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2019年12月11日18:02

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12月国立劇場・高麗屋の「盛綱陣屋」・「蝙蝠の安さん」

19年12月国立劇場(「盛綱陣屋」、「蝙蝠の安さん」)


白鸚28年ぶりの「盛綱陣屋」


二代目松本白鸚が、1991年10月国立劇場公演以来、28年ぶりに「盛綱陣屋」の佐々木盛綱を演じる。白鸚は、九代目幸四郎という高麗屋の大看板の名跡を息子の染五郎に譲り、染五郎は、その名跡を息子の金太郎に譲った。高麗屋三代の同時襲名の結果である。1981年10月、当時、染五郎という名前であった二代目白鸚は、幸四郎という名跡を父親から譲り受けた瞬間から幸四郎になりきろうとして、父親を始め高麗屋所縁の先人たちの「幸四郎藝」を引き継ぎ、それを発展させることに専念をしながら、自分の九代目幸四郎時代を築き上げてきた。例えば、弁慶役は、1100回を越えて、何回も演じた。弁慶役を細部まで磨き上げた。父親の八代目幸四郎が1600回以上も弁慶を演じたので、それの並ぼうと精進してきたのである。それゆえに、九代目には、若い頃演じたまま、その後、封印してきた役どころもあった。「盛綱陣屋」の佐々木盛綱も、そういう役どころの一つであった。盛綱役は、それゆえの、28年の空白であった。

この高麗屋三代の襲名披露が、初代白鸚としてはただ一回、そして生涯最後の舞台となった。晩年に発症したベーチェット病が進行して、この頃には全身に痛みが走って思うように体を動かせず、襲名披露の舞台での、平伏の挨拶も苦痛に堪えながらやっとし遂げたという。従って、二代目白鸚は、初代白鸚が、ほとんど踏み出せなかった「白鸚藝」という未知の世界へ、いま踏み出しているのである。

その九代目幸四郎も、八代目幸四郎の没後36年となった2018年1月には、二代目白鸚を襲名した。さらに、九代目の長男である七代目染五郎が十代目幸四郎を、その長男である四代目金太郎が、八代目染五郎をそれぞれ襲名し、前回の高麗屋三代同時襲名を再びやり遂げてみせた。これ以降、二代目白鸚は、若い頃に演じたまま、その後「封印」(あるいは、時間的制約に拠る「抑制」かもしれない)してきた役どころに、改めて挑戦し始めたのである。二代目白鸚は、来年1月で、襲名以来まる2年となる。若い頃演じ、その後、封印してきた役柄に、既に、いくつも挑戦している。

さて、「盛綱陣屋」。私は、今回で、9回目の拝見となる。鎌倉時代に設定されているが、実は、徳川家康と豊臣秀頼の「大坂の陣」を素材にしている。家康が、鎌倉方。秀頼が、京方と別れる。1769(明和6)年12月大坂竹本座で全九段の人形浄瑠璃として初演された。翌年歌舞伎化されて、大坂中の芝居で初演されている。原作は、近松半二らの合作。

今回の主な配役は、白鸚が鎌倉方の知将・佐々木盛綱。彌十郎が京方の赤面(あかっつら)の和田兵衛(後藤又兵衛がモデル)。この人も、知将だろう。鎌倉方の策士の大将・北條時政(家康がモデル)が楽善。佐々木盛綱高綱兄弟の母・微妙が吉弥。兄が佐々木盛綱(真田信幸がモデル)、弟が高綱(真田幸村がモデル)。高綱本人は、今回の芝居では、出番はないが、智略の武将。弟の高綱の妻・篝火が魁春。兄の盛綱の妻・早瀬が高麗蔵。妻同士の戦い。ご注進のふたり、「道化の注進」で知られる伊吹藤太が猿弥。「アバレの注進」で知られる颯爽たる信楽太郎が幸四郎。ご馳走の配役ほか。

コンパクトに舞台の大状況をお浚いすると、「盛綱陣屋」は、大坂冬の陣での、豊臣方の末路を描いた時代物全九段人形浄瑠璃「近江源氏先陣館」の八段目である。複雑な筋立てを得意とした近松半二らの作品だ。物語は、半二劇独特の、対立構造を軸とする。まず、鎌倉方(陣地=石山、源実朝方という設定、史実は、徳川方で、家康役は、北條時政として出て来る)と京方(陣地=近江坂本、源頼家方という設定、史実は、豊臣方。従って、劇中の坂本城は、大坂城のことである)の対立。鎌倉方に付いた佐々木三郎兵衛盛綱(兄)と京方に付いた佐々木四郎左衛門高綱(弟)の対立(実は、兄弟で両派に分かれ、どちらが勝っても、佐々木家の血を残そうという作戦)。

盛綱高綱兄弟対立の連鎖で、「三郎」兵衛盛綱の嫡男・「小三郎」と「四郎」左衛門高綱の嫡男・「小四郎」の対立。盛綱の妻・早瀬と高綱の妻・篝火の対立という具合に、対比は、重層的、かつ、綿密になされている。兄弟対立の上に位置するキーパーソンは、老母・微妙だ。重責の役どころ。だから、難役。

高綱は、舞台には出て来ないが、贋首として、「出演」する。兄の盛綱に切首として対面し、謎を掛ける。立役は、盛綱、和田兵衛、北條時政。女形は、早瀬、篝火、微妙。子役は、小三郎と小四郎で、高綱以外は、皆、登場。

半二劇の物語の展開は、筋が入り組んでいる。「盛綱陣屋」では、ポイントは、小四郎の動きである。兄弟の血脈を活かすために、一役を買って出た高綱の一子・小四郎が、伯父の盛綱を巻き込む。父親の「贋首」の真実を担保するために、首実検に赴いた北條時政を欺こうと、小四郎が自発的に切腹する。

この見せ場のベースは、高盛・小四郎対時政の対峙。甥の切腹の真意(父親を助けたい)を悟る盛綱は、主君北条時政を騙す決意をし、贋首を高綱に相違ないと証言する。根回し無しで、自分の嫡男の命をぶら下げて、無謀な賭けを仕掛けて来た弟の高盛の尻拭いをするために、主君に対する忠義より、一族の血縁を優先する。血族(兄弟夫婦、従兄弟)上げて協力して、首実検に赴いた時政を欺くという戦略だ。発覚すれば、己の命を亡くすと、知将・盛綱は瞬時に頭を巡らせた上で覚悟をしたのだ。小四郎が、大人たちの知謀の一環に子どもながら知恵を働かせて一石を投じたのだろう。小四郎の配役を重視することが多いが、今回は、そういう配役には、なっていないようだ。

盛綱は、息子・小四郎との関係を軸にしながら、弟・高綱の目論見が、観客に次第に見えて来るという、芝居の筋立てにそって変化する心理描写をきちんとトレースして行く必要がある芝居だ。内面を外面に次第に滲ませて行く。形の演技から情の演技へ。目と目で互いに意志を伝えあいながら、甥の命がけの行為を受けて、主君・時政を裏切り、自分も命を捨てる覚悟をする。主従関係より一族の血脈を大事にする。盛綱の、そうした変化が、観客の胸にストレートに入って来る。白鸚の演技は、科白も控えめ、所作も控えめ。舞台には浄瑠璃の太棹の音だけが響く。28年ぶりに演じる、という白鸚を軸にした静謐な場面が続く。歴代の盛綱役者では、初代鴈治郎、十五代目羽左衛門、初代吉右衛門が、歴史に名を残している。当代の白鸚は、祖父の初代吉右衛門から父の八代目幸四郎を経て継承された盛綱像を再現している。

京方の使者・和田兵衛は、赤面(あかっつら)の美学ともいうべきいでたちである。黒いビロードの衣装に金襴の朱地のきらびやかな裃を着け、朱塗りの大太刀には、緑の房がついている。荒事のヒーローのようで、歌舞伎の美意識が、豪快な人物を形象化するが、兵衛もなかなかの知将ぶりを見せる。彌十郎が演じる兵衛は、軍兵に前後から槍を突きつけられながら、両手を懐手にして、堂々と花道を去って行く武ばったところも、この役の見せ場である。


チャップリン歌舞伎「蝙蝠の安さん」


この演目は、チャップリンの代表作、サイレント映画「街の灯」を歌舞伎化した作品である。しかし、チャップリンの映画をそのまま歌舞伎化したわけではない。チャップリンの映画「街の灯」は1931年1月、伴奏音楽入りのサイレント映画として、アメリカのロスアンジェルスの劇場で上映され、その後、世界中でヒット上映された。日本での初公開は、1934(昭和9)年。公開前にこの映画に目をつけたのが、劇作家の木村錦花であった。

贅言;木村錦花という人物については、11月の歌舞伎座・昼の部の「研辰の討たれ」の原作者として、11月の劇評で触れた。木村錦花は、歌舞伎役者をしながら、戯曲や小説も書いた、という。二代目左團次の明治座興行の際、主任を勤め、左團次とともに入社した松竹では、後に取締役になった。なかなか、器用な人だったようで、世渡りもうまかったのだろう。

木村錦花は、当時人気のあった8月歌舞伎の演目「弥次喜多もの」に変わる新たな素材を模索中に「街の灯」に巡りあたり、映画の封切り前で情報が乏しい中で、映画雑誌の短い記事(筋書き)や海外で映画「街の灯」を見てきた十五代目羽左衛門らの話を頼りに歌舞伎作品に仕上げた。「切られ与三」(「与話情浮名横櫛」)の脇役の名前(蝙蝠安)だけを借用して、1931(昭和6)年8月歌舞伎座で初演された。元々は、新聞連載読み物が、原作であった。

歌舞伎初演では、十三代目守田勘弥が、主人公の蝙蝠の安さんを演じた。安さんの「弱っ腰でお人好し」のところが、「街の灯」の主人公の「放浪者」に合うと思ったという趣旨のことを言っていたそうだ。その日暮らしなのに、人の世話を焼きたがる、そういう好人物である。蝙蝠の安五郎は、右の頬に蝙蝠の刺青を入れ、鼻の下にちょび髭を貯える。

「蝙蝠の安さん」は、チャップリンファンの当代幸四郎が、チャップリンの「街の灯」から直接ではなく、木村錦花の歌舞伎作品にさらに磨きをかけて、それを再演するという構想への挑戦であった。「30年来の念願が叶い感激している」という。幸四郎のイメージする安さんの人物像は、「金も名誉もないけれど情にもろく心は紳士という人物」だそうな。私は、この演目は、今回が初見。今回の興行は、「チャールズ・チャップリン生誕130年」と銘打たれている。

今回の場面構成は、以下の通り。
序幕「両国大仏興行の場」、二幕目第一場「大川端の場」、同 第二場「上総屋の奥座敷の場」、同 第三場「八丁堀の長屋の場」、同 第四場「奥山の相撲の場」、三幕目第一場「上総屋の奥座敷の場」、同 第二場「茅場町薬師堂裏の場」、大詰「浅草奥山の茶店の場」。

今回の主な配役は、次の通り。蝙蝠の安さんは、幸四郎。草花売りの娘・お花は、新悟。上総屋新兵衛は、猿弥。お花の母・おさきは、吉弥。大家勘兵衛は、友右衛門。このほか、人物の数が多く、大部屋の立役、女形の皆さんが、熱演している。

初見の劇評記録なので、粗筋をコンパクトながら、少し詳しく書いておこう。
序幕「両国大仏興行の場」。花道は、なぜか、黒い布で覆われている。場内は、暗転後は、終演まで、暗いまま。いつものようにメモが取れないので、劇評が書きにくい。

映画「街の灯」のオープニングの場面は、記念碑の除幕式。チャップリン扮する「放浪者」が、石像の上で、眠り込んでいる。今回の歌舞伎では、場内は、新作歌舞伎らしく緞帳がしまっている。やがて、暗転。場内が真っ暗になる。薄明るくなると、建元の柳屋清吉(幸蔵)が、花道で披露の口上を述べる。舞台には、五色の幕が3つかかっている。幕の前では、人々が、除幕を待っている。幕が取り払われると、舞台には、デフォルメされた大仏の掌や鼻などがある。奈良の大仏を真似た両国大仏の披露、という場面。高みの大仏の掌の上で、何者かが寝込んでいるようだ。風来坊の蝙蝠安さん(幸四郎)だ。右頬に蝙蝠の刺青がある。皆が騒ぎ立てるので、清吉が安さんを咎め、追い立てる。大仏の体内を逃げ回る安五郎。鼻の穴から顔を覗かせてあかんベーをする始末。映画「街の灯」から「盗用」したオープニングか。以下、このような「いただき」は、いろいろあるらしいが、映画「街の灯」未見の身には、何も言えない。

二幕目第一場「大川端の場」。舞台には、大川にかかる橋がある。大川は、舞台から花道まで黒い布で覆われている。黒い布は、道にも川にもなる。橋の上には、数人の人々がいる。草花売りの娘・花が、人々に花を売っている。この場面は、安さんにとって、二つの出会いがあるのがポイント。お花(新悟)が誤って安さんに水をかけてしまう。お花が盲目だということに安さんも気がつく。不憫に思った安さんは、売れ残った花を全部買い取る。お花は、安さんを金持ちの旦那と勘違いする場面だ。もう一つの出会いは、橋下のむしろ小屋に帰った安さんが、上総屋新兵衛(猿弥)と出会う。ヤケになって、酔っ払った勢いで川に飛び込もうとする新兵衛、それを助ける安さん。はちゃめちゃの手順通りの喜劇。ここは、安さんの人に良さを浮き彫りにする演出。

同 第二場「上総屋の奥座敷の場」。新兵衛に気に入られた安さんは、上総屋に招かれる。新兵衛は、実は、酒乱。その上、素面の時と酔っている時は、別人格という、いわば二重人格的な性格の持ち主。二人の新兵衛に翻弄される安さん。ここも、安さんお善良さが描写される。

同 第三場「八丁堀の長屋の場」。お花と母親のおさき(吉弥)が住む長屋。母一人、娘一人の貧しい生活。金持ちの旦那を装って様子を見にきた安さん。親切な大家(友右衛門)からいろいろ情報を聞き出す。笑いを滲ませたチャップリン劇の味わい。

同 第四場「奥山の相撲の場」。映画「街の灯」では、娘の目の治療のためにチャップリンが賭けボクシングに参加するが、こちらは、賭け相撲。賞金の5両を目指して、飛び入り歓迎。相撲小屋には、三役の力士に飛び入りで勝ったら、賞金の五両を進呈する旨書いた張り紙(「舌代」と書いてある)が掲げられている。第四場は、途中で場面が転換される。相撲小屋の外から、土俵のある場内へ。道具幕の振り落としで場面展開。お花のためにと、張り切って賭け相撲に参加した安さんだったが、やはり最後は負けてしまう。

三幕目第一場「上総屋の奥座敷の場」。再び、上総屋の奥座敷。酔いがまわると、安さんのことを思い出す新兵衛が、また、安さんを連れて帰ってきた。新兵衛にお花の治療費を無心すると、新兵衛は、快諾してくれる。しかし、目が醒めると、忘れている。特に、その夜は、奥座敷に泥棒が入って、逃げていった。町方を呼んで捜査を依頼する。治療費5両借りている安さんは、状況が悪すぎる。疑われる安さん。逃げ出す安さん。善人ゆえに、ややこしい立場に追いやられる。安さんを追う手先の梅吉(幸蔵)。暗転し、舞台は廻る。

同 第二場「茅場町薬師堂裏の場」。安さんと梅吉の追っかけ劇。チャリ(笑い)場。お花に治療費を手渡した後、梅吉のお縄につく安さん。見返りを求めない安さんの真骨頂の場面。

大詰「浅草奥山の茶店の場」。お花が、花屋で働いている。芸者衆が忘れていった扇子に気がつくお花。お花の視力が戻ったようですよ。その様子を店の外からじっと見ている一人の男。お花と再会した安さんだ。それでも、お花に声をかけることができない。訝ったお花が声をかける。お花から餞別にもらった一輪の菊の花。結局、何も言えずに、立ち去ろうとする安さん。訝しがりながらも、安さんが、恩人だと気がつかないお花。このまま、すれ違ってしまうのか。安さんが落とした一輪の花を拾って手渡そうと、安さんの手を握ったお花は、その指先の感触で、その人が恩人だと悟るお花。それでも、お花とおさきは、突然の恩人出現に動揺し、何も言えずに、呆然としたままである。蝙蝠の安さんは、「お花さん。お花をありがとうよ」の一言を残して、花道から立ち去る。人情喜劇。大人向けのファンタジーのような新作歌舞伎であった。

★★★★★追記:今月と来月は、「私事」に対応するので、歌舞伎や人形浄瑠璃の観劇をしたり、劇評を書いたりする時間が制限されるので、十分に対応できず。悪しからず。


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