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mixiユーザー(id:8729247)

2019年08月15日08:19

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芸術という名のゴーマン

実はときどき演奏が変わるんですよ、この時報。
これまでわりとシンプルな普通の演奏だったのが、
去年だったかわりと派手めのシンセサイザー演奏になったのね。
曲は同じだし、まあいいんじゃない?って印象でした。
田舎なので変わったときにそれなりに苦情も来たとは思うが、
別にそんなに気にならなかったよ。
今回は、8月はじめに変わったのには気づいたけど、
まさかリボーンアートフェス関連とは思わなかった。
地元新聞なんかでもっと大きく取り上げてくれたらよかったと思うんだが、
牡鹿半島にでっかい白い鹿の像がある写真は目立っても、
まさか時報の音楽が変わるとは。
女の人の声(ハミング)なんだけどさ、なんかコワイの。
幽霊の声みたいなの、ちょっと聴いててぞっとするの。
作ったほうは震災の鎮魂とかいろいろ、考えたかもしれないけど、
それならそれで、きちんと音楽家さんの意見というか
「こういうコンセプトで作りました」を市の広報なり新聞なりで
時報音楽を流す前に知りたかったし、知っていたら受け入れも違ってたはず。
ちょっと変、と思っても、まあリボーンの間だけなら、とがまんした人もいたはず。

それにねぇ、これはちょっと自分の意見なんだけどさ。
リボーンアートフェスティバルって、なんかちょっと押しつけがましくて独りよがり、
なところがあるんだよね。
まあいろいろ、あるんだけど、今回の時報もね。
フェスに参加しにわざわざ来た人なら聞いてなにか思うかもしれないけど、
地元の人間にとって震災は事実で、実際まだ帰らぬ家族を探している人もいるわけ。
死んだ人や失ったものはとにかくとして生活している人は多いけど、
別にあの悲惨な日々を忘れたわけでも薄れたわけでもない、
フラッシュバックと簡単に言うけど鮮やかによみがえる記憶や光景があるわけ。
それをわざわざ呼び覚ますことにいったい何の意味があるんだ?
つらい記憶にもいつか向き合わなくちゃならないのはわかっているけど、
他人に言われることじゃない。自分でなんとかするもんなのよ。
リボーンアートフェスはその意味で、あくまでも「外から来た人」に震災を忘れないでもらう、
自分にもいつかあるかもしれないことを考えてもらう、ためのもんであって
地元民に無理に曲聞かせて「さああなたも参加しましょう」とか言われるのって
なんかゴーマンなんじゃないのか?

愛知トリエンナーレのときも思ったけどね。
芸術という名を押し付けに使っちゃだめだろ。
押し付ける形の表現があるのは認めるけど、その場合、
押し付けられたほうが反発という形で反応することは当然予想すべきだし、
予想したら「反発されたらひっこめる」みたいな安易な対策をすべきじゃないと思う。
わかっててやったなら堂々と意見を言えってこと。
そんな精神的な主張もなしに面白がって幽霊の歌だの少女像だの出すな、ってこと。

今日の新聞にトリエンナーレの主催者のひとりの意見が出てた。
「政治利用されるような芸術はまずい」って。
今日は終戦記念日だが、戦争末期に芸術家はこぞって
日本が勝っている勇ましい絵を書かされたり文章を書かされたりした。
終戦後にその責任を厳しく問われて、外国に去ったお方もいれば
芸術家としての人生をその後絶ってしまったお方もいる。
国は、自分がやらせたくせにまったく面倒を見なかったんだよ。
そんなこと、絶対にあってはいけない。
優れた芸術家が政治利用されたせいでその後作品を作れなくなったり
ケチつけられたりするようになってはダメだ。
ナチに利用されたレニ・リーフェンシュタールなんかは自分が利用されている意識があまりなく、
むしろナチを利用して自分のとりたい映像をとったわけだが、
それでもひどい言われ方をした時期はあって、つぶされなかったのは幸運だった。

芸術家に政治思想はあってもいいけど、作品にするとどう利用されるかわからない。
今「慰安婦の少女」と言われている像もそもそも慰安婦と無関係だったのと同じでね。

リボーンアートフェスのまずいとこをついでにもうひとつ書いておく。
「足の不自由な人間が鑑賞できないアートが多い」。
とんでもない山の中にえんえんと坂を上って行ったり、
街中でも階段がすりへってつるつるの場所に展示されてたり。
実際ワシはおととしの展示会場のひとつで階段から落ちた。
まだ元気だった同居人が下で受け止めてくれなかったらどうなっていたかわからない。
障碍者排除って、いまどきはやらないと思う、とくに芸術分野では。
せめて足が不自由な人間が参加できるかどうかの表示がほしい。

苦情で「時報」アート作品中止
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5748043
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月15日 11:48
    「時報」は時計代わりなので、変えないほうがいいんじゃないかなあ。
    認知機能の弱くなった人とか、もともとこだわりのある子とか、やたら変えたら混乱すると思うのだけど。
    生活に密着しているものは定番が何よりだと思う。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月15日 13:32
    > mixiユーザー 

    アートフェス期間中だけ限定の企画、ってわかってたら
    田舎でももっと反応違ったと思うんだけどね。
    意外なことやって人を驚かすのも芸術作品の目的だったかもしれないが、
    それにしたってあの「幽霊の声」はないと思いました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月15日 15:57
    そんなことになってたんですね...白い鹿の写真と、料理の話だけ聞いて「盛り上がるといいな〜」とぼんやり思っていました。被災した住民置き去りの企画では「何やってんの?」という話ですね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月15日 16:14
    > mixiユーザー 

    まあいいんです。住民置き去りは。
    都会の人に忘れないでもらう、思い出してもらう、が大事なんだとワシは思うので。
    ただ地元に押し付けるのはやめてほしい。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月16日 07:19
    ニュースより。
    なるほど、リボーンアート…とは、そう言う意味合いのモノだったのですね。

    そんな意味合いも何も知らない私ですら、たまたま動画で聞きましたけど、いつもの時報が、こんなのに変えられた日には、煩いexclamationと言うよりは、気持ち悪い…と素直に思いましたよ。

    単なる器楽合奏ならば、音程の高低はあっても、すんなり耳に入りますが、ハーモニーのこれは、静かな出だしの曲だと耳に入らず、聞こえにくく、せっかくの時報を聞き逃す上に、突如、サビの部分で、いきなりカン高い女性コーラスが流れて来たら、それはそれで、何事exclamation & questionと思い、ゾッとしますよ。

    イベント会場で、鎮魂歌として流れて来るのであれば、良いのですが、地元民の生活に密着してる時報で、何の告知もなしに、いきなり流れて来たら、かなり不気味かと。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2019年08月17日 09:05
    > mixiユーザー 

    コメントありがとうございます。
    今日ツイッターだかで見かけた意見で
    「石巻はまとまりがないからイベントを受け入れることができない、それに比べて女川は」とか
    書いてあって腹が立ちました。
    リボーンアートはそもそも、地元企画ではありません。
    都会のゲージュツカさんがこの土地(昭和が色濃く残る街並みや家)を使いたい、
    街を上げての復興イベントとして位置付けたいと持ち込んだ企画です。
    ほとんどの企画は市とゲージュツカさんとの間で作られたもので、
    地元では建物貸したりはしたでしょうけど、
    住民が自分で参加できる企画はありません。ほとんど、かな。
    とにかく、都会のゲージュツカさんが町を使って発表会をしているイメージ。
    博物館や美術館に見学に行くような感じです。
    そりゃいいですよ、人は来るし、いやでも震災で荒れた土地を見てもらえますし。
    でもそれは住民の心とは何も関係ないんですよ。
    そんなもんで復興できるような死人の数じゃありません。
    宮城県の震災死者のかなり多数がこの石巻の住人です。
    たくさん死ねば大変なのか?って話にもなりますけど、
    少なくても原発マネーが直に入ってふところ豊な女川住民とは
    心のすさみかたが違いますよ。

mixiユーザー

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