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2020年02月20日14:47

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2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部/錣太夫の襲名披露

20年2月国立劇場(人形浄瑠璃)・第二部「新版歌祭文」「傾城反魂香」



津駒太夫、六代目錣太夫襲名



2月の国立劇場は、浄瑠璃の津駒太夫が六代目錣太夫として襲名披露の舞台である。

第二部のうち、「傾城反魂香」の浄瑠璃「奥」の語りの前に披露された。人形浄瑠璃の人形遣いや浄瑠璃の太夫らの襲名披露、あるいは、引退の披露などの舞台は、私も何回か観ているが、今回は、いかに。

「錣(しころ)」とは、兜(かぶと)や頭巾の左右、後ろに下げて、首筋を覆って、保護する役目を持つ。大相撲では、錣山親方も「錣」という字を使用している。歌舞伎の演目では、「錣引」というのがある。屋島の戦いで、平氏方の平景清と源氏方の美尾谷(みおのや)十郎国俊が格闘した際、強力の持ち主の戦いゆえ、国俊の兜の錣が切れてしまったというエピソードが残されていて、この伝説が、歌舞伎でいろいろ潤色され、さまざまな趣向で演じられている。

歴代の錣太夫は、詳細不詳だが、五人いる。初代豊竹錣太夫は、1840(天保11)年―1883(明治16)年の人。江戸生まれの人だった。二代目竹本錣太夫、三代目豊竹錣太夫は、ともに、生没年経歴も不詳という。一部、明治期の舞台の出演記録は、ある。四代目も不詳。五代目竹本錣太夫は、1876(明治9)年―1940(昭和15)年の人。東京出身。子供太夫として出発。竹本錣太夫、あるいは豊竹錣太夫と名乗るが、再び、竹本錣太夫に改める。芸域が広く、チャリ(笑劇)場や入れ事(アドリブ)を得意とした。そして、今回の六代目竹本錣太夫となる。1949年生まれ。1969年、四代目竹本津太夫に入門。津駒太夫を名乗る。1970年、朝日座で初舞台。1989年、五代目豊竹呂太夫の門下となる。それゆえ、今回の襲名披露でも、当代の呂太夫が、介添え役となって口上を勤めた。二人は、三味線の宗助を間に挟んで、盆回しに乗って、舞台上手に現れる。呂太夫の披露の口上が座を盛り上げるが、歌舞伎の襲名披露のような華やかさは、無い。

今回の上演は、「傾城反魂香」のうち「土佐将監閑居の段」。浮世又平の絵師としての苗字へのこだわり。聾唖へのコンプレックスなど、通称「吃又」という表記も含めて、歌舞伎の封建的な価値観の残滓は、いつ観ても、不愉快だが、ここは封建時代の善人噺として、観ているしかない。今回は、津駒太夫、改め、六代目錣太夫の襲名披露の舞台。ご祝儀代わりに観劇。皆の出世譚として、許容するか。

人形浄瑠璃の「傾城反魂香」は、12年5月、私は国立劇場で初めて観ている。
「傾城反魂香」は1708(宝永5)年、大坂・竹本座で初演された。後に、1719(享保4)年、歌舞伎化されている。この舞台で、近松門左衛門原作のお家騒動ものから脱した。又平は出世譚の主人公に躍り出た。以後、よく上演されるようになった。私も歌舞伎では、何回も観ている。今回も歌舞伎との違いをチェックしておきたい。

人形浄瑠璃の「傾城反魂香」では、修理之介が絵から抜け出て騒がせている虎を筆で消す場面が、歌舞伎とは違う。歌舞伎では、将監の屋敷から一旦外に出た修理之介が下手の竹藪に潜む虎と正対して、筆で消すが、人形浄瑠璃では、屋敷の部屋の中に居たまま、虎の絵とは横向きとなる形で、虎を消していた。また、歌舞伎では、師匠の将監から名字帯刀を許された後、浮き浮きとしながら、正装の裃袴姿に着替えるが、人形浄瑠璃では、着替える場面がない。又平は、初めから裃姿。

さらに、又平が描き、手水鉢突き抜けて、向こう側に自画像の姿絵(女房の勧めで、又平は手水鉢を墓の石塔と想定し、戒名の代わりに自画像を描いて、自害しようとする場面)が浮き上がる(抜け出る)が、この場面は、歌舞伎の仕掛けでは、手水鉢の中に人が入って絵を描くので、滲むようにジワジワと絵が出てくるが、人形浄瑠璃では、ドロドロの鳴り物入りで、一瞬のうちに絵が抜け出る仕掛けになっているという(児玉竜一早稲田大学教授)。

人形浄瑠璃では、さらに、その手水鉢を将監が真っ二つに斬ると又平の吃りがたちまち治るという、ご都合主義的な奇蹟の場面がある。「直った直った」。また、又平が早口言葉を言って、吃音が治ったことをことさらに強調している。「傾城反魂香」は歌舞伎作者から人形浄瑠璃作者に転じた近松門左衛門が歌舞伎味を活かしながら、人形浄瑠璃の台本を書いた。門左衛門原作を、後に吉田冠子(人形の三人遣いを創案した人形遣の吉田文三郎のペンネーム)らによって、又平の見せ場(人形の動きを重視した)を増やすために改作されているが、今回は、その改作の台本を使用しているので、吃音が治り、早口言葉を言う場面が出て来る。改作後の入れ事が残された。襲名披露に好まれる演目らしい、お祝いの場面。

さらに姫君救出の命を受けた又平が、肩衣の両肩を脱いで出立する。人形遣いは、又平を勘十郎、女房のおとくを清十郎、土佐将監を玉也、将監奥方を文昇ほか。錣太夫の襲名披露らしい豪華な配役。幕間のロビーで、錣太夫に祝意を伝え、ちょっと話をした。

浄瑠璃:「口」が、希太夫。三味線:團吾。浄瑠璃:「奥」が、錣太夫。三味線:宗助。ツレが、寛太郎。

「新版歌祭文 野崎村の段」は、1780(安永9)年、9月に大坂竹本座が、初演。「新版歌祭文」は、1710(宝永7)年、大坂で起きたお染・久松の情死という実話が元になった狂言。大坂の大店油屋で大事に育てられた娘と武家出身で複雑な家庭環境に育ったイケメンの若い使用人の心中物語という「お染・久松もの」の世界。近松半二ほかの原作。上下二巻の世話浄瑠璃。当時、この事件を元に歌曲、浄瑠璃、歌舞伎が、つくられたが、近松半二らが、それを集大成した。歌舞伎では、「妹背山」の「山の段」(歌舞伎では、「吉野川」)同様に、左右対称の舞台装置を得意とする半二劇の典型的な演劇空間で、本来の演出では両花道(本花道、仮花道)を使う。時に、本花道だけの演出もある。花道の無い人形浄瑠璃の舞台では、この場面を、どういう演出で上演するのか、見所のポイントの一つになるだろう。

歌舞伎も人形浄瑠璃も、「野崎村」という通称に示されているように、この場面だけを観ると、軸となるのは、野崎村に住む久作と後妻の連れ子のお光(今回の人形浄瑠璃では、おみつ)の物語となる。大坂の奉公先で、お店のお金を紛失(久松が盗んだという嫌疑もかけられる。実は、冤罪)し、養父・久作の家に避難して来た養子の久松、久松と恋仲で久松の後を追って訪ねて来たお店のお嬢さん・お染、さらに、お染を追って来たお染の母・お勝が登場し、お染も、久松も、店に戻されるという展開になるだけの話。皆、野崎村に来て、お騒がせをして、帰って行く。しかし,軸は、おみつと義父・久作であることを忘れてはならない。髪を切り(尼になる)、人生の岐路を曲がってしまうのは、おみつであり、それを健気だと慈しむのが、久作であるからだ。

大坂の油屋の手代小助に連れられて久松が帰って来た。久松が金を盗んだとして、久松の実家に掛け合いに来たのだ。実際に盗んだのは、この小助なのだが、小悪党の小助は、さらに金をゆすり取ろうという魂胆である。強欲にして小心者の小助の人間性が浮き彫りになる端場として知られ、この場面は「あいたし小助」という通称がある。歌舞伎では、ほとんど上演されないようだ。虫の知らせか、途中から引き返して来た久作が、小助と応対し、藁苞にいれていた金を小助に渡すと、小助は、大坂に戻って行く。

この後は、歌舞伎でもお馴染みの場面となる。久作の後妻の連れ子のおみつは、養子の久松との婚礼を楽しみにしている。事情はどうあれ、恋しい久松が、戻って来たので、嬉しいおみつ。そこへ、大坂から野崎参りにかこつけてお染がやって来る。おみつは、若い女性の直感で、お染を「恋敵」として、鋭く認識する。お染持参の土産物の服紗を投げ返したり、門の戸を閉めたり、娘らしい嫌がらせをする。三角関係と嫉妬。おみつが、久作とともに、奥に引っ込むと、お染は、久松に詰め寄る。山家屋に嫁ぐ話が進んでいるお染は、久松の真意が知りたいと焦っている。既に、男女の仲になっているお染・久松。処女の田舎娘のおみつ。「深き契り」の様を壁越しに肌で感じたおみつのとるべき途は? ということで、恋敵お染の存在を知り、奥で、髪を切り、尼になったおみつ。処女は、修道女(尼)になるつもりだ。

そこへ、大坂からお染の母親が、訪ねて来て、結局は、お染・久松の二人を大坂に連れて帰ることになる。小助のからみを除けば、大筋は、歌舞伎も人形浄瑠璃も、同じだ。だが、幕切れ近い、ここから、先が違って来る。

歌舞伎では、舞台が回り、久作の家の裏手の舟着き場が現れる。水布が敷き詰められて、川となった本花道から、お染と母親を乗せた舟が大坂を目指す。土手の街道となった仮花道から、久松を乗せた駕篭が大坂を目指す。

人形浄瑠璃では、舞台の構造上、そういう演出は取れない。舞台下手手前に川があり、下手小幕から出て来た屋形舟にお染と母親が乗る。母親が乗って来て、下手奥の袖に置かれていた駕篭に、代わりに久松が乗る。「死んで花実は咲かぬ梅、一本花にならぬ様にめでたい盛りを見せてくれ。随分達者で」と、久作。

やがて、舞台の久作宅の大道具(屋体)が、本舞台奥に引き入れられる。引き道具という演出だ。山の遠見が舞台の上から降りて来る。本舞台前面が、川になる。川の奥が、土手になる。川には、障子を締め切った屋形舟(両脇が、黒い布で、隠されている)を大男の、力士のような太った船頭が舟を漕ぐ。漕ぎながら、体操まがいの動きをさせて、「チャリ場」(笑劇)を演じる。駕篭の簾を垂らしたままで、駕篭が、下手から上手に移動し、舞台中央の辺りで、駕篭かきに休憩をさせて、汗を拭わせる。歌舞伎なら、本花道で屋形舟の障子を開けて、お染の顔を覗かせるし、仮花道で、駕篭の簾を開けて、久松の顔も覗かせる。別れ別れの道行を観客に見せつける。見せつける時間稼ぎのために、駕篭かきに汗を吹かせたりしてチャリ場を演じさせる。ここは、歌舞伎も人形浄瑠璃も同じ。歌舞伎も人形浄瑠璃も、この場面では、早間の三味線が、ツレ弾き(2連で演奏)されるが、実は、この場面は、歌舞伎の方が視覚的に演出する。

3人遣いの人形を屋形舟には、ふた組(つまり6人、船頭の3人遣いを入れれば9人か)、駕篭には、一組乗せている、という想定。これを実際に本舞台の下手から上手へ移動させることは出来にくいだろうと私は推察した。

その結果、歌舞伎なら、本舞台土手上の久作の家では、死を覚悟したお染・久松の恋に犠牲になり、髪を切り、尼になったお光が、そこは、若い娘、大坂に帰るお染の乗る屋形舟と久松の乗る駕篭をにこやかに見送りながら、舟も駕篭も見えなくなれば、一旦,放心した後、我に返ると、狂ったように、父親に取りすがり、「父(とと)さん、父さん」と泣き崩れる娘の姿があった。まだ、尼(修道女)になりきれない、若い処女の、最後の真情発露であろう。人形浄瑠璃では、そういう余韻は無いので、こういう場面も無い。野崎村の場面で、歌舞伎と人形浄瑠璃は、幕切れ直前に演出が大きく異なるのである。

人形役割は、以下の通り。
おみつ:簑二郎。久作:勘寿。久松:玉助。お染:清五郎。お勝:紋臣。船頭:玉誉。

浄瑠璃:「中」が、睦太夫。三味線:勝平。「前」が、織太夫。三味線:清治。
「切」が、咲太夫。三味線:燕三。ツレが、燕二郎。
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