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2019年12月14日11:06

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「救い」について

キリスト教のシンボルは「十字架」です。

クリスチャンで無くても知っています。

その意味は「聖書」にあります。

新約聖書(新契約)の中心であります。

(新契約)は(旧契約「旧約聖書」)が完了した事とユダヤ人のみだった救いが、全ての人が対象になった事です。

キリスト教は明確な契約の宗教です。

神が造られた人間は神と共にエデンの園に居ましたが罪を選び追放されてしまいます。

神は比較的罪から遠い人間(アブラハム)を選び(旧契約)を結びます。

しかし、彼の家族も子孫も罪だらけ。罪から来る報酬は死です。

1人も神の国(天国)に戻れません。

そこで罪はどうしようも無いが、罰で有る死を罪の無い人間(神の独り子イエス)に受けさせ、罪が贖われたとみなし、天国に入れる道を作られた。

それが「イエスの十字架」です。信じる人が神と共に暮らせる場所「天国」に戻って欲しい為です。

それが「救い」だと私は思って居ます。



それから、キリスト教の「救い」は、恩寵です。人間の努力はひとかけらも有りません。

十字架が信仰への入り口ですが、罪は死ぬまでノンクリスチャンと同じ様に犯し続けるのです。

クリスチャンの目的も最後は十字架のみです。

罪の有る人間に良い事は起こせません。
でも神を意識して生活したいと思う事も事実です。「聖書」は罪の無き生活の目標です。

目標をおこなった事により、信仰に近づけたと思う事程の高慢(重い罪の一つ)は有りません。

罪は日々犯し続け、赦され続けます。

ちなみにカトリック信仰は、善行や巡礼も「救い」に影響を及ぼす立場ですから、私の意見はプロテスタント信仰と言った方が良いですね。
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