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2020年02月19日22:55

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我々は何を食べているのか その弐

お疲れさまです。

農業論。


本当は『キレイごと抜きの就活論』て本を読みたくて探してたら代わりにこの本が先に見つかってしまいとりあえず読破したっていう。

こういう本との出会い方は嫌いじゃない。


長く海外資本の会社に勤めていると何故かいつも飲み会の議論の結論はいつも同じ所に辿り着きます。


『農業がやりたい』


なんででしょうね?


って酒飲みながら同僚と話してるとなんかこー『野菜は裏切らないから』みたいな結論に達します。



仕事の手柄を横取りされた、とかはないのですけれども。

『仕事出来なかったらクビ』ってのが普通にある世界で長く生きてきてしまったので。


ある日急に一緒に働いてきた同僚さんが月末に机の下をごそごそしだした、と思ったら餞別のお菓子を配りだして『実は今日までなんです』てのに両手で数え切れないほど出会ったっていうか。


私は中国人スタッフを何人も教えていて、あー育ってきたなぁ、図面もきちんと読めるし、ついでに行間も読めるしちっこい部品は若手に全任せしようかなー、とか考えてたら大体次の会社を見つけて高い給料で引き抜かれていきます。


ビールジョッキだん!!て叩きつけながら『俺は収穫がしたいんだ!ライバル会社のために部下を育ててる訳じゃねぇ!!』『そうだそうだー』みたいな事を毎年忘年会で言っていたような。


因みに自動車業界で転職を繰り返してどこの会社でも『お金お金お金』って言われ続けて嫌気がさした先輩が最後の近況聞いたらトマト農園の園長やってる、ってのは聞いたことがあります。


後、元同僚さんは会社辞めて奧さんの実家のある長野県に帰ってりんご農家を継ぐ、って言ってました。


さて本題。



人間が農耕を始めてから何だかんだで数十年、数百年と経ってるわけで。


土を耕して軟らかくして適当に種蒔いて毎日水かけたら勝手に育つんでしょ?


って訳には当然いかないらしい。


農協に売ってスーパーに並ぶ普段のご家庭の食卓に並ぶ野菜を作りたいなら均一品質均一サイズ、てのが求められるわけですし、結局虫食いにどれだけ手間とコストをかけるのか、って話で売値と生産単価のバランスを考えなくてはならなかったりとか。


少しの生産で単価の高い製品を売るのであれば、レストランで使う『野菜の器』とかに使われる特注の野菜を丁寧に育てて安かろう、悪かろうじゃない製品を目指して行くんだ、とか色々。



むぅ。




読んでくと少量で希少なフェラーリ売るのか、世界戦略で安いヴィッツ売るのか、とか普段考えてることと変わらない気かしてきた。



因みに今って愛知県に住んでて『北海道産!!』とかアピールされた野菜を食べてるわけですけど。


例えば江戸時代に愛知(三河)にいる私が北海道(蝦夷)の食べ物食えるか、と言うと物理的に不可能なはず。それを可能たらしめてるのは科学の発達と物流の発展だそうで。


野菜って収穫してからも生きてるので、大体三日くらいで栄養が抜け落ちて萎びてしまうそうです。

ですが詰まれて三日以内にご家庭の台所で調理されないと、てのは商品として都合が悪い。

それを船やトラックで冷凍保存しつつ運べる技術が栄えてきたので2週間前の野菜でもしなびずに食べられる、と。

ちなみに2週間前の野菜に栄養はほとんど残っておらず野菜の形をしたナニカだとかなんとか。

読めば読むほど『一体何を食べればいいんだ?』と悩む今日この頃です。
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