日本遺産「鬼ノ城」の8回目。
鬼城山の東側をさらに北上し探索しよう。
このエリアでも色々な遺跡が発見されている。
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「鍛冶工房跡」の案内看板
城を築くために使用する鉄の道具を製作・修理した場所で、9基の鍛冶炉が発見されている。
炉の周囲から鉄滓(てっさい)、羽口、砥石等が出土している。
こ
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「第5水門跡」看板
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「土手状遺構(堤)」の案内看板
第5水門の背後には谷川をせき止めた土手が確認されている。
土手を築き内側に貯水池を作り、水の確保と谷川の水量調整により城壁の保護も考えていると言う。
↑(TOP左画像)
スタート地点から1.5kmで、広い岩場に到着する。
ここが「屏風折れの石垣」と名付けられた城壁跡である。
↑(TOP右画像)
「鬼ノ城」看板
案内文には・・
千数百年前、温羅(うら)と呼ばれる一族が朝鮮より渡来し居住。
付近の城塁は当時のなごりと言われている。
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「温羅」の石碑
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赤矢印:「屏風折れの石垣」
青矢印:「東門」位置
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外観を見せよう。
南側から遠望すると石垣の素晴らしい光景が満喫出来る。
7世紀の古代で・・こんな高い山頂にどうやって構築したのだろう?
つづく
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