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2021年07月17日11:40

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宗教の役割

あくまで、私にとっての「宗教のメリット」の話。

神様を信じればいいことがある、ご利益が得られる、信じなければ地獄に落ちる、などなどはまったく信じていない。
ひどい言い方をしてしまえば「神様のもと、幸せに暮らせる天国」は退屈でしかないのであまり行きたい場所ではない。「多少なりとも悪いことをする自由のある地獄」のほうがマシかもしれない。
神が7日間で世界を創造したとか、キリストが罪を持って行ってくれたとか、それも「信じたいならどうぞご自由に」と思ってる。
日本人は仏教の「お経」を聞いてもまったく理解できないまま「けっこうなお経」だと思っているが、それじゃ「仏の教え」なんかまったくわかっていないことになる。般若心経はいろいろな言語がまじり、さらに省略されまくっていて、読み解こうとしても、なにがありがたいのやら私にはさっぱりわからない。

私は仏教徒であり、浄土真宗ではあるが親鸞が説き、蓮如がひろめた「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行ける」も信じているとはいえない(極楽浄土は、この世では修行ができないので、あの世へ行って修行するための世界だと理解しているが、それは室町時代の話だしな・・・)。

仏陀が説いたのはかなり単純なことばかりであり、それは生活規範といってもいい。
「ひとは行いによって評価される」
「悪いものと交わってはならない」
「生き物はすべてひとしく苦しんでいる」
「輪廻転生は苦しみの連鎖なので、解脱しよう」
「悪いことはせず、よいことをして、自分を浄めよう、そしていつか解脱しよう」
というだけだ。
 スッタニパータという最古の経典にも悪魔は登場するが、仏陀は悪魔に対して「滅ぼしたり攻撃したり」はしない。ただただ、自分をそそのかす「悪魔の言葉」を無視しただけだ。悪魔は「得られるものがない」とわかって自ら退散している。
 仏法僧という三宝の教えも、仏陀の死後様変わりしてしまっている。仏陀は「3つの宝を崇めよ」とは言っていない。迷いが生じたときにはその3つのことを思い出し、考えれば解決策が見つかるはずだ、という現実的な説き方をしていた。

 中でも凄い、と私が思っているのは
「互いに、彼は間違っている、と言い合っているのなら双方ともに正しくない。本当に正しいことを言っているのなら、誰にも反論はできない」という言葉だ。
 今の世界・社会を見ていると「あいつが悪い、だから俺様が正義だ」という論調がどれほどあふれているか。それで「困っている人が救われる」ことはない。本当にそれでいいのか。
 誰かを論破して優越感にひたるのは簡単だ。だが、それは巡り巡って自分の心を蝕み始める。「ダークサイドに堕ちるのはたやすい」と言い換えてもいい。

つまるところ、宗教というのは、自分が死ぬときに「よかった」と思えるためのものなんだろう。
宗教に、それ以上のものは何も望まない。
宗教に望むのは「自分のこころがやすらかであること」だけだ。それは自分の努力で得られるものだし、そうでありたい。

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