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2020年02月21日16:05

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2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第三部/人形浄瑠璃版「勧進帳」

20年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第三部「傾城恋飛脚」「鳴響安宅新関」



2月。歌舞伎座は、「道行故郷の初雪」、国立は、「傾城恋飛脚〜新口村〜」



国立劇場人形浄瑠璃興行の第三部は、「傾城恋飛脚」「鳴響安宅新関」という構成。「傾城恋飛脚」では、このうち、「新口村の段」。
近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」(1711年初演)を菅専助・若竹笛躬の合作で改作したのが、「傾城恋飛脚」(1773年初演)。「新口村の段」は、いつも歌舞伎などで観ている「恋飛脚大和往来」の原作である。

人形浄瑠璃

人形浄瑠璃「傾城恋飛脚」:舞台は、百姓家。下手に、「新口村」の道標。竹本では、冒頭、「節季候だいだい、だいだいは節季候、おめでたいは節季候」。「節季候(せきぞろ)」や「古手買」など庶民の風俗が描写される。「節季候」とは、門付けを演じる芸人たちのこと。「古手買(ふるてかい)」は、古着や古道具を農村に買いに来た商人。古着屋、古道具屋のことである。しかし、この芝居では、いずれも、公金横領の忠兵衛と同伴する遊廓から逃げ出した遊女の梅川の逃避行を追っている探索の追っ手(捕り方)たちの変装である。

「薄尾花はなけれども」は、「冥途の飛脚」の「道行相合かご」での竹本の文句。道行きの途中は、晩秋の芒の季節。しかし、新口村は、今、雪景色。「人目を包む頬かぶり、隠せど色か梅川が馴れぬ旅路を忠兵衛、労はる身さえ雪風に、凍える手先懐に、暖められつ暖めつ、……」

死出の道行の果てに、忠兵衛のふるさと・新口村まで、逃げて来た梅川・忠兵衛の登場。「比翼」という揃いの黒い衣装、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。互いに抱き合う形の美しさ。ふたりが頼って来た百姓家は、実家ではなく、「親たちの家来も同然」という忠三郎宅。忠三郎不在で、女房から、大坂での「事件」について聞かされ、己の身許を明かせないまま、「年籠りの参宮」と、ごまかし、忠三郎を呼んで欲しいと女房に使いを頼む。

家に入ったふたりは、上手の奥の間、「反古障子を細目にあけ」て、吹雪の畠道を通る人々の中に、老父・孫右衛門がいないかを見守る。桶の口の水右衛門、伝が婆、置頭巾、弦掛の藤治兵衛、針立の道庵など、忠兵衛顔見知りの村の面々が、寺に法話を聞きに行く情景が描かれる。忠兵衛は、梅川に、得意げに、人物寸評をする。ここは、歌舞伎では、あまりやらない場面。さまざまな人形が登場するのも、おもしろい。怪しい巡礼姿の男(実は、八右衛門)が、家内を窺っている。

それと気づかず、忠兵衛「アレアレあそこに見えるのが親父様」で、孫右衛門登場。「せめてよそながらお顔なりとも拝もうと」と、忠兵衛は、梅川に、遠目ながら、老父を紹介する。忠兵衛「今生のお暇乞」、梅川「お顔の見初めの見納め」。

孫右衛門は、雪道に転んで、高足駄の鼻緒が切れる。あわてて、飛び出す梅川。家の中に招き入れ、忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が、父親の面倒を見る。初見ながら、「嫁の梅川」と悟る孫右衛門は、義父の判断。梅川の機転で、再会を果たす忠兵衛と孫右衛門。ここは、歌舞伎も同様。巡礼に化けていた八右衛門の知らせで、近づいて来る追っ手の声を聞き、孫右衛門は、忠兵衛と梅川をよそで捕まれと、逃がすため百姓家裏の抜け道を教える。情報錯綜の追っ手たちが向かったのとは、違う道を教える。ああ、親心。

「平沙(へいさ)の善知鳥(うとう)血の涙、長き親子の別れには、やすかたならで安き気も、涙々の浮世なり」(幕)。奥州の善知鳥(うとう)という鳥。親鳥は、「うとう」と鳴き、子は「やすかた」と泣くという。


歌舞伎

歌舞伎「恋飛脚大和往来」:花道には、白い雪布が敷き詰められている。定式幕が開くと、まず、無人のまま、浅葱幕が舞台を覆っている。振り落としで、「新口村」となる。本舞台中央に、ご両人。梅川・忠兵衛の二人。茣蓙で人目と雪を遮って、立っている。背景は、密集した竹林の枝に雪がみっちりと積もっている。いつもより、山深い地に来たように見える。

この場面、ずうっと雪が降り続いているのを忘れてはいけない。梅川が、「三日なと女房にして、こちの人よと」請願した希望の地、忠兵衛の父親が住む在所である。忠兵衛の知り合いの百姓・忠三郎の家の前。雪の中、一枚の茣蓙で上半身を隠しただけの、男女が立っている。黒御簾からは、どおん、どおんと、大間に太鼓の音が聞こえて来る。雪音だ。天井から雪が降って来る。

ふたりの上半身は見えないが、「比翼」という揃いの黒い衣装の下半身、裾に梅の枝の模様が描かれている(但し、裏地は、梅川は、桃色、忠兵衛は、水色)。衣装が派手なだけに、かえって、寒そうに感じる。やがて、茣蓙が開かれると、梅川と忠兵衛。絵に描いたような美男美女。二人とも「道行」の定式どおりに、雪の中にもかかわらず、素足だ。足は、冷えきっていて、ちぎれそうなことだろう。茣蓙を二つ折り、また、二つ折りと鷹揚に、二人で、叮嚀に畳み、百姓屋の納屋にしまい込む。梅川の裾の雪を払い、凍えて冷たくなった梅川の手を忠兵衛が息で暖め、己の懐に入れ込んで温める。忠兵衛を直接知らない百姓家の女房に声を掛け、不在の夫・忠三郎を迎えに行ってもらう。家の中に入る二人。

やがて、花道から孫右衛門登場。逃避行の梅川・忠兵衛は、直接、孫右衛門に声を掛けたくても掛けられない。百姓家の窓から顔を出す二人。ところが、本舞台まで来た孫右衛門は、雪道に転んで下駄の鼻緒が切れる。あわてて飛び出す梅川。見慣れぬ美女が、懇切に世話をするので、息子の封印切り事件を知っている父親は女が息子と逃げている梅川と悟る。忠兵衛の代りに、「嫁の」梅川が父親の面倒を見る。梅川と孫右衛門のやりとりを家の中から障子を開けたり、締めたりしながら、様子を窺うことで、父親を目前にして落ち着かない忠兵衛の心理が浮かび上がる。寺に寄進する予定だった金を「嫁」に逃走資金として渡す義理の父親。

「めんない千鳥」(江戸時代の子供の遊び。目隠しをした「鬼ごっこ」のこと)で、手ぬぐいを目隠しに使って、梅川は、外に飛び出した忠兵衛と孫右衛門を事実上、会わせる。目隠しも梅川が外してあげて、親子の対面。家の裏から逃げよと父親が言う。二人が百姓家の中に改めて入ると、やがて、雪深い竹林の書割がふたつに割れて、舞台下手に雪の遠見と街道が透けて見える。いつもなら、百姓家の屋体は、物置ごと舞台上手に引き込まれる。人形浄瑠璃は、屋体は、逆に下手に引き込まれる。百姓家の周りが雪深い密集した林だったのだと判る。

贅言;舞台下手に花道がある歌舞伎の場合は、出入り口が、下手に設定される。花道がない、人形浄瑠璃は、状況設定により、屋体の上手側、下手側に、自在に出入り口が設定される。引き道具で、屋体が上手、下手へと自由に設定できる。

舞台は次へ、展開。百姓家の横側、竹林越しの御所(ごぜ)街道と雪山の嶺が連なる雪遠見に替わる。黒衣に替わって、白い衣装の雪衣(ゆきご)が、舞台奥からすばやく出て来て、本舞台に残った道具(孫右衛門が使っていた茣蓙と椅子)を片付ける。逃げて行く梅川・忠兵衛は、上手奥から再び姿を現す。霏々と降る雪。雪音を表す「雪おろし」という太鼓が、どんどんどんどんと、鳴り続ける。さらに、時の鐘も加わる。憂い三重。竹林の向こうを通って、舞台上手から下手へ進んだ後、下手から上手へスロープを上がってさらに奥へ行く二人。白黒、モノトーンの世界に雪が降り続く。孫右衛門がよろけると、木の上に積もっていた雪が落ちる。孫右衛門も、鼻緒の切れた下駄を梅川に紙縒りで応急措置をしてもらったが、結局履かずに素足のまま。逃げる方も逃がす方も、素足で我慢。

歌舞伎の所作事

歌舞伎の所作事「道行故郷の初雪」:梅川忠兵衛の新口村の実家への逃避行、通称「新口村」。1711(正徳元)年、近松門左衛門は、大坂竹本座で、人形浄瑠璃「冥途の飛脚」を初演した。「梅川忠兵衛もの」と呼ばれた、この系統の演目が、1796(寛政8)年、大坂角の芝居で、歌舞伎化され、「恋飛脚大和往来」という外題で初演された。稼業の「飛脚業」で公金使いという罪を犯し、死を覚悟した忠兵衛が遊郭から恋人の梅川を連れ出して、忠兵衛の実父が住む故郷の大和国新口村へ向かう。今生の別れを告げる逃避行だ。滅びの美学。私たちに明日はない、という破滅型の人生に美学を見つける、という演目。

1854(嘉永7)年、江戸中村座。「新口村」は、八代目仁左衛門の主演で、所作事として、新たに「道行故郷の初雪」という外題がつけられて初演された。今回の演目は、その系統の舞台である。

20年2月、歌舞伎座。幕が開くと、無人の舞台。全面を浅葱幕が覆っている。清元の置浄瑠璃に続き、浅葱幕が振り落とされると、舞台中央に立つ男女の姿が、いわば、クローズアップされる。黒地に比翼紋の入った揃いの衣装を着た足元だけが見える。周りは、雪を被った竹林。天地左右前後、白銀の世界だ。客席すらシルバーワールド。二人は、雪の中にも関わらず、素足だ。茣蓙で上半身を隠している。茣蓙を跳ねるように外すと、梅川・忠兵衛という若いカップルが姿を現す。公金使いの男と遊郭から抜け出した遊女。指名手配の犯罪者たちだ。大坂から逃げてきたのだ。梅川は、秀太郎。忠兵衛は、梅玉が演じる。やがて、真っ白い竹林の書割が左右に開き、新口村の村境へ、二人は辿り着く。

この演出は、馴染みのある「新口村」と若干、違う。今回の演目「道行故郷の初雪」は、所作事に特化して、洗練されている。例えば、「出口」、というか逃げ場のない真っ白な竹林。舞台の背景全体が、天地、白一色の銀世界。竹林には、道があるのか。やがて、竹林の書割が左右に開き、新口村の村境へ、二人は辿り着く。舞台中央下手に、「新口村」の道標と孤独な地蔵さん。たった一人で雪を被っている。中央上手には、百姓屋と納屋。遠方には、厳しい山容の雪山の峰々が見える。寒かろう。白一色の孤独な世界の中で若い二人のみ、黒装束。もちろん客席は、カラフル。

贅言; 万才松太夫が、登場するのは、今回が初めて(あるいは、戦後では初めて)。松緑のための配役か。万才の登場は、「節季候」の趣向なのだろう。

下手から万才の松太夫(松緑)の登場。戦後演じられたこの演目で、初めての万才役の登場。二人の逃避行の姿を見て、松太夫は、「これが、噂に聞いた二人」と直感する。犯罪者たちの逃避行中という噂にトンと合点が行きながら、おくびにも出さずに、二人を慰めるために、門付の踊りを披露する。万才の男は、松緑のために作ったような配役ではないか。やがて、松太夫も去り、捕り方が近づいていることを示す太鼓の音が鳴り響く。百姓家が納屋ごと引き道具で上手に引き込められる。百姓家の後ろに雪のあぜ道。さらに、遠方に雪山の峰々。下手奥から逃げ延びようと竹林に入る梅川・忠兵衛の背中を見せながら、幕。逃げ延びようとする梅川・忠兵衛の背中を見せながら、幕。舞踊劇の華やかさを求める。人形浄瑠璃の芝居は、細部の丁寧に演じている。


ダイナミックなチーム「勧進帳」


「勧進帳」は、元々、能の「安宅」。歌舞伎では、四代目市川團十郎の「御摂勧進帳」を経て、七代目市川團十郎が、弁慶の役を大きくして、「勧進帳」を新規に創作した。「鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)」は、1895(明治28)年、大阪の稲荷座で初演された。作曲は、二代目豊澤団平。その後、手が加えられ、1930(昭和5)年大阪の四ツ橋文楽座で、外題も「勧進帳」として初演された。弁慶の首(かしら)も、「団七」から「文七」に替わった。「延年の舞」などの場面を長めに改良した。筋立ては、歌舞伎に拠っているが、浄瑠璃の詞は、能に近い、という。

人形浄瑠璃では、例えば、今回上演の「鳴響安宅新関」のうち、「勧進帳の段」では、歌舞伎と違って、群像劇としての「勧進帳」を大事にしているように見える。弁慶が、軸になっているが、歌舞伎ほど弁慶がスターになっていないように思える。弁慶と義経の四天王が、人間戦車のように、ワンチームと化した重量感を持ち、地響きを立てながら、関所を突破して行くイメージを抱いた。延年の舞も大合奏の迫力がある。弁慶は、きびきびした男舞を見せる。背景の書割が、山から海辺へ替わるのが、新鮮。実際に安宅の関跡は、かなり、海辺に近いのである。三人の人形遣いは、ここから、全員が顔出しとなる。最後に、弁慶が、歌舞伎とは違う飛び六方を踏んで見せてくれる。お見逃しなきよう。

特に人間戦車の司令塔になっている弁慶は、延年の舞含めて、重量級を感じさせる。動きに重量感、機動力を感じさせる。人形浄瑠璃の勧進帳は、歌舞伎の勧進帳の場面よりも、原型に近いのではないか、という印象がある。
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