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2020年10月07日10:53

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季節外れの A Long Vacation ?

あぁ〜、日記を記すのも久しぶりになってしまったなぁ〜。
公私共に多忙な日々が続いてしまい、日記に記しておきたい出来事を速やかに記せない状態が相変わらず…? 
お題の件、そのあれこれを日記に記し、自分の記憶に残しておきたい。

これまで自分にとっての Negative な思いや出来事を日記に記すのは避けてきた。
何故ならば、そういうのが嫌いだからである。
やれ「体調不良」自慢や「病院通い」自慢の類いの数々、はたまた「会社や仕事への不満」や「人間関係」絡みのうだうだ話、他にも「何だよそれって?」な Negative の数々を記す人々が少なくないようだけれど、私はそういうのが嫌いであった。
けれども、今回はその Negative な話である。

事の発端は 07/03(金)に遡る。
この日は4日間続く遅い夜勤の初日だった。
夜勤に備えて 16:00 頃に Bed In はしたものの、妙に腰と右下半身が痛く感じて熟睡できず、Bed の上でうだうだと過ごす羽目に…。
そして 21:00 頃だっただろうか? 
気分転換に「外からの風が欲しい」と思い、Bed Side の窓を少し開けようと上半身を動かしたその時、強烈で猛烈な激痛が私を襲った。
それはもう尋常ではない猛烈な激痛だった。
Bed の上ではどのような格好でも猛烈な激痛は猛烈のまんま…。
しかも自力で Bed から起き上がれないのだ。
右下半身、特に膝とふくらはぎは「今世紀最大級の痺れ」と言い切っても過言ではない猛烈な痺れが激痛化した感じに…。
これはかなりやばい事になったぞ !? 
たまたま Bed の Side Table に置いてあった iPhone で Partner に「助けてくれーっ!」と悲痛の叫びで救助要請。
1階の居間で寛いでいた Partner を大慌てで2階の寝室に呼び出す始末に加え、大声をあげて痛がる私の様子に危うく救急車騒ぎになるところだった。
置き薬(富士薬品)の頓服鎮痛剤を服用と共に、10枚以上の湿布を貼りまくる。
当然にこの夜の夜勤は有給休暇を頂いた。
こういう時の夜は妙に長く感じる。
長い夜の激痛に耐えた翌朝の 07/04(土)に市内の私立総合病院へ…。
2年前の夏、仕事中にぎっくり腰で動けなくなってしまって担ぎ込まれたのもこの病院だった。
私立とあって土曜日でも午前中は整形外科の外来 OK には救われた思いである。
 

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神経痛に特化した「タリージェ」という薬がこの私には特効薬となった。
5.0mg(2.5mg × 2)を朝夕の1日2回服用とのこと。
大変に Response が鈍い薬だそうで、効き始めるには1週間から10日も掛かるんだとか…。
けれども…? 
幸いな事に私の場合は服用の4日後あたりから急速に効き始め、仕事は1週間を休んだだけで復帰できた。
副作用は「めまい」と「眠気」とのことだったけれど、その「めまい」は一切無しで「眠気」も日常生活では支障無しで済んだのも幸いだった。
以後も定期的にその整形外科での受診と投薬が続くも経過は順調とのことで、8月の中旬頃からは「タリージェ」の服用を半分(2.5mg × 1)にしましょうとの指示に従った。
因みに私の病名は「腰部脊椎管狭窄症」とのこと。
所謂 Hernia(ヘルニア)の親戚みたいな奴? 
脊椎と脊椎の間を通る右下半身への神経が圧迫せれた状態により、本当は痛くもない膝やふくらはぎが激しく痺れているように感じてしまう、とのこと。
手術が必要なのかの問いに、病院側は投薬治療で様子見の姿勢。
まぁ〜、特効薬の「タリージェ」のお蔭で日常を取り戻せたのだから、当面はこれで様子を見るとしよう。
 

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Negative な、その2。
梅雨が明けた次第に即「除草作業」と決めていたのだけれど…? 
今年の梅雨明けは遅かった。
長い梅雨の間も雑草はどんどんと成長する。
で、我が家の庭を占拠する Team「雑草軍団」はこのとおりである。
 

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草刈り機の類は一切使わず、全てを手作業で「根ごと抜く」のが私の基本! 
08/01(土)から連日で除草作業に没頭する。
 

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しかし、腰痛との戦いもあって Team「雑草軍団」を撲滅させるのは容易ではなかった。
ここまで進めるのに3日も要してしまう。
除草し終えた地べたには新たに日光が届き、待ってましたと言わんばかりに小さな緑(の雑草)が発芽しやがる。
お〜の〜れ〜っ! 
こうなったからには(農地登録規格の)除草剤を散布である。
 

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除草作業を開始から4週間後の 08/29(土)の眺め。
 

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どうよ、これ! 
ん〜〜〜。
この眺めに幼い頃の「鋼鉄ジーグ」の主題歌を思い出す。
 俺がやめたら
 誰がやるのさ
 今にみていろ雑草軍団
 全滅だーっ! 
…である。
 

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真夏なのに枯れ果てたこの色に「勝利」した気分。
ん〜〜〜。
イイね、イイねぇ〜。
しかし、そんな気分も束の間。
訳あって、この頃は何度も某病院から呼び出される事が続いていた。
 

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Negative な、その3。
我が家の名字が記されたここは…? 
 

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某葬儀屋さんの敷地内にある(離れの)遺族控室である。
あの「何でそうなる?」だった4年前の事故(やら何やら)で左脳は脳梗塞、その結果で右半身麻痺と失語症、要完全介護で入院中だった父が「今度こそ危ないかも…」で何度も病院に呼び出された日々…。
その度に「あれ…?」で危険な状態を乗り越え続けた父だったけれど、08/30(日)の 10:00 頃、遂にその息を引き取った。
4年もお世話になった病院から父の遺体はこの葬儀屋に搬送され、早速に喪主である私と様々な打ち合わせの数々…。
通夜は 09/01(火)で、葬儀は 09/02(水)の日程に決まる。
葬儀までは夜も線香の火を絶やしてならないので、私ひとりがここに寝泊まりして線香の番人をするのであった。
 

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COVID-19 への感染防止を最優先に、当初は私の家族と弟の家族のみによる家族葬のつもりだった。
新聞の「お悔やみ」欄への掲載も無し。
しかし従兄弟夫婦たちが「どうしても…」との強いご要望でご参列いただく事に…。
お花も想定外の数が並ぶ。
あぁ〜、結構にばたばたしてしまったけれど、どうにか通夜と葬儀の準備も整ったぞ。
とにかく喪主のというのは忙しい。
忙しかったけれど、精一杯に父をあの世へと送ったつもりの私である。
 

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火葬されれば、火葬場から戻った足で私の実家に祭壇を設ける。
遺骨という格好になってしまったけれど、父にしてみれば4年ぶりの帰宅である。
七七(四十九日)の法要まで、ここに遺骨を安置する。
ん〜〜〜。
やっと帰って来たな、親父! 

ふぅ〜〜〜っ! 
そんな一息も束の間で「喪主」の次は「法定相続人」の私である。
死亡届け出の以降も市役所通いのあれこれ…。
日本年金機構へ予約を入れて出向き、先ずは母の遺族年金を確保せねば…。
実家での全てを名義変更、保険会社への入院給付金と生命保険金の請求、他にもあれこれ…。
法務局に提出する「法定相続人」関連の書類作成。
父の出生から死亡まで全ての戸籍謄本を集めなければならないのだけれど、これが厄介…。
長野県山ノ内町で生まれて就職は東京都へ、その東京で母と出会い、この私が生まれた。
そして母の実家がある群馬県安中市へと移ったそれまで全ての戸籍謄本と附票謄本を集めなければならない。
後に父の死去を知った方々がここに弔問くださり、その御礼返し。
更には入院中にお見舞いくださった方々へのお返しも…。
もう「やらなくては…」のあれこれが山積状態。
さぁ〜、大変なのはこれからだ。
…なのにである。

Negative な、その4。
葬儀を終えた翌日の 09/03(木)に、あの猛烈な激痛が Again! 
しかも更に Power Up したそれは猛烈に猛烈な痺れと激痛で「もうどうしたらばイイんだ?」状態に陥る。
正直なところ反省点はある。
あの遺族控室で過ごした数日間、いつもの特効薬を飲み忘れたのだ。
それが原因のひとつだったとしても、何で更に酷い激痛になってしまうのだ? 
Bed の上ではどんな格好でも激痛から逃れらず…。
立ってても駄目、座ってても駄目。
もう頭がおかしくなりそうな激痛だったけれど、強烈な鎮痛剤が投与されて漸く「座ると楽になる」までに至った。
これ以降、夜の睡眠も「座って寝る」である。
書斎の机の上に Cushion やら何やらを積み上げる。
その積み上げた Cushion に上半身を預け、椅子に座って寝る。
これしか「楽に寝る方法が無い!」のだから辛かった。
Bed で横にならない睡眠を続けると、足はどんどんむくんでいく。
それはもう「象さんの足」のよう、いや極太の Ham かのような足になってしまったのだ。
で、一歩でも歩こうとすれば猛烈な激痛。
父の死去で会社からは7日間の特別休暇(喪休)をいただくも、それに続いて病欠になってしまった私である。
 

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連続歩行は 20m が限界。
とてもとても 50m すら続けて歩けない自分が辛く悲しい。
それでもお役所やら何処やらへ出向かなければ、何も進まない。
歩く一歩の度に「うぐっ…」やら「ぐぁ〜っ」と叫び、出向いた先々では車椅子。
そんな私であろうと、いつでも何処でも Partner の献身な介護には涙が出る思いである。
そんな Partner が私の手となり足となり、日本年金機構にも足を運べた。
先ずは母の収入を確保(遺族年金の支給手続き)が急務だったからね。
因みにこの頃、何処へ出掛けるも私の服装は Night Wear のまんまであった。
 

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09/07(月)でいつもの病院からの帰り道。
時は正午過ぎで「お腹が空いたぁ〜」の我々は地元の駅前食堂へ…。

なのだけれど、どアンポンタン mixi による「本文を10000文字以内で…」という身勝手な都合により、ここまで。
次回に続く。
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