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2019年10月14日12:00

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ジュラルミン金属を振り返る

左:アルミニウム 右:ジュラルミン

アルミはALTEC JBLなどのコンプレッションドライバーの標準振動板。

ジュラルミンはWestern Electric594などのホーンドライバーの標準振動板ですね。

ウィキによるとジュラルミン金属とは以下のようです。

1903年[1]ドイツ中西部のデュレン(Düren)で、アルフレート・ヴィルム(Alfred Wilm)[1]によって偶然に新しい合金が発見された。薬莢の材料として従来は銅と亜鉛の合金の黄銅を用いていたが「もっと軽いアルミニウムを銅と混ぜたらよいのではないか」という発想から、4%の銅を混ぜたアルミニウム合金[1]を作ったところ、軽量でありながら破断に強い合金が得られたのである。ある種の金属において、焼入れ後室温で数日放置した後に硬度が上がる時効硬化という現象があるが、これは1907年にジュラルミンにおいて初めて発見された。

この合金は1909年[1]に「ジュラルミン」として発売された。Dürenner Metallwerke A.G. 社50年史(1935年)によれば[2]、ジュラルミンとは地名のデュレンとアルミニウムの合成語とする説と、ラテン語でhardを意味するdurusとaluminiumの合成語とする説がある。

この頃始まったモノコック成形に最適で、高い耐破断性を持ち、超軽量であり、また第一次世界大戦の前夜というタイミングでもあり[1]、1910年代、ツェッペリン飛行船やユンカースの輸送機への導入を機に、航空機用資材として広く用いられるようになった。

日本では1916年(大正5年)に住友伸銅所(住友金属工業)でジュラルミンの研究が開始された[3][注釈 1]。さらに1936年に住友金属工業は超々ジュラルミン (ESD) を開発し、帝国陸海軍の軍用機にもESD他のジュラルミン材が多用された[4]:5。

もっともジュラルミンには水、特に海水に対する耐食性に問題があり、飛行艇の底面や水上機のフロート(舟)の喫水下部分には、「銅を含まないアルミニウム材」や、ある程度の重量増と引き換えにアルクラッド(Alclad)材を使用せねばならなかった。

第二次世界大戦後、GHQによる航空産業の禁止で余剰となったジュラルミン部材が、川崎航空機と縁の深い川崎車輌が製造を担当した国鉄向け新製鉄道車両の一部(国鉄63系電車や国鉄オロ40形客車など)に使われ、特に63系電車の場合は「ジュラ電」などと呼ばれて注目を集めたが、耐食性が低い材料であるにもかかわらず塗装を施しておらず、車両自体の電装品の絶縁が不十分であったことなどもあって急速に腐食と電食が進行し、このため製造後わずか7 - 8年程度でいずれも鋼製車体に置き換えられ、短命に終わっている。また、東京駅丸の内駅舎の戦災復興に際しても、軽量であることからドーム部の骨組にジュラルミン材が使用された。

戦後の国産旅客機、YS-11(日本航空機製造)も総ジュラルミン製である。

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