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2009年03月28日22:37

2008 view

メモ 松本史朗先生の如来蔵思想批判

★如来蔵思想は仏教ではない

 如来蔵思想とは、一般の読者には余り耳慣れない言葉かもしれないが、かつてはむしろ仏性思想と呼ばれていたものである。この如来蔵思想とは、大乗経典の一つ『如来蔵経』の「一切衆生は、如来蔵(tathāgatagarbha如来の容れもの)である」という説(15)と、同じく『涅槃経』の「一切衆生は、仏性(buddhadhātu)をもつ」という説にもとづく思想と言うことができる。『涅槃経』の有名な「一切衆生は、仏性をもつ」という経文は、“一切の生きものは、仏に成ることができる”という意味に解されたり、果ては、仏教の平等思想の宣言だとまで解釈されることがあるが、簡単にそのように考えることのできない問題を有している。というのも、『涅槃経』に多く現れる「一切衆生は、仏性をもつ」という経文の後には、必ず「一闡堤(いつせんだい)(icchantika)を除く」という語が付加されていて、“「一闡堤」と呼ばれるある種の人々は、永久に仏に成ることができない”という差別的な立場が明記されているからである(16)。
 筆者は、一般的通念とは逆に、如来蔵思想を差別思想であると考えているが、その背後にはインド土着思想であるヒンドゥー教というものがあると見ている。すなわち、仏教の開祖である釈尊は「縁起」を説いた、つまり、“仏教”とは縁起説である、というのが筆者の理解であるが、この縁起説とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(ātman 我)〔霊魂〕の思想を根底から否定したものなのである。従って、“仏教”としての縁起説からは、「無我・無常」の説が導出され、これが仏教の旗印ともなる。しかるに、これに対して、「我・常」ということを積極的に主張するのが、如来蔵思想であり、『涅槃経』には「仏陀とは、我(アートマン)を意味する。しかるに、その我は永遠不変の実在である」と明記されているのである(17)。従って、如来蔵思想の「我の思想」、「有の思想」が仏教の縁起説・無我説と全く逆の立場であることは明らかであり、この意味で筆者は、“如来蔵思想は仏教(縁起説)ではない”と論じるのである。
 瑜伽行派の唯識説というものも、この如来蔵思想というものと全く無縁なのではない。というのも、実は、唯識思想を説いた瑜伽行派の人々は、同時にまた、如来蔵思想をも説いていたからである。すると、唯識思想と如来蔵思想との差異はどこにあり、共通性はどこにあるかということが、当然問題になる。これについて、筆者は、如来蔵思想と唯識思想に共通する根本論理として、“dhātu-vāda”(基体説)というものを想定した(18)。“dhātu-vāda”とは、現象的なあれこれの存在は、「無常」であり、「無我」であるが、それらを生み出す原因となる基体(dhātu 場)それ自体は、「常」であり、「我」であり、実在であると説くものである。
 しかも筆者は、この“dhātu-vāda”というものを如来蔵思想の根本論理と把えるだけでなく、仏教以前からあるヒンドゥー教の根本論理であり(19)、これを否定したのが“仏教”の縁起説であると考えるのである。このように見れば、如来蔵思想と唯識思想という“dhātu-vāda”あるいは、「有の思想」が、ナーガールジュナの説く「空の思想」に対するアンチテーゼとして四・五世紀のヒンドゥー教復古主義的なグプタ Gupta 王朝期のインド社会に歓迎されたことの理由が、理解できるであろう。つまり、“dhātu-vāda”とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(我)の思想の根本論理なのであり、この論理にもとづく如来蔵思想とは言うなれば“仏教内のヒンドゥー教”に他ならないのである。
 インドにおける仏教思想の歴史的発展とは、極論すれば、仏教がヒンドゥー教に吸収される過程、あるいは、仏教がヒンドゥー教化する過程に他ならない。原始仏教・部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教・密教という変遷をたどってみると、ここに基本的には、“仏教からヒンドゥー教へ”という変化、すなわち、ヒンドゥー教の「有」と「我」の思想の否定として成立した仏教が、次第にその「有」と「我」の思想に接近し、同化され、ついには吸収されてしまう過程が認められる(20)。
 原始仏教の「法無論」にもとづく縁起説が、部派仏教のアビダルマ哲学において「法有論」として解釈され、それが大乗仏教の『般若経』の「法無論」「法空論」によって否定されて、再び原始仏教の正しい立場が回復されたというのは、基本的には正しい理解といえるが、しかしこのことから、“大乗仏教はすべて「空の思想」を説く”という帰結を導こうとするなら、これ以上の誤解もないであろう。
 大乗仏教というものが、ヒンドゥー教の強い影響のもとに成立したと見るのは、今日では学界の定説とも言ってよいものである。大量の大乗経典を創作したのは、仏教的教養をもつもの、つまり、出家者であったかもしれないが、経典の読者対象としては、在家信者が強く意識されている。しかるに、注意すべきことは、インドにおける在家信者とは基本的にはヒンドゥー教徒であるということである。彼等は、仏教の出家者のみに布施するわけではなく、ジャイナ教でも、他の宗派でも、区別することなく、出家者には布施して、死後の生天を求め、日常生活においてはヒンドゥー教の生活規範に従って暮らすヒンドゥー教徒であった。従って、このような在家信者を読者、または聴衆として強く意識した大乗経典に、ヒンドゥー教からの影響が見られるということは、当然である。これを端的に示すものとして、大乗経典における呪文、呪術の受容ということがある。
 “釈尊は呪術を禁じた”という伝承は多くの律蔵に認められ、呪術否定が原始仏教の基本的な立場だと思われる(21)が、「空の思想」を説くとされる大乗経典『般若心経』の末尾には、「羯諦羯諦(ぎやていぎやてい)」(gate gate)云々という呪文があり、これを『般若心経』自体では「呪」(mantra)と呼んでいる。ここで「呪」と訳された「マントラ」という語は、一般には「真言」と漢訳されることが多いが、本来はヒンドゥー教最古の宗教文献であるヴェーダ(Veda)聖典本集の聖句を意味していたのである。つまり、『般若心経』は、「五蘊皆空」とか「色即是空」とかの経文においては、「一切法は空である」という「空の思想」を説いているが、最も重要なその末尾の部分において、ヒンドゥー教の「マントラ」という呪術的世界に全面的に没入しているのである。
 また、『般若経』が「空の思想」を説き、それが大乗仏教の思想的基盤となったといわれるが、しかし『般若経』の空が純粋に否定的なものでありえたのは、ほんの一瞬のようなわずかな期間にすぎない。すぐに『般若経』自身が「真如」とか「法性」とか「無分別」という肯定的なものを説きだすのである(22)。しかるに、私見によれば、これら三つの言葉は、単一の実在する基体、つまり、“dhātu”を意味するものにほかならない。しかも、大乗仏教がさらに進展すると、ヒンドゥー教のアートマン論を積極的に公言するかのような主張が現れてくる。それが先に述べた如来蔵思想である。
 かくして、大乗仏教の思想というものが、基本的には、「空から有へ」と変化する非仏教化、ヒンドゥー教化の道をたどったことが、示されたであろう。そして、最後に行き着いた先が、全く“ヒンドゥー教そのもの”と言っても過言ではない密教だったのである。
 釈尊の教えである縁起説を純粋に知的なものと考える筆者より見れば、“釈尊が呪術を否定した”という伝承は、仏教の知性主義的性格を語るものとして、本質的な意義をもっている。しかるに大乗仏教は、上述したように、呪文・呪術を認め、“雑密”と呼ばれる種々の陀羅尼経典を制作した。また、ヒンドゥー教の様々の神々をも大乗経典の中に自由に登場させるようになった。それ故、いかなる大乗経典といえども、ヒンドゥー教の呪術的世界から切り離されてはいない。例を『法華経』にとるならば、羅什によって漢訳された『妙法蓮華経』の第二六品は、多くの呪文を含む「陀羅尼品」であり、第二五品は、観音菩薩に対する信仰を説く「観世音菩薩普門品」である。観音の名を念ずるならば、諸の現実的な苦から即時に解脱すると説く観音信仰が、呪術的なものであることは明らかであろう。
 かくして、仏教の呪術化、ヒンドゥー教化が進められ、その最後に行き着いた先が、七世紀における『大日経』『金剛頂経』の編纂によって端的に示される純粋な密教、所謂“純密”の成立だったのである。

(松本史朗『チベット仏教哲学』、大蔵出版、1997年、pp. 407-410)

(15) 『如来蔵経』の思想については、『禅批判』 〔引用者註:松本『禅思想の批判的研究』(大蔵出版、1994年)〕第四章参照。

(16) 『縁起と空』〔引用者註:松本『縁起と空─如来蔵思想批判』(大蔵出版、1989年)〕四頁参照。

(17) 拙稿「『涅槃経』とアートマン」『〈我〉の思想』(前田専学博士還暦記念論集)春秋社、一九九一年、一四九−一五○頁参照。

(18) 『縁起と空』三一三頁参照。

(19) “dhātu-vāda”は、仏教成立以前にも、また、『バガヴァッド・ギーター』Bhagavadgītā にも、明確に説かれている。Cf. Matsumoto, S., “Buddha-nature as the Principle of Discrimination”, Journal of Buddhist Studies (Komazawa University)『駒沢大学仏教学部論集』27, 1996, pp. 323-319.

(20) 以上、述べた筆者の考え方は、次に示す平川彰博士の見解と基本的に一致するように思われる。

仏教は原始仏教以来、「無我」を主張するが、これはインドの伝統的なアートマン(我)の宗教と敵対するのである。……唯識思想の阿頼耶識や、如来蔵思想の如来蔵や仏性などは、アートマンにきわめて類似した観念である。……仏教が興起した若さにあふれた時代には、無我や空の思想が力強く主張せられたのであるが、時代とともに教理に変容を蒙ってゆくうちに、しだいにアートマンの思想に同化されていったのであり、それにつれて仏教はインドに勢力を失っていったのである。仏教が本来アートマン説でなかったことが、仏教がインドに滅びる大きな理由であったと考える。
(『インド仏教史 上』春秋社、一九七四年、九−一〇頁)
 なお、中村元博士は、平川博士とは逆に、「初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している」(『原始仏教の思想 上』中村元選集、第一三巻、春秋社、一九七〇年、一六七頁)と論じられたが、この中村説に対する批判は、拙稿「仏教の批判的考察」『世界像の形成』(アジアから考える〔7〕)東京大学出版会、一九九四年、一三三−一五五頁参照。

(21) 平川彰『インド仏教史 下』春秋社、一九七九年、三一二−三一三頁参照。

(22) 『縁起と空』第六章「『般若経』と如来蔵思想」参照。

(同上、p. 416)



★「一切」とか「世界」とかいう発想は明確に反仏教的なものだ

今日、「世界」とか「宇宙」(18)とかの言葉が氾濫し、“コスモロジー”とかが論ぜられているが、この傾向は必ず深い所で、華厳や密教、さらに根底的には如来蔵思想に結びついているのだ。ではいま一度問おう。「一切」とは何か、「世界」とは何なのか。私達は厭きるほど聞かされてきた。この世界は「真理の世界」(法界)であると。私はこれを否定する。「法」 dharma に「真理」の意味はなく、「界」 dhātu に「世界」の意味はない。にもかかわらず、“世界”や“真理の世界”を主張することは、華厳思想に見られるごとく、如来蔵思想の展開としては全く自然なことなのだ。それは如来蔵思想というものが、元来、“界(dhātu)の一元論”(19)でありながら、界が諸法を生じるという構造上、“一なる界”と“多なる諸法”との二元論(?)、つまり理と事の二元論(?)というごときものをすぐに成立させるからだ。ところで理はその定義上、事に貫通しなければならないから(20)、理事無碍が成り立ち、理事無碍が成り立てば、すぐに事々無碍も成立する。従って「一即一切」「重々無尽」「法界円融」というわけで、何から何まで成立せざるものはなく、この“世界”は最善最美の極致で、めでたしめでたしということになる。無論そんな最善の“世界”に奴隷がいる訳もなかろうし、戦争や貧困や圧政に虐げられている人々も、存在しうる筈はないのだ(21)。私はここではっきりと述べておこう。「一切」とか「世界」とかいう発想は明確に反仏教的なものだと。

(松本史朗『縁起と空─如来蔵思想批判─』、大蔵出版、1989年、p. 33)

 特に「法界」(dharma-dhātu)が、「諸法の基体」(単数なる一元)であることに、疑問の余地はない。もしも疑問なら、高崎直道博士の『如来蔵思想の形成』(春秋社、一九七四年)を少しは読まれたらいかがか。博士は、如来蔵思想を総括して、次のように言われる。

全宇宙的な拡がりを一元として把握するインド思想は、一面‘dhātu’の哲学でもある。如来蔵思想は、インド思想のそのような特色を最もよく体現する説であり、哲学的には〔法〕界一元論と呼んでよいであろう。
(七六ニ頁)

 この御文章の存在は、今回の印仏学会の発表直前になって初めて気づいたものだが、高崎博士は十年以上も前に、私の「如来蔵思想=dhātu-vāda」説を予言されていたようなものだ。今、博士の御意見が心底ききたくなってくる気持をいかんともできない。師の恩を仇でかえしたとはいえ、私の如来蔵思想研究は、全く博士の不滅の業績に導かれたとしかいえないのだ(45)。
(同上、pp. 74-75)

(8) というよりも、和辻博士は法を“理法”や“真理”と見る一般的見解に与しているだけといえるかもしれない。というのも、“理法”というものは、必ず“個物”に貫通し、内在すると考えられるからだ。つまり“理法”という概念は、個物の存在を前提としている。もしも個物に内在しない理法というものがあったら、それを見せてもらいたいものだ。ということは、“理法”を認める立場というものは、必ず“個物”の存在を認め、“個物”を絶対化する論理を内に備えているということだ。原始仏典で始めて縁起を“理法”と見てしまったとき、「山川草木悉皆成仏」や「事事無碍」や「即事而真」に至る道は、すでに完全に用意されたのだ。

(同上、p. 79)

(18) 「宇宙」の語は、既に引用した宇井博士の文章中に現われている。私は博士のごとく、根本仏教が我々の身心を“世界”や“宇宙”とみなしたとは考えない。

(19) 「界一元論」という語は、本来、高崎直道博士が如来蔵思想を定義された言葉だ。高崎直道『如来蔵思想の形成』(七六ニ頁、一五 − 一六行)参照。なお、この高崎博士の定義(?)については、本論の最終部で言及する。

(20) 前註(8)参照。

(21) この問題に関して、ヴォルテールの『カンディード』及び宮沢賢治の『ビジテリアン大祭』は必ず読むべきだろう。また奈良康明編『仏教の実践』第九章「信仰と社会」の拙文を読んでいただきたい。ただし、そこで私は人間が社会的存在であることを単純に否定した(ニ六四 − ニ六六頁)が、現在の私はむしろ逆に考えるようになった。これについて私は、「如来蔵・人権思想と宗教的世界観─我論(egoism,自己維持)と無我論(自己否定)─」という発表(曹洞宗教学審議会第二専門部会、一九八五年三月一三日)で、自分の意見を述べたつもりだが、私は未だこの発表の内容を公けにするに至っていない。

(同上、p. 82)

(45) 高崎博士の『仏教入門』(前掲)の中に、次の一文のあることを知った。「しかしその理論に、ウパニシャッドやヴェーダーンタ哲学の教える「梵我一如」の説とまったく同じ構造の考え方があらわれているのは注意すべきである」(一九一頁)。ここでは「その理論」とは、如来蔵思想を指すと思われる。

(同上、p. 94)
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