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2020年04月03日15:15

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昔の記憶、三沢のお別れ会

ミクシィ日記の旅日記は基本的に備忘録。なんで当時書く習慣のなかった頃のものを
記憶をたよりに書き起こす。

プロレス観戦で初めて飛行機乗ったのは2011年2月のノア後楽園大会なれど、
2009年には三沢光晴さんのお別れ会でディファ有明行った。今とは比べものにならない
拙い知識での遠征ってか、日帰りだったので出張みたいな感じ。早朝の飛行機が安い
とか、そう云う知識もなく、あっちでの行動に合わせて飛行機を。

千歳空港に着いてエアドウで受付するも、理由は忘れたが飛行機が欠航。なんで
予定出発時刻より後のANAに振替搭乗して羽田空港へ。んで、事前に電話注文していた
羽田空港の花屋で献花を買ってディファ有明に向かう。電話では2000円位でお任せと
していたのだが、2800円位の花だった。
当時はスマホもなくて、乗る交通機関を事前に調べてすべてプリントアウト、色々
乗り継いで国際展示場に。

想像以上の大行列で最後尾まで少々歩いた。後で知ったのだが、電車で内で、
「お別れ会には隣の駅で降りた方が最後尾に近い」的なとアナウンスがあったと。
炎天下で列もなかなか進まず、飲み物とかも準備してなかったから結構辛い時間だった。数人で来ている人は、一人抜けて近くのコンビニで物資の調達とかしてたが、
独り身ではそうはいかない。んで、行列の進み具合を鑑みて、帰りの飛行機会社
エアドゥに電話。夕方の便に間に合うかもしれなかったがどっちにしてもギリギリなんで
帰りの便を遅らせようと。電波が悪くて何度か途切れるも、話は通じて遅い便に
乗ることに。これも今考えれば恐ろしい行為、料金のわからない、しかも当日
申し込み飛行機に乗るんだから。
とにかく日帰りが安上がりと思いこんでたから、泊まるって選択肢が無かった。

お別れ会なれど、会場に入るまでの雰囲気は温和。まさにプロレス会場で入場待ちをする
列そのもの。
だが、会場の入口あたりでは選手達が喪服で頭下げてて、会場は薄暗くここにきてやっと
お別れ会的な雰囲気。会場内でも列はあるものの外程ではなく、ここからはすぐだった。膨大な量の花が積まれているところに花を置いて黙想して退場。家帰ってから
テレビで知ったのだが、献花台だと思ってた思っていたのはリングだった。
献花に覆われてリングがまったく見えなかった。その二年後にディファに観戦に行って、
ここが献花台だったんだなと、少々感慨深かった。

献花するだけだからすぐ終わると思ってて、終わった後に東京にいる友人と久々に
会うつもりだったが時間がほとんどなく、友人には国際展示場駅まで来てもらって、
一緒に羽田空港行ってそこで飯食べてお別れした。

そして、エアドゥのカウンターへ。追加料金あると思ってたんだが、
「飛行機遅らせたのは行きの飛行機の出発が遅れたせいだ」と先方が勝手に
解釈してくれて追加料金もなし。夜の八時頃には自宅へ。

大学卒業して社会に出て、当時は学生時代ほどプロレスに熱中しなくなった時期での
三沢さんの事故だったから、すごくショックだったな。ノアも年に1度観にいくか
どうかで、事故の遠因は自分にもあると思ってた。
その翌年からノアの北海道シリーズは網羅するようになり、翌々年から飛行機乗って
ノアを観に行くようになった。
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