今年3箇所目の城跡探訪先は福山市の北西(新市町)に位置する相方城跡(さがたじょう)を尋ねてみた。
この城は毛利方に味方した有地隆信(国竹城主)の子、元盛が築いた居城で、その後の毛利氏が直轄するまで戦国時代末期(永禄〜元亀)に使用されている。
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ふもとから見る「城山」と呼ばれる「相方城跡」
標高191mの山頂に東西1000m、南北500mの範囲に城郭遺構が分布している。
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「相方城跡」案内標識
山の中腹にある浄水場の駐車場に車を止めたが、ここからさらに山道は続く。
アスファルト舗装しているので車で上がれるようだが、道幅が非常に狭い。
もし対向車が来るとまったく交わせないので、山頂まで歩いて上がる事にした。
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蛇行した車道を歩いて上がると最初の石垣(9郭)が見えてくる。
↑(TOP中画像)
「佐賀田城跡」石碑
「相方城」は別称「佐賀田城」と呼ばれていた。
ここは「10郭」で「相方城跡」のほぼ中央位置になる。
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「相方城跡」縄張り図
東側の「主郭」と西側曲輪群の間に堀切りで区切られていた事が分かる。
また、緑色のラインが発掘された石垣範囲を示している。
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「第9の郭」
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「9郭」から見る「副郭」(2郭)とその奥の「主郭」(1郭)
西側の「9郭」との間に堀で区切られている事が分かる。
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「3郭」の石垣で虎口になる石階段が残っている。
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「主郭」(1郭)
残念ながら、テレビ塔が建てられている。
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礎石が残り柱の建築跡が分かる。
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「主郭」下の「4郭」石垣
・TOP右画像
「主郭」の石垣沿いを通ると奥に「6郭」のトイレ施設が見える。
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「7郭」から主郭を見る。
手前の石垣は「4郭」
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「主郭」から「第5の郭」「第7の郭」が見下せる。
帰路の際は、このルートをたどって山道を降りてみた。
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真下には蛇行したアスファルト道路が見える。
中腹の駐車場からこの道を歩いて上がったが、下りは曲輪沿いで急斜面の山道を降りた。
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山頂から芦田川を挟んで対岸正面に「亀寿山城」(かめじゅやま)が見える。
次回は保存されている「相方城」(佐賀田城)の城門を尋ねてみよう。
つづく
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