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2020年06月05日21:05

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《アート》大地の中で夢半ば

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ミュージアムからの帰り道車(セダン)
真っ赤に染まるレインボーブリッジを目に焼き付けて、さらなる自戒を誓う。
…はずだったが、色は青えんぴつ
リトマス試験紙ならアルカリ性。
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もしや、東京アラート解除?
いやいや、歌舞伎町は今やコロナ天国と化している。
どうやら赤へと変色する時間は川オスが寝静まる時刻を過ぎてからのようだ。
その昔、おいらがクソヤンキーだったなら、このまま都心環状にでて10周回ほどルーレット族を演じて赤変化の瞬間を見てやるのだが、クソヤンキーだったことは微塵の時間もない。
なので、黒マーチ、帰路へ着く車(セダン)

《アート》レヴューアート
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『神田日勝 大地への筆蝕』(東京ステーションギャラリー)★5.
映画館に続き、いよいよ首都圏の美術館も扉が開いてきた。
そもそも大して客も来ない美術館でさえ閉めてしまう付和雷同主義にはいかがなものかと、芸術を愛する人々の声が聴こえてくる。

朝ドラ『なつぞら』で全国的に有名になった神田日勝。
4月18日から開催予定の回顧展は、この週明けにようやく初日。
あらかじめローソンチケットで日時指定券を買っておかなければ入館できないシステム。
これからの「新しい生活」とやらには、この入館方法がデフォルトとなりそうだ。
ところが『株主優待券を持っている方は、当日、予約なしで入館できます。』という抜け道を見逃さない。東京駅16時30分、予約もせずフラっと入る。そういうものだ。

1937年に東京で生を受け、8歳で家族疎開のため渡道して、そのまま十勝に移住。
芸大へ行くほどの才能を得た実兄に習い、或いは著名な画家たちの作品を見本として、酪農の傍らべニア板に作品を描き上げていく。
『なつぞら』でもそうであったように、少し暗めの農民や農耕馬が彼のモティーフ。
1970年4月に発病し、その8月、わずか32歳の若さで夭折した。
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『馬』(1970)
未完のまま絶筆となった半身の馬ウマ
果たして、このような作品ばかりなら、決して満点★5.の満足はできなかっただろう。
時代によって移り変わっていく神田日勝の画風。
ギャラリーの3階から2階へ降りて、展示室の雰囲気が一変。さらに、時を経て一変。
こればかりは、会場へ行ったものしかわからない。
惚れ惚れする作品が、心地よいディスタンスでゆっくりと鑑賞できる。
いつものように2周回、90分。
いつか、彼の地を訪ねたい。誰もがそう感じることであろう。
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『飯場の風景』(1963)
イメージはゴッホ『ジャガイモを食べる人々』どんぶり
モティーフはちっとも違うけど、色合いがそうなんだ。
3階のマイベスト。
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『ポプラの道』(1969)
晩年、ようやく自作にサイン(署名)が施されている。
優しいパステルの空。その横に掲示されていた『扇が原展望』(1969)や『水辺の馬』(1969頃)とともに、まるで違う展覧会に来たような心持ち。
もったいない。もし、神田日勝が今もなおこの世にいたならば、どれほどの作品を著わしてくれただろう。
ちなみに、マイベスト神田日勝は作品名知らず。まるで絹谷幸二のような。



ダイヤゲームのラスボス戦みたい 「東京アラート、発動――!」で真っ赤な都庁の写真が再び話題に
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6109119

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