mixiユーザー(id:9131574)

2021年10月16日23:24

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10/14鉄道博物館

この日は毎年恒例の鉄道博物館参りへ行く事にした。通常であれば秋津から武蔵野線・埼京線で大宮へ向かうが、都合により川越から大宮へ向かう事にした。秋津-大宮間よりも川越-大宮間の方が近いと言う点に今更気付く。しかし本数的には秋津経由の方が多く、秋津間移動よりも川越間移動の方が時間がかかると言うデメリットもある。
鉄道博物館に入館すると平日の昼過ぎと言う事もあり空いていた。先ずは車両展示に向かうと転車台のC57は何故か出雲のヘッドマークを付けていた。この時期の出雲には各地の神様が集まるとの言い伝えから出雲なのだとしたら鉄道の日は毎年出雲のヘッドマークを付ける事にある。今年は鉄道博物館開館14周年とメモリアルイヤーではないものの前身の初代鉄道博物館から数えると100周年にあたる。100周年記念のヘッドマークを付けても良かったのではないかと思う。なおこの日の転車台回転は記念に1号機関車・EF55・200系新幹線・C57の汽笛を鳴らしていた。東海道新幹線の展示を見たが、感染症対策の為車内に入れなかったのが残念である。続いて南館へ移動すると特に変わったものはないものの歴史コーナーでは渋沢栄一関連の展示があり地元埼玉県の偉人と言うだけではなく鉄道界にとっても影響を与えた人物である。ただ今年の渋沢ブームは過剰とも言え既に飽きている面もある。鉄道模型展示では人が少なく車両の走行音まで聞こえてくる程静かだった。この日の企画展は山手線と鉄道博物館史であった。山手線と言えばもっとも有名な路線のひとつであるが、今でも半分は山手線ではない等生立ちは複雑である。知っている人にとっては知っているとは言え知らない人から見れば驚く点は多い。鉄道博物館は初代が東京駅構内での展示から始まり交通博物館と名を変え万世橋に移り現在の大宮へ続く。東京駅のどこに博物館を作る場所があったのか気になるが、戦災により資料・展示物が失われる歴史があり万世橋へ移動する。万世橋では鉄道以外の展示もあったが交通博物館閉館後鉄道以外の展示物が再び他へ移転する等波乱万丈の歴史がある。交通博物館を国が引き継ぎJRが独自に博物館を作る事は出来なかったのかと思う。
一通り見たので引き上げる事にした。珍しく午後からだったので閉館近い時間になってしまったがこの時間までいたのは初めてである。途中で寄り道をしたとは言え大宮を出る頃には日が暮れていて時期の移り変わりを感じた。もう少し鉄道博物館にいれば四季島が見れたらしいが、特に興味はなかった。四季島が鉄道博物館で展示される日が来るのか不明だが、現役車両を展示すると言うのも手かもしれない。
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