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2019年10月15日10:32

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10月国立劇場「天竺徳兵衛韓噺」のけれんみ

19年10月国立劇場(通し狂言「天竺徳兵衛韓噺」)



鶴屋南北の出世作



「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべいいこくばなし)」は、1802(文化元)年、初演。南北(1755年生まれ〜1829年没)の47歳の作品。演じたのは、初代尾上松助(おのえまつすけ:後の初代松緑)が、61歳の時であった。南北が松助のために書き下ろした。南北の出世作。この作品は、代々、尾上菊五郎を頂点とする音羽屋型として、伝承された。幕末期に初演された、江戸の「けれん」歌舞伎の走り、という位置付けの記念碑的作品。

「天竺徳兵衛韓噺」では、徳兵衛の妖術使いの場面が、「けれん」の演出で披露される。象徴的な場面は、異様のもの「大蝦蟇」が、屋敷の大屋根の上に出現。蝦蟇は、屋敷を押し潰す(「屋体崩し」)。大蝦蟇の上に突如登場する徳兵衛。水中を泳ぎ歩くような独特の「水中六法」。「本水」を使った「早替り」で、徳兵衛は、奇想天外、神出鬼没の活躍をする。


南北歌舞伎の趣向


「綯交(ないま)ぜ」という趣向:全く性質の異なる「世界」(芝居の世界のこと)構築のために、縄をなうように、二つの物語(コンセプト)を綯交ぜにする展開を特徴とした。物語A(今回は、将軍家のお家騒動)、物語B(徳兵衛の異国漂流体験)を綯い交ぜにして、別の物語C(徳兵衛の正体は、国崩しの極悪人)を創造する。南北の真骨頂といえる。また頽廃と怪奇の中に毒のある笑いを加味したその作風は、文化文政期の爛熟・退廃した商人の感性を代弁した。その時その時における庶民の生活を、写実的(本当のこと)ではないにせよ、とにかくリアル(現実的、ありえそう)に描くことに徹し、悪人たちが引き起こす事件を乾いた視線で描写する作風は、次の世代の河竹黙阿弥(幕末期から明治初期に活躍)らにも影響を与えた。

「書き換え」という趣向:先行作品の旧い名作を下敷きに諧謔に富んだ作風で優れた書き換え狂言(芝居)を作った。著作権のない時代であった。また奇想天外な着想と現実主義に徹したリアルな背景描写(貧民の生活)も得意とした。世間の価値観の逆転に果敢に挑戦した。


今回の主な登場人物と配役


天竺徳兵衛:実は、木曽官の息子の大日丸。木曽官から妖術を習う。父親の野望(国家転覆)を引き継ぐ。→徳兵衛(芝翫)。成駒屋。初役。音羽屋型の演目に初挑戦。
吉岡夫妻。吉岡宗観:佐々木家の家老だが、実は、木曽官(もくそかん、今の中国、「大明国」の遺臣)、日本転覆を目論む。→宗観(弥十郎)、宗観妻夕浪(東蔵)。
佐々木桂之介:将軍家の重臣。→佐々木桂之介は、芝翫長男の橋之助が演じる。
銀杏の前:家中の梅津掃部の妹。→銀杏の前(米吉)。
梅津夫妻。将軍家の重臣で銀杏の前の兄:梅津掃部(又五郎)、梅津の奥方葛城(高麗蔵)。


今回の場面構成


通し上演なので、物語の発端として、序幕を演じる。序幕の上演は、国立劇場では、20年ぶり。

序 幕「北野天満宮境内の場」「同 別当所広間の場」
二幕目「吉岡宗観邸の場」「同 裏手水門の場」*極悪人の驚くべき告白。大蝦蟇登場。
大 詰「梅津掃部館の場」「同 奥座敷庭先の場」*「けれん」の連続。


芝居のあらすじ


当時の徳川幕政のルールに従って、時代を330年ほど前、室町期に移す。将軍足利義政(京の慈照寺の銀閣を建立した)の治世(将軍在職:1449年 ―1473年 )のフィクションとして想定。

二つのあらすじがある。
最初は、お家騒動=物語の発端、全体を通じている。
徳兵衛物語=途中から加わるが、物語の本編は、こちらである。

1)発端:お家騒動のあらすじ:将軍家の重臣・佐々木桂之介(かつらのすけ)は、将軍家の宝剣を紛失(実は、盗難)した上に、家中の梅津掃部(かもん)の妹・銀杏(いちょう)の前と恋仲(当時は、「不義」と言った)となり、お咎めを受け、佐々木家家老の吉岡宗観の屋敷に預けられ、引きこもっている。

2)本当の物語:天竺徳兵衛のあらすじ:芝居(歌舞伎・人形浄瑠璃)では、天竺徳兵衛は難破船(なんぱせん)の船頭で、異国を漂流した、と想定した。気鬱の桂之助に漂流体験を話すために吉岡の屋敷に呼ばれた。吉岡は、お家の宝剣紛失と佐々木桂之助と銀杏の前の逐電の責任を取って、自害する。その際、瀕死の吉岡は徳兵衛に驚くべきことを告白する。→ 吉岡宗観、実は、大明国の遺臣・木曽官(もくそかん)。実は、徳兵衛の父親。従って、徳兵衛は、木曽官の息子の大日丸となる。蝦蟇の妖術は、死の間際の父親から息子に伝授された。

実の親子の対面と「術譲り」(術伝授)の場面が見せ場となる。妖術を使って、日本国を転覆させろ、と父親は、今際の際に遺言する。徳兵衛は、「国崩し」(国家転覆)の極悪人(テロリストか)、という想定。
さらに父親から、蝦蟇の妖術を伝授されると、徳兵衛は、自由自在に妖術を使い始める。取り囲んだ捕手をよそに悠然と姿を消して行く。


鶴屋南北の魅力


南北の時代(背景)
19世紀半ば:日本では、幕末期。フランスでは、ナポレオンの時代。

江戸の町人の文化:1804年〜1830年(文化文政期)
歴史諸事件:1853年〜1869年
南北の生涯:1755年〜1829年。/享年74。

南北の時代に歴史が大きく「転換」する。幕末期。南北の生涯は、歴史諸事件の幕末期より、20年余り早いが、幕末期に通じる退廃の予兆を感じさせる。

1)文化文政期(1804年から1830年)を最盛期として、江戸を中心として町人文化が発展した。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳など。
江戸時代の中でも、町人文化全盛の時期。

2)幕末期の諸事件:黒船来航=外圧(1853年)から戊辰戦争=徳川幕府軍敗戦(1869年)。明治維新(元年)は、1868年。

3)2019年は、没後190年。南北は、庶民の出で、字を知らない。紺屋(染物職人)の息子。遅咲きの狂言作者(劇作家)。49歳で、やっと、立作者(たてさくしゃ。芝居のメインライター)。「天竺徳兵衛韓噺」は、南北50歳の出世作。70半ばで没するまで晩年の大活躍の結果、歴史に残る大劇作家となった。字は知らなくても、演劇の本質を掴む直観力は、抜群であった。


南北歌舞伎のおもしろさ


ジャーナリスティックなまでの、趣向の独自さ。独創性に富み、初代尾上松助とともに、「怪談物」を工夫。→ けれん味という演出を積極的に活用した。

七代目市川團十郎、三代目尾上菊五郎、五代目松本幸四郎らとともに、「生世話物」(生(き)とは、生の江戸言葉で科白を言い、当時の庶民生活を活写した)。いわば、現代のテレビの「生中継」の印象。

舞台装置の工夫。「東海道四谷怪談」などの「怪談物」では、大道具の十一代目長谷川勘兵衛と一緒に巧妙な舞台装置を創造し、歌舞伎の新しい表現を開いた。舞台装置も、「けれん」に参加。


「けれん」歌舞伎の特徴


けれん・ケレンとは? 「けれん」という言葉の意味。み
漢字で書くと外連・外連味(けれんみ)。「大げさな「はったり」、破天荒、あざとさ、ごまかし、目立ちたがり、誇張、フェイク(虚偽)、非常識、常識破り、受けねらい(俗受けをねらったいやらしさ)など。使われ方によって、ネガティブなニュアンス(けれんみが「ある」)を持ったり、ポジティブなニュアンス(けれんみが「ない」)を持ったりする不思議な言葉。

「けれん」を売り物にする歌舞伎が出始めたのは、19世紀半ば以降。黒船来航に象徴されるように、日本列島周辺の海が落ち着かなくなった幕末まで半世紀の退廃的な時代の空気が背後にある。一方、庶民の間では、異国の匂いへの興味が高まる。

「けれん」は、歌舞伎用語で、宙乗りや早替りなど、大掛かりで、奇抜な演出のこと。反マンネリズム志向。芝居小屋の用語から一般に広まって行った。

今回の国立劇場のチラシの文句=「奇想天外、神出鬼没、スペクタクル」→けれんみ、目立つ:クローズアップ効果。伝統歌舞伎を超える、現代のスーパー歌舞伎へ、繋がって行く。歌舞伎の「けれんみ」=超能力(スーパーナチュラルパワー)を表現する。

南北以前:三大歌舞伎(人形浄瑠璃と歌舞伎)に象徴される「物語」重視。歌舞伎伝承の歴史の積み重ねを重視。

南北以降:歌舞伎、生身の役者に宛てて芝居を書く。「役者」重視。/ → けれん(趣向重視):幕末の小団次と黙阿弥が受け継ぐ。


「けれん」演出の見どころ


「天竺徳兵衛」、国立劇場では、20年ぶりの通し上演。「けれん」:新しい演出の工夫。新機軸。
例えば、「けれん」演出の「早替り」。役者は替らず、扮装が変わる。「吹替え」(代役)は、役者の替り(本人→ 別の役者)。背格好が似ていれば、化粧でごまかせる。本人と吹替えを並べてチェックするわけではない。吹替えが、観客に顔を見せずに、後ろ向きのまま演技をし、舞台を繋いでいる間に、本人は、早替りで別の役柄になって、颯爽と登場する。
主役は、舞台裏では、着せ替え人形の人形と同じ。スタッフたちが、鬘、化粧、衣装を短時間で替えてしまう。早替わりは役者一門のチームプレーの成果。


「天竺徳兵衛」で、披露される「けれん」演出


蝦蟇の登場。
ガマ(4種類。*妖術で、石から蝦蟇へ。*大屋根に出現した大蝦蟇 → 屋体崩し(御殿などの大道具を壊してみせる。宗観邸(そうかんやしき)の場面では、屋根に大蝦蟇が乗る。屋根の下に仕組まれた柱が割れることで、屋根全体が崩れて行く)。*着ぐるみの蝦蟇の立ち回り(蝦蟇は本舞台下手の小セリでせり下がって消え、花道すっぽんから、正装の徳兵衛に戻って、姿を現す。やがて、花道を悠然と去って行く)。*黒衣の差し金で操られる小さな蝦蟇と蛇の闘い。
早替り(初代尾上松助(おのえまつすけ)演じる徳兵衛は、座頭(ざとう)に化けて館に潜入するが、本性を見破られて水の張られた池に飛び込んで、逃げる。池から本水が吹き上がる。直後に、びしょ濡れのはずの徳兵衛が、向う揚幕から、裃を着て悠々と現れる。これは「水中の早替り」と呼ばれ、夏芝居の名物となった)。

「水中六方」:花道を泳ぐ六方を踏む。六方(法)とは:六方(ろっぽう)とは、歌舞伎の演出のひとつ。伊達(美意識)や勇み肌(勇壮なさま)などを誇張したり、美化したりして、「荒事」(武張った、猛々しい)」要素をもつ所作。「六方」という名称は、天地と東西南北の六つの方向に手を動かすことに由来する。基本的な動作は、左足を出す時は、左手を、右足を出す時は、右手を出す。歌舞伎では、花道の引っ込み(退場)の時に行われる。

当時は、外国も「けれん」:当時の時代は、鎖国。外交を閉ざす。観客たちは、海外体験など、皆、無縁。あの世―海外、この世―国内。異国話は、否定的になれない。判断する材料がない。信じるか信じないかだけ。だから、話題を呼ぶ。「けれん」を集大成する主役の徳兵衛は、「国崩し」の極悪人という想定。

「けれん歌舞伎」:例、人間も、妖術使いなど、狐などの動物、人間を超える。超能力。スーパーナチュラルパワー。

「けれん」歌舞伎の現代の役者たち。猿之助ら澤瀉屋一門。菊五郎劇団。海老蔵ら成田屋一門が、継続的に演じている。玉三郎の「雪之丞変化」なども。

*贅言;「けれん」の意味:外連、外に連なるとは? 内から外へ。幕の内側、「幕内から幕外へ」。幕外の引っ込み。花道は、演劇空間に固定された、恒久的な「けれん」ではないか。人の行く裏に道あり、花の山。「けれん」こそ、芸事の王道か。覇道か。


けれん歌舞伎(幕末期)からスーパー歌舞伎(現代)へ


幕末期の「けれん」歌舞伎の到着点 → スーパー歌舞伎(澤瀉屋一門。
先代の猿之助が創設したけれん歌舞伎の新しいジャンル)。
「ワンピース」など漫画やアニメの原作から、「けれん」歌舞伎の系統は、新作歌舞伎「けれん味を生かすスーパー歌舞伎」を創造し続ける。澤瀉屋の歌舞伎精神は、南北の精神を引き継いでいる、と思う。
歌舞伎の「かぶき」は、歌=音楽、舞=踊り、伎=芝居、という意味の当て字。かぶき=かぶく=傾く=斜めになる。つまり、物事を正面から見ずに、斜めに見る。そうすることで、視野が広がり、正面からでは見えなかった「歌舞伎の斜めの魅力」を発見できるようになる。斜め=正面+奥行きが、見える。

「けれん」全ては、南北から始まった。
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