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2015年11月30日09:56

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岡山探訪 第212回 大松山城跡

展望台からの見学を終えて「備中松山城」へ再登城した。
中腹の“ふいご峠駐車場”は僅かな駐車スペースしかなく、土日は麓の駐車場から送迎バスが運行されている。
しかし、我々が到着した時間は朝の7時半なので、運よく最後の一箇所が空いていた。

・TOP左画像
「備中松山城」
二の丸から「五の平櫓」と「天守」を望む。

ところで、臥牛山(がぎゅうさん)は標高487mの山で、前山(下太鼓の丸)、小松山(本丸)、天神の丸、大松山(大松山城)と称される4峰で構成されている。
創築期は標高470mの大松山に築城され、その後に城域が拡張。
現在の小松山(標高430m)が「備中松山城」として城郭の中心となるのは、元亀2年(1571年)に入城した三村氏時代からである。
今回は小松山からさらに足を延ばして大松山を目指してみた。

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↑(TOP中画像)
「土橋」
深い空堀に掛けられていた木造の橋を復元。
天守から少し下るとすぐに到着できる。
戦乱の際は防衛上、この橋は壊されると言う。

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「相畑城戸跡」
備中松山城から350m。

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「天神の丸」の堀切
本丸と出丸の間に設けられている。

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「天神の丸」縄張り図

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「天神の丸跡」
備中松山城から420m。
小松山から大松山に南北に続く尾根上に位置する。
ここは天正2年(1574m)に備中松山城・三村氏と毛利氏が戦った“備中兵乱”では最初に陥落した場所。

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↑(TOP右画像)
「大池跡」
小松山から約500m先に大きな池がある。
この池は総石垣で築かれた23m×10mの井戸跡で、当時は覆屋(おおいや)と呼ぶ屋根が掛けられていたと言う。
自然に湧水が溜まったもので、現在の水の色は不気味にどす黒い。

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「臥牛山のアベマキ」
“森の巨人たち100選”(林野庁)に選定された樹齢350年のアベマキで樹高は30m。

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「大松山城」縄張り図

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「大松山城跡」
備中松山城から580m。
ここは中世城郭の遺構になる。
延応2年(1240年)に有漢郷(現・有漢町)の地頭であった秋庭三郎重信が築城したと伝わる。
周辺には6箇所の平坦地が見られ、他にも腰曲輪(こしくるわ)と言われる小さな平坦地が数箇所ある。
また、堀切は箱堀状になっている。

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本丸と二の丸の間に見る井戸


ここ臥牛山も紅葉シーズンが終わり、辺りの地面は落ち葉で真っ赤な状態だ。
雑草の少ないこの時期は、これから山城探索には最適の季節になる。
ここは程よい高低差と距離なので初心者には丁度良いコースだろう。
次は麓に降りて高梁の城下町を探索しよう。
つづく

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