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2020年01月04日10:56

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プロレスに臨む新たな景色 ~やっぱ「一番スゲぇのはプロレス」なんだよ After all, Wrestling is my " Pound for pound " Entertainment ~

世の中には新日本プロレスを観て育ってきた外国人というのが存在する。

新日本プロレスは、昨年の4月にアメリカ ニューヨークのマディソンスクエアガーデンというアメリカにあるプロレスの聖地での大一番に ” 新日本プロレス “ のままに臨んだ。選手の入場シーン、闘い方は勿論のこと、突発的に行うアピールやお決まりのポーズもそのままだし、選手コールの時のリングアナウンスも日本語もままである。
そして、それは大成功した。遠慮ない新日本プロレスがウケていたし、またそれが求められていた。非日本人のオーディエンスに対しても日本式に挑み “ 同一コンテンツ 同一満足 “ をみごとに獲得した。
海外の人にとっては自分たちがずっとみてきた ” まさにアレ ”が観たいのであって、そこに没入したいのだ。
実際にアメリカのファンは選手のアピールやポーズに対して、お約束のリアクションをとるなど、適切なタイミングに ” そのままのコレ ” で良いということを十分に応えてみせた。


自分だけのヒーローが目の前にいる

待ち望んいたものが目の前に登場するという感動は計り知れない。
それが、自分だけのヒーローのような存在であればなおさらだ。
僕は少年の頃、お小遣いを持ってGEOで「レッスルマニア」をレンタルした。自転車をこぎ急いで家に帰る。テレビの前に緊張して座り、ビデオの再生スイッチを汗ばむ手で押した。試合の勝ち負けはもちろん重要であったが、ブラウン管に登場するレスラーの卓越したスピーチ、一種の自信満々さ、その世界に心が吸い込まれていった。

“ こっそり “ 自分だけのヒーローを持つというその少年が感じた喜びと同じような思いは、一周まわって今きっと世界の他の場所でも起こっているのだ。

マジソンスクエアガーデンでは「この日、チケットは約1万6千席が販売当日に完売し、9割以上が現地のファンで埋まった。試合が終わったのは、日付が変わる直前の午後11時55分。それまでに帰宅した客はほとんどいなかった。トイレや飲食ブースに人だかりがあったのは、試合の合間の時間だけ。みな、リングからひとときも目を離したくなかったのだろう。」※1

インバウンドとプロレスの時代の風景は一足先にニューヨークに到来したようだ。



アメリカのダイナミックさを感じさせてくれたビデオテープ

アメリカンプロレスの解説者 斎藤文彦さんの解説は面白かった。僕はアメリカのプロレスを観て少年期を過ごした。アメリカのプロレスを知るきっかけを与えてくれた解説者のありがたさをいま改めてかみしめる。

人さまの国のプロレスを、誰に誘われたわけでもないのに勇気を出して観にいこうとしていた少年の好奇心とその裏側にある心細さ(プロレスに対する下地は多少あったにせよ)をものの見事に受け止めてくれた。斎藤文彦さんの解説の解説を含めそのビデオテープには温もりを感じた。
独自の分析(時として単なる予想みたいなものもあったが)を駆使してアメリカのプロレスを日本にいる少年にわかりやすく、面白く説明してくれた。なによりプロレスに留まらないアメリカのダイナミックさを感じさせてくれた。斎藤文彦さんのフィルターを通じて観たアメリカのプロレスに魅了されただけでなく、少年はそれを通じてアメリカを知った。

新日本プロレスに関しても、配信される国の現地の解説者は独自の分析、勝手な予想を含めて展開してもらいたい。ぜひ視聴者にはプロレスをダイナミックに見てもらいたいと思う。※2



新日本プロレスを観て育ってきた外国人というのがまた別に存在する。

それを知ったのはベネチアに住むイタリア人の旧友との会話からであった。仕事がオフシーズンになると世界を旅する習性のある彼はで日本にも何度か旅をしにきていた。その度に会って色々と近況を話すのだが、その彼からある日突然、猪木や長州、タイガーマスク、そして藤波といった往年のレスラーの名前が出てきたのだ。
言っておくが彼は決してプロレスファンではない。何年かで何度か、何日も連続で一緒に過ごす中で彼と私は一通りの話題はし尽くす。そこ飛び出てきたのはまさかの藤波だった。驚くべきポイントは、" ただ、藤波を知っている " といったレベルであることだ。
マニアならまだしもプロレスファンですらないイタリア人から普通に「I know フジナミ」「I wached プロレス when I was kid」のフレーズが出てきたということなのだ。

なんなんだ。この得も言われぬ感じは

追及してみたところ、なんでもイタリアではその昔、「ワールドプロレスリング」がテレビで放映されていて、そして、彼はそれを普通に観ていたというのだ。そこで、日本訪問時に何かの拍子に僕にそのことを伝えてくれたのだ。
子どもの頃に観た最初のプロレスが新日本プロレスである彼にとって、プロレスとは新日本プロレスであり、プロレスラーとはたぶん藤波なのである。プロレスが好きで見始めた訳ではなく、毎週放送されていたことにより思い入れをを強めたパターンもあるということをその時に初めて知った。※3

「Oh it’s same」と、彼の話に僕は反応した。

プロレスの翌日はやはり学校内で多少だが話題に出るらしい。
あの時僕が感じた得も言われぬ気持ちをいま改めて振り返ってみると、それは 親近感 であった。彼と出逢ったのは30歳を過ぎた頃であるにも関わらず、同じものを観たという思い出だけで、距離は離れているが、少年期をともに過ごしてきたような、親近感、が芽生えてくるのは不思議だが現実に生じてしまった。
ネットを探せば同じ動画を探しあてられるかもしれないが、当時のタイムリーな躍動感は後追いすることは出来ない。

テレビ番組放送と有料動画配信の間に挟まれた忘れていけないもの

「ワールドプロレスリング」でイタリア人に足跡を残した藤波に対して、「新日本プロレスワールド」はニューヨーカーのオーディエンスを前にメインを飾ったオカダ・カズチカを中心には展開されていくだろう。
ただ、忘れてはならないのは、それらテレビ番組放送と有料動画配信の間にも海外のファンを増やし続けたレスラーがいることを。
海外での興行で現地のファンから特大の声援、断トツの人気を集めるレスラー。新日本プロレスの最たるアイコン。

獣神サンダーライガーである。
ベストオブ・ザ・スーパージュニアの立上げなど、プロデューサー的な役割を果たした世間にジュニアを広めた最大の立役者であり、選手としてもシューティングスタープレスなど(今でいうところのウルトラF難度)の華麗な技をみせてくれた。獣神サンダーライガーは子どもが大好きな選手である。デビューしてまもなく日本で人気となった。

また、実は海外でも人気があったのだ。それを可能にしたのはやはりビデオテープである。アメリカのプロレスを観ていた僕と同じように海外の人も日本のプロレスのビデオを観ていたのだ。そして、当時若手レスラーであった外国人ジュニアレスラー達はそのビデオを参考にして日本のジュニアスタイルを進化させ、後にアメリカやメキシコでスーパースターとなっていった。海外のファンはみんなそんな流れを当然のごとく知っているのだ。

いなくなってしまうことで初めて気づくということがある。約31年もの間、日本のプロレスを海外に広め続けたレスラーは明日2020年1月5日に引退する。僕も子どものころからずっと大好きだった。※4


伝統とらわれているだけでは強くはならない。プロレスは進化し続けている。新日本プロレスは図らずとも未来に向け種まきをしてきたのだ。

後記)
支離滅裂な内容で申し訳ないと思うのだが、
32回目の東京ドーム開催にあたり、勝手に分析して勝手に書きました。


※1 新日本プロレスNYで大盛況 “逆輸入パターン”戦略とその課題とは? AERA dot.

※2 ちなみに、今回の東京ドーム2daysの裏側にあるテーマは新日本プロレスの2グループ化時代が待っていると思う。5日の大会の流れを受けて発足すると予測するブランド(グループ)の ” エース “ はそう、5日にしか出場しない。※※※あくまで個人の勝手な予想です。

※3 好きな人が観に行く「新日本プロレスワールド(有料動画サービス)」パターンはなく、特に興味があるわけでもないのにたまたま観て知ってしまう「ワールドプロレスリング(テレビ番組の海外輸出)」パターン

※4 小学生のころの僕は、「獣神サンダーライガーくん」という漫画を描いていた。図工の時間に何か自由に発想して作っても良い、という自由工作の時間に私は迷わずライガーのマスク(当時は獣神ライガー)を作った。漫画で何度も描いていたので何も観ずに描くことができた私は、どうせ作るなら使えるようにと何度も工作用紙に顔をあてて顔の形をなぞって作っていった。当時は気づかなかったがよっぽど好きだったのだと思う。
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