当たり前のように土曜日の8時はTBS
ボーヤからドリフターズ入りした時の『8時だよ!全員集合』のシーンをいまだに覚えている。
ドリフターズでは幼稚園児のときから「何だバカヤロー」の荒井注ファンだったので、当時、小学生の自分はアンチ志村けん。
奇しくも、46年前の今日、1974年3月30日に荒井注は引退し、次週からボーヤの志村けんが正式メンバーとなることが発表された。
合掌。
志村けんの命がアンチコロナのシンボルとなった。
これによって、これまで無関係だからと夜な夜なふらついていた若者は自宅でプレイステーションに嵩じ、ゴールデンウィークに海外旅行を考えていたOLちゃんたちは、NetFlixで映画三昧の生活に軸足を変えていく。
ナイトクラブやガールズバーも、志村けんの死がトリガーとなって立ち行かなくなるだろう。
しかし、満員電車だけは志村けんの命をもってしても明日も明後日も走り続けていく。
或いは、自家用車なら安心だと久しぶりにハンドルを握ったおじさんやおばさんは、どこかへクルマをぶつけて渋滞を引き起こす。
つまり、早く緊急事態宣言を出して都市封鎖する選択肢はかなり近い。
都市封鎖になる前に、街風景。
我が街の桜絶景
加瀬山と呼ばれていた標高35メートル程度の小さな古墳に《夢見が崎動物公園》なんていう仰々しい名前が付けられたのも、実は志村けんがドリフターズデヴューした1974年だった。我が街と志村けん、何ひとつ関係ないけれど。
お陰さまで今になっては、ちょっとした山吹が咲き誇る自慢の小山になっている。
開園当初から入園料無料の動物園
友だちや彼女や家族との散歩道は必ずここだった。
この日、ラジオ体操を終えてペンギン舎へ向かうと、いつもは開いていない戸口が開かれて朝7時からペンギンとご対面
おはよう。
《桜坂》
未来日記から、毎年ここにやってくるのがルーティン。
満開のときもあるし、8分咲きだったこともある。
当時の赤い橋には去年のタピオカのようにカップルで溢れていたが、今年は自粛の橋。
「桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません」(山中伸弥)
新型コロナ闘病の志村けんさんが死去
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=6027301
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