を計画し、この先は山陰への旅路が続くそうです。

5月4日(月)は7時53分発のバスで出発し、ユースのスタッフに勧められた関之尾の滝を見に行くことにしました。バスの運転手さんに訊ねたら、北原町のバス停で目的地に向かうバスが後ろからやって来たので、すぐに停まってもらい乗り継ぐことができました。20分程で到着。関之尾の滝は落差が20m近くあり、水量も多く、吊り橋を渡りながら眺めると飛沫が飛んできてなかなかの迫力です。今回の旅行でまた新たな九州の魅力を発見しました。滝より上流には「関之尾の甌穴群」があり急流の中に多数の平らな岩が敷きつめられたように並んで独特な景観を成しています。25分くらいの滞在後、関之尾を後にしましたが宮崎県の新たな魅力に触れて大満足です。南宮崎駅で10時50分に前日の肥薩線の旅からの旅日記を書いています。

日豊本線に乗車している間に天気が良くなりました。桜島の灰が溶け込んだ錦江湾と比較して、日南海岸の真っ青な海は美しくて気分も高揚しました。1時間に1本の各駅停車のみ停車する美々津駅に降り立ったのは12時44分でした。国道10号線の下を流れる石並川は二級河川と表示がありますが、丸く削られた石が転がる浅瀬から、青く澄んだ水がそのまま海へ注いでいる様子に息を飲みました。旅の前半に立ち寄った吉井町と同様に、美々津にも白い漆喰の壁、なまこ壁、格子窓の古い商家が並んでいますが、家々の間に余裕があって火事の延焼防止用の「うだつ」を築く必要がなかったようです。江戸時代の雰囲気を残す静かな町の散策は天気にも恵まれて、関東より早い初夏の風には花の香も混じって心地よい空気に包まれます。一通り歩いて引き返そうとしたところで一休みした商家の奥さんがジュースを出してくれて、ゆっくりし過ぎたので13時52分の列車に乗り遅れました。

石並川や日向の海を眺めながら次の列車を待とうとしたら、美々津駅の小さな駅舎の写真を撮っていた下駄履きのお兄さんにシャッターを頼まれ、特急の止まる日向駅まで車で送ってもらえて助かりました。陶器の里を巡る一人旅のドライブだそうです。車の後部座席はガラクタだらけですが、一眼レフカメラを複数所持しているようです。海の波が見事なところで車を止めて撮影をしました。延岡駅で15時58分発の高千穂鉄道に乗車できました。

(コメントへ続く)

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