三原の町散策3回目。
「三原城」を築いた小早川隆景公は、城下づくりにも智将ぶりが大いに反映している。
城の南は瀬戸内で沼田川河口の小島をそれぞれ石垣で結び、外敵からの侵入を防ぐ。
また、北側の三方は山に囲まれ、多くの寺を城の北側に集め、各寺に外砦の役割を持たせている。
その道路はT字形、カギ形の小路をつくり、西町の城内(武家町)と東町(町家)に段差をつけて、水害対策と城下の防衛に総力が注がれている。
・TOP左画像
城下町仕様の電話ボックス
駅の北側で隆景広場に設置されている。
まずは駅の北側を東西に走る“西国街道”を歩いてみよう。
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「西国街道」沿いの町並み
江戸時代の山陽道で今も町家が僅かに残る。
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「大浜模型店」
この通り沿いに偶然見つけた模型店で、会のメンバーから所在は聞いていたが、初めて訪問した。
ここは当会の展示会ポスターを貼って下さるお店です。
小さなお店だが、店内は天井までびっしりとキットが積まれており、その在庫量に驚かされる。
ちなみにファインモールドのSWを購入したぞ。
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三原歴史探訪マップ
駅の北側に寺社が集中する。
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「宗光寺」
小早川隆景公が毛利元就夫婦を弔うために建立。
城下の西を守る砦として現在地(本町)に移築。
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「宗光寺七層石塔婆」
鎌倉時代後期・永仁(1293〜1299年)頃の塔婆(とうば)で高さは250.8cm
三原市重要文化財。
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「妙正寺」
三原城主浅野家の菩提寺で1674年に建立。(1929年、現在地に移築)
本堂、庫裏、鐘楼堂、最上殿、山門、墓所門等、すべてが享保の建築として貴重。
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「大島神社」
三原城築城の際、大島(天守台の位置)にあった大島稲荷を城の鎮守として現在地(本町)に移築。
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「阿房坂」
宗光寺小路から正法寺周辺は急な坂道が続く。
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「正法寺」
1573年、三原城築城時に鬼門除けとして移建され、代々城主の御祈願寺。
備後西国巡礼8番霊場
・TOP右画像
「成就寺」
小早川貞平(8代)、正平(15代)の菩提寺で1591年に移築。
備後西国巡礼10番霊場
さて、三原の町歩きの中で、「三原城天守台」の石垣風景を上から遠望出来るカメラスポットがある。
そこは“妙正寺坂”と呼ばれ、「三原城」の真北に位置する「妙正寺」へ上がる坂道の事である。
ところが、大きなマンションが建ってしまい・・・現在は情けない景観になっている。
全国どこでも観光地の景観保存問題は大きな課題だろう。
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観光マップに掲載されているカメラスポット
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現在の景観は・・この通り!
このマンションが大きく景観を壊している。
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「三原城天守台」から北側の景観
三原市内の大きなビルはほとんどが駅南ばかりで、北側はこのマンションだけだ。
大急ぎで三原の町を散策したが、山の斜面には他にも多くの寺社が建ち並ぶ。
三原の城下町は正に歴史の町と言える。
つづく
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