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2015年12月08日01:07

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岡山探訪 第214回 高梁の城下町

備中松山城の続編です。
前回の武家屋敷に続いて、今回は町家を紹介しよう。

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ここは高梁川に沿った古い商家の並ぶ本町通りで、慶長10年代(1605〜1614年)に小堀正次、政一(遠州)親子が備中奉行に着任後、城下町の建設に着手。
松山往来の起点として、ここに「本町」が誕生し、豪商の賑わいを伝える屋敷が今も残っている。

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↑(TOP左画像)
「商屋資料館/池上醤油醸造元」
ここは享保年間八代将軍吉宗の頃、この地で小間物屋をはじめ、その後、両替商、高瀬舟の船主等を経て醤油製造で財をなした豪商の家。
1843年に建てられ、一部は大正時代に改築。
敷地内には、旧商家棟、管理棟、商家資料棟、醤油製造棟があり、江戸時代の旧家の格式を感じさせる。(入場無料)

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↑(TOP右画像)
「高梁市郷土資料館」
本館は明治37年に建築された旧高梁尋常高等小学校本館で、明治洋風建築として市の重要文化財に指定。
現在は郷土の民具や農耕具、古時計、家電、各種生活用具等、民族資料の展示館になっている。
ただし、館内は撮影禁止。

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「海軍中将 杉政人誕生の地」
少機関士(機関少尉)として日露戦争に出征し、旅順港閉塞作戦に2度参加。(武州丸、米山丸機関長)
その後は呉海軍工廠長、軍需局長といった要職を歴任し、昭和4年(1929年)海軍中将に昇進。
さらに機関科出身将校としてはじめて艦政本部長に就任する。
機関科将校としては異例の出世であり、「海軍機関科史上初の大将の最有力候補」と言われる。
しかし、本部長在任中に友鶴事件が発生し、昭和10年(1934年)に引責辞任し退官している。


つづく


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