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2015年09月16日07:19

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京都の街造りと徳川家康と天海僧正:鬼門・裏鬼門封じと地鎮信仰で構築した都市デザインについて

 京都は四神相応の玄武、朱雀、東龍、白虎の東西南北の街造りで街を守るエンクローズ、囲いとなっており、それに北北東に鬼門に、最澄の比叡山、延暦寺を、南南西に裏鬼門、空海の八幡山、東寺を設け、京都の守りの街造りに桓武天皇、嵯峨天皇時代に作りました。

 それと同じ発想で徳川家康が江戸(東京)に幕府を開くに当たり、江戸の街造りに京都を模した徳川家康と天海和尚が興味深い街造りをしている記事を見つけました。

 以下に転載するのですが、鬼門の結界を壊したと言われる、あの東京スカイツリーが出来上がる前にあの悪夢の311、東日本大震災が起こっております。東京も大きな被害を受けました。

 (参考に

 阪神淡路大震災が起こった時も明石海峡大橋のメインロープが四国、淡路の狸、神戸の狐<鬼門、裏鬼門の相関>がつながった時にあの淡路大震災が起こっております。)

 鬼門や陰陽道の考え方が単なる風習だけで片づけられない理由があると言わる中、東京スカイツリーが鬼門、裏鬼門の結界からずれていると言うのですが、東京スカイツリーが鬼門の結界を壊していると言われています。

 そんな中、あの311、東日本大震災後、頻発する地震、火山の噴火、風水害など大被害が続発しています。

 厄病神、貧乏神、亡国、売国の徒、安倍晋三を辞めさせない限り、世の中は収まらないし、こんな馬鹿な安倍に任せていると地獄を見るに違いない。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946049947&owner_id=8712738とも書きましたが、今、西欧、アメリカ的な思想に、思考に塗り替えられ、吹き込まれておりますが、こんな見方もあるを参考にして頂ければ幸いだし、関東、東京に直下型大震災が起こらないことを願って以下に転載記事を転載します。

     転載開始
 
 徳川家康と天海僧正:鬼門・裏鬼門封じと地鎮信仰で構築した都市デザインについて
http://shutou.hatenablog.com/entry/2014/12/26/074845

今日(12月26日)は、徳川家康が生誕した日(天文11年12月26日(1543年1月31日))です。

以前、鬼門※)に関する整理の中で江戸の件について少し触れましたが、そこに関わる天海僧正とその都市デザインについて、簡単に整理しておきたいと思います。
※)『陰陽道 鬼門について』も参考にしてください。
※)もうひとつの話題については、こちらを参考にしてください。
 ・三英傑と光秀にみる、相生相剋の関係

江戸城・皇居は風水や鬼門を緻密に計算して作られていたと言われていますが、これらを最大限に利用した代表的な歴史上の人物は、徳川家康です。
その江戸城に徳川家康が幕府を置いたのは、天台宗の大僧正・天海の勧めだと言われています。
天海僧正は、陰陽五行説にある「四神相応」の考えを元に江戸城を中心として四方結界を張り、
・北を守護する上野の寛永寺
・鬼門(東北)を守護する神田明神
・南を守護する増上寺
・裏鬼門(西南)を守護する日枝神社
を建築しました。
また、徳川家とゆかりが深い東京タワーの麓にある増上寺は東京の守り神と言われおり、この増上寺から鬼門の北東に向けて直線上にはお寺や神社をずらりと並べ、不吉とされている鬼門の方角を寺や神社で封じ清めたと言われています。
江戸の三大祭といえば、湯島の神田神社の神田祭と浅草寺(幕府の祈願所とし、家康を東照大権現として祀っていた)の三社祭と日枝神社の山王祭ですが、これらの祭は江戸城の鬼門と裏鬼門を祀り浄める意味合いが秘められていました。
そして、徳川家の菩提寺となった寛永寺と増上寺、それに神田神社を結ぶ直線と、浅草寺と日枝神社を結ぶ直線が交わる点には、江戸城が位置していることがわかります。
そして、鬼門とともに厄除けで重要な方位が北ですが、江戸の真北に日光東照宮を建立し、亡くなった後も自らが関東の守り神として260年もの長きに渡り、江戸を守護していたと言われています。

さらに天海は、鬼門・裏鬼門封じと地相といった陰陽道の力だけでなく、平将門公の地鎮信仰も利用しています。
大手町の首塚で有名な平将門公ですが、そもそもこの地の近隣には神田神社があり、将門公の胴体を祀っていました。(神田とは「からだ」に由来するとも言われています)
天海は首塚はそのまま残した上で神田神社を湯島の地に移しています。

実は、将門公の身体の一部や身につけていたものを祀った神社や塚は江戸の各所に存在し、それらは全て主要街道と「の」の字型の堀の交点に鎮座していると言われています。
・首塚は奥州道へと繋がる大手門、
・胴を祀る神田神社は上州道の神田橋門、
・手を祀る鳥越神社は奥州道の浅草橋門、
・足を祀る津久土八幡神社は中山道の牛込門、
・鎧を祀る鐙神社は甲州道の四谷門、
・兜を祀る兜神社は東海道の虎ノ門
という配置です。
これら主要街道と堀の交点には橋が架けられ、城門と見張所が設置されて「見附」という要所にしたのですが、天海はその出入口に将門公の地霊を祀ることによって、江戸の町に街道から悪霊が入り込むのを防止する狙いがあったとみられています。
天海は、民衆が奉じる地鎮の信仰と機能的な町づくりを上手く融合させた上で、江戸の町を守護する仕組みを見事にデザインしていた訳です。
 
このように、江戸の町は街道や掘割といった機能面での仕組みに加え、天海の徹底した鬼門・裏鬼門封じと地相、地鎮信仰を使って構築されたもの。
一度は焼け野原になりながらも現在の東京の発展の理由のひとつは、天海が敷いた完璧な都市デザインがベースにあったから、と言えなくもないのかもしれません。

なお、こうした方除け寺社は各地にもありますが、江戸では伝通院(徳川家康の生母伝通院の菩提寺。鬼門の上野・寛永寺、裏鬼門の芝・増上寺とともに、江戸城下を守護する徳川将軍家菩提寺として江戸三霊山とされた)、築土神社・筑土八幡神社(鬼門の神田明神、裏鬼門の山王権現(日枝神社)とともに江戸三社に数えられることがある)。
関東では、妙義神社(関東平野の北西の妙義山に位置し、関東の鬼門に位置する日光山(輪王寺、二荒山神社)、裏鬼門に位置する箱根山(箱根権現・箱根神社)とともに関東の守護神として、徳川将軍家の厚い崇敬を受けた)、世良田東照宮(徳川家康を祀る徳川氏氏神の東照宮を配し、鬼門の日光東照宮、裏鬼門の久能山東照宮とともに徳川将軍家を守護した)などが、守護と家運永久子孫繁昌を願って建立されています。

もう少し余談を加えておきます。

徳川の繁栄に万全を期すため、将軍家に世継ぎが生まれなかった場合は、徳川御三家の尾張あるいは紀州から世継ぎを迎える形で、しっかりといた血筋を絶やさない仕組みを構築していました。
そんな中、徳川御三家の水戸は江戸城から見て鬼門の方位だったため、常に江戸にあって将軍家を支えつつも、決して将軍を出してはならないという決まりがあったそうです。
そもそも徳川幕府を作り上げるときに、水戸から将軍を出すときが幕府の終わるときである、という訓戒があったためなのですが、結局徳川最後の将軍徳川慶喜が最初の水戸出身だったために、二百六十年もの間戦乱もなく平和が続いた江戸時代は、ここで絶える訳です。

当時は世界でも稀に見る大変革の時代ですが、これひとつとっても鬼門や陰陽道の考え方が単なる風習だけで片づけられない理由がそこにあるのです。

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さて、ではもうひとつ、ふたつほど関連した話題に触れておきます。

ここからはかなり都市伝説に近い話しも含まれています。
信憑性の真偽もあるので、ご興味や話題性の範疇としてご理解ください。
話題は、明治時代以降の結界についてです。

徳川幕府が終わったことで、その封印が解けたと判断した明治政府は、改めて鬼門を封印しようと試みます。
現に明治政府は平将門公にまつわる七つの神社を分断するように、靖国神社を中心として結界にしたといわれています。
明治政府の結界の基点は以下です。
・靖国神社・・・国のために戦死した人々を顕彰
・谷中霊園・・・明治6年に出来た神式公共霊園
・雑司ヶ谷霊園・明治6年に出来た神式公共霊園
・築地本願寺・・江戸最大の庶民の墓所
・青山霊園・・・明治6年に出来た神式公共霊園
 ※)谷中霊園から青山霊園を結ぶエリアは、靖国神社を中心に正確な長方形をなしています。

しかし、その後も日清戦争(1894年から1895年)、日露戦争(1904年から1905年)、第一次世界大戦(1914年から1918年)といった戦争混乱の時代が続いたことから、度重なる戦乱を将門の呪いと考え、さらに強力な結界を作ることを計画。
その結界こそ、霊的に非常に強い結界力を持つと言われる鉄の線路で囲んだ山の手線と言われています。
1883年(明治16年)7月28日に上野駅を起点として開業し、市街を巡る大都市の基幹交通路線として運行を開始したのは1909年(明治42年)でした。
そして、環状運転が実施される(=結界が完成する)直前の1923年、東京を関東大震災が襲ったのです。
結果山手線が完成したのは1925年のことですが、それでも結界の力は十分に働かず、第二次世界大戦へと突入した、と言われているそうです。(どうとらえるのかはあなた次第です)

更に、東京にまつわる災害の符号ですが、そのひとつにタワーがあると言われています。

まずは、凌雲閣。
これは1890年に開業し、大正末期まで東京・浅草(浅草寺の近く)にあった当時の建築物としては最高の12階建ての塔です。
凌雲閣は「浅草十二階」とも呼ばれていたのですが、1923年の関東大震災で半壊し、その後取り壊して二度と建て直すことはありませんでした。
山手線による結界を完成しようとやっきになっていた時期と一致します。

そして東京タワーと東京スカイツリーです。
東京タワーは、皇居から見て裏鬼門を守る一角として設計されており、一種の鬼門封じであると言われていました。
しかし、一昨年(2012年5月)に東京スカイツリーが完成する直前、東日本大震災が起きています。
実は東京スカイツリーと東京タワーを線で結ぶと、上記で述べた明治政府が敷いた靖国神社を中心とする長方形の封印や山手線の結界を切り裂く形になっているのです。
霊峰富士山から東京八王子の高尾山に続く龍脈は東京の中心・皇居へと流れていると言われていますが、鬼門方向に建てられた東京スカイツリーが結界を壊しているとなると、この龍脈の流れが止まったり濁ったりしている可能性があり、鬼門の封印自体が年々弱まっているということすらあります。

高いタワーや塔というものは、戦争や争いを喚起する建造物と符号するのではないか、と思わせるような話題ではあります。
これらを都市伝説としてとらえるかはあなた次第ですが、こうした内容だけを妄信するのではなく、自らの意志で理解、判断する力も持つべき時代に来ているように感じます。

そういった意味でも、自身の精神性が試される時期なのかもしれません。

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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年09月16日 07:35
    あの東京スカイツリーが出来上がる前にあの悪夢の311、東日本大震災が起こっております。東京も大きな被害を受けましたhttp://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=8712738&id=1946091456 …京都の街造りと徳川家康と天海僧正:鬼門・裏鬼門封じと地鎮信仰で構築した都市デザインについて、天災、人災の相関はどうか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年09月16日 08:29
    産経の小沢バッシング記事が、結果的に小沢一郎賛美に(世相を斬る あいば達也)
    http://www.asyura2.com/15/senkyo192/msg/714.html
    投稿者 笑坊 日時 2015 年 9 月 14 日 07:38:42: EaaOcpw/cGfrA

    いまだ、体調優れず。本日の他人の褌で相撲取る(笑)。死んだら駄目ですぞ、と叱咤激励に感謝です。大丈夫、死にません。大丈夫と云う奴ほど危ないとも言われていますが、“あいば”はアベチャンではないので、“嘘”は言いません。国民にも読者の皆様にも、です。山形市長選は残念な結果でしたが、埼玉、岩手県知事選とはスケールが違いますから、こういう事もあるものです。はい、次行こう!その精神が大切。めげないことです。人は敗戦から多くを学び、勝利は一時の酔いと似ていて、翌々日には醒めるものだと思います。筆者が、面白く読んだ産経新聞の記事は5年ぶりです。貴重な記事です。スクラップしたいところですが、電子版をプリントアウトでは味気ないですね。かといって、産経新聞って、買うのは躊躇っちゃいます(笑)。

    まあ、高木氏と云うか、産経新聞は永田町の噂話には精通している記者が多い。ガセネタも多いが、火のないところに煙立たずな面もある。その点で、小沢壊し屋と云う論調は別にして、大変良くできた、此処だけの話でっせ!と云う感じだ。個人的には、この筆者は隠れ小沢シンパかもしれない。実際問題、大阪方維新は、松木謙公や牧義夫、太田和美などを、生活か民主のスパイだと公然と疑っていたようだ。大阪方維新の勢いは、メディアが報じるほどには伸びておらず、東京方の方が優勢に事を運んでいるようだ。橋下、松井の人徳があまりにもあまりと云う問題がネックになっている。また、安倍や菅との蜜月が露骨で、今後の選挙戦にも大きな影を落としていると云う。まあ、たまには産経新聞もお愉しみあれ!

    ≪ 維新の党を壊したのは、実はあの“壊し屋”だった… 狙いは参院選での野党統一戦線か?

     これを「子供の喧嘩(けんか)」と言ったら子供たちに失礼であろう。内輪もめの末に分裂が決定的となった維新の党。結党からわずか1年で、破壊への道をたどった背景には何があったのか−。関係者の証言によれば、政界での存在感がとみに薄くなった、あの「壊し屋」の影がまたぞろ見え隠れする。

     指定暴力団・六代目山口組(本部・神戸市)の内部抗争が表面化した8月27日。くしくも同じ関西でヤクザ顔負けの「もう一つの内紛」の狼煙が上げられた。

     維新の党の「創業者」たる橋下徹大阪市長は同日、松井一郎大阪府知事とともに離党する一方、党分裂を回避する考えを示していた。ところが翌28日、一転して10月に国政新党を結成する方針を表明した。

     当然、橋下氏にコバンザメのようにくっついている維新内の「大阪系」はこれに合流するわけで、松野頼久代表を中心とする「非大阪系」との分裂は既定路線となった。

     もともと首相官邸の方を向いている大阪系と、民主党との連携はじめ野党共闘を目指す松野氏ら非大阪系との間には大きな「溝」があった。それが一気に分裂へと加速させる“大義”となったのが、9月13日投開票の山形市長選だった。

     維新は山形市長選を事実上の自主投票としていたが、非大阪系の柿沢未途幹事長(当時)が8月14日、民主党や共産党が推す候補者を勝手に応援演説したとして大阪系が激怒し、柿沢氏に辞任を迫った。

     大阪系には党の金庫を握る幹事長ポストを手中に収め、当初11月に予定されていた党代表選で主導権を握る思惑もあった。しかし松野氏が公然と突っぱねたため、双方の対立は抜き差しならぬものとなった。

     新聞やテレビが報じる分裂劇の背景は、おおむね以上のようなストーリーだ。だが要因はそれにとどまらない。舞台裏で「影の主役」となった人物がいたというのだ。

     それは、生活の党の小沢一郎共同代表である。

     小沢氏といえば、少なくとも数年前までは政党の離合集散で常に中心にいて、政党をつくっては壊し、壊してはつくるを繰り返してきた。その「壊し屋」が維新を壊すことにもからんでいた。

     維新は6月、来る代表選で党員と所属国会議員の「一票の格差」をなくし、同等に扱う方針を決めた。これも党員拡大に自信をもつ大阪系の主導だった。狙いは言うまでなく代表選を制することにあった。

     維新の議員たちは代表選の投票権をウリに党員拡大に奔走した。その結果、6月上旬で約8000人だった党員は8月末時点で8倍以上の約7万人となった。

     そこで「剛腕」の出番である。打ち明けるのは、小沢氏に近い維新関係者だ。
                           続くーー
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年09月16日 08:37
    NHKの番組に山本太郎議員が生出演!生中継で経団連やアメリカの言いなりになっている日本政府を指摘!ネット上でも話題に!http://www.asyura2.com/15/senkyo192/msg/696.html 山本太郎議員の正当主張に狼狽し逆上した島田敏男http://www.asyura2.com/15/senkyo192/msg/741.html 正論を言う人は排除される
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年09月16日 20:51
    あの東京スカイツリーが出来上がる前にあの悪夢の311、東日本大震災が起こっております。東京も大きな被害を受けましたhttp://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=8712738&id=1946091456 …京都の街造りと徳川家康と天海僧正:鬼門・裏鬼門封じと地鎮信仰で構築した都市デザインについて、天災、人災の相関はどうか?

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