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2015年12月10日02:37

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岡山探訪 第216回 高梁川の高瀬舟

備中松山城ネタの最終回。
高梁の備中松山藩は河川の流通で栄えた町です。
高梁川沿いの国道180号線に面した観光駐車場で屋外展示中の「高瀬舟」を紹介しよう。

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「高瀬舟」
平成4年(1992年)に建部町の舟大工が模造した実物大の復元船です。
木造の舟なのに、この大きさに圧倒される。

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「高瀬舟航路図」
高梁川の舟運は中世以来、備中国(岡山県西部)の南北をつなぐ重要な交通手段でした。
室町時代から整備され、その後は上流の新見まで延びて諸物資の輸送が発展する。
さらに寛文11年(1616年)、2代藩主・水谷勝宗は高梁川河口の新田開発(干拓)に伴い、高梁川下流に「高瀬通し」(船穂や玉島港を結ぶ運河)を完成させる。
その河岸(かし)には問屋が並び飛躍的に発展している。

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「高瀬舟見取図」
船体は杉やヒノキの木造で、底を平たくして浅瀬に対応した舟型になる。
「大高瀬」(50石積み以上)と「小高瀬」(12石〜30石積み)がある。
50石積みは・・
長さ:約16m/巾:約2m
帆柱高さ:約8.5m
積載量:約6t

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「舟の運行図」
下流には川の流れで下り、上流へは帆を張って風を利用したり、曳綱(ひきづな)で舟を引き上げていた。

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明治期の古写真


さて、備中松山城のお城探訪から始まり、その城下町を見学すると・・その歴史や文化にも触れる事が出来る。
以前に玉島港を探訪した事があり、これで備中松山藩の歴史を知る上で下流と上流が繫がった。

・過去の関連日記
岡山探訪 第138回 玉島・溜川の風景
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