mixiユーザー(id:8412528)

2018年02月11日22:12

65 view

罪=人に迷惑をかけること…とは限らない

 私たちの教会では、夜の祈り会が毎週金曜にある。祈りだけでなく、信仰生活の中で考えたことなど色々話す。夜なので男性陣が参加しやすい。しかし先日は、神様と牧師夫妻と私だけだった。私はこんな話をした。
 多くの人は、罪=人に迷惑をかけること…と理解しているのではないか。でも聖書の言う罪は、必ずしもそうではない。聖書は、聖書の神以外を拝むことも重大な罪と位置づけている。だから神社に行って頭を下げて、世界の平和を祈るのも罪ということになる。一般の人は納得いかないだろう。なんでそれが罪なんだ。世界の平和、家族の健康を祈るのは、良いことではないか。そう言うに違いない。「なんでそれがいけないの?」この質問を何人かのクリスチャン仲間にぶつけてみたことがある。「それは不倫と同じだ」等、幾つかの回答を得たが、クリスチャンである私にとっても、納得のいく答えは得られなかった。なぜなら、それらの答えが、確かに聖書から導き出されたものとは思えなかったからだ。だから、私がもしその質問をされたら、正直に「解らない」と答えると思う。解らないけど、神様は確かにそう言っている。神社に行って祈ることは、人に迷惑をかけることではない。むしろ、人の幸せを願っての、良い心から生じる行為かもしれない。ところがそれは、人知を超えた神の目からは罪であり、罪を犯すと悪霊が関与し、めぐりめぐって自分自身が苦しむことになる。
 …こう答えるのが、クリスチャンでない人にとっても一番納得がいくのではないか。そもそも、聖書で最初に記された罪、すなわちアダムとエバが善悪の知識の木の実(禁断の果実)を食べたことですら、それを食べることによって、誰に迷惑をかけるとも思えなかっただろう。でも、食べたことによって、アダムとエバだけでなく、すべての人類が苦しみを経験することになった。このことをいかに世の中の人に伝えていくかが、私たちクリスチャンの課題の一つではないか。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する