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2021年01月13日17:54

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†なまずいし†

江戸城は家康も道灌もないころ豪族の館が建っていたそうで、江戸時代には神田神社が首塚付近にたち目の前には海につながる入り江が見えたそう。当時の東京はいい土地ではなかったそうで(水害も多く)仮に東国という独立国家のため反乱を企てたとしても、まだ朝廷は京都にあり、あまり相手にされなかった反乱のようで現在も不思議な話がつきまとう。平将門の首塚ー晒し首になった将門の首が飛んできて落ちたという場所らしい。 京都には晒した首の首塚もある。
鎮守府将軍だった平よしまさの子、将門、桓武天皇の子孫で祖父のたかもちおうが上総の国の国司に任命される。将門は一族の長になる人物でもあったのか、反乱を起こした経緯は上手くいかない関東統一と朝廷からの見放され方、本や歴史に残る伝説はミステリアスで相変わらず魔力がある、判官贔屓ではないはず。東京にある将門関連の神社や史跡には、将門を討った武将の史跡もあり、藤原純友と平貞盛が将門の乱で菩薩の加護がある将門を仕留めようと陣を敷いた場所が八門遁甲の死門である八幡の藪知らずである。今は単なるミステリースポットで、お化け騒ぎで有名。
今の首塚は、大名屋敷のあとに建てられ、現在は一ブーム去ったこともあり、わが家でもお正月の初詣に、お盆や、お祭りも神田明神や首塚が重宝している。一昔前は参拝者もないから並ばず参拝でき、せっかちなので便利だった首塚。坂東の国に残る相馬の馬追いは将門たちが育てた強い馬を讃える行事もあり国司として祀られている。

徳川家康や徳川家が御霊将門を奉ったことが神田明神の祭神の一柱として今も残り、地震避けや〜避けなど。とても人気者、首塚の中身は何だろうと調べたらなまずいしと呼ばれる石が入っているという話があった、地震を知らせる生き物である鯰、それでなんとなく納得して祟りや他の事は気にしないことにしました。平将門のイメージにはぴったり!!





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