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2019年06月18日14:56

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メモ 水滸伝と八犬伝

168 名前:名無シネマ@上映中 (ワッチョイ 0200-YCmz [125.192.209.54])[sage] 投稿日:2019/06/15(土) 15:39:09.21 ID:NBTRWo8A0 [1/3]
たまたま高島俊男の水滸伝関係の本読んでたら、筆者が
一番好きだと言う正岡子規の「水滸伝と八犬伝」という文章に
ついて書かれてたんだが、こんな内容で笑った。


「小説としての八犬伝の価値は、この『理屈っぽい』という点で
非常に落ちている。

一例を挙げると、水滸伝序章の妖星が後の百八人であるか
ないかは理屈的に説明されていない。極めて漠然としている。
ここが水滸伝の面白いところである。
しかるに八犬伝は八犬士と姫、八つの玉、体のあざと、二重
三重の理屈ずくめ、理屈がらめにした。
実に拙とも醜とも言いようのない趣向である。

馬琴は、水滸伝のような漠然とした所にこそ小説の妙味が
あるということを知らないで、理屈がらみになっているのを
用意周到の仕事と思って喜んでいたらしい。

人物にしても水滸伝の方は理屈なしの無邪気な人間を作って
いる。一部を除いて愚直朴訥いたずら盛りの腕白小僧のような
人間が集っている。それに比べて八犬伝は性格も行動も理屈で
作られていてみな窮屈で無邪気なところがない。

人間が理屈っぽくて趣向が理屈ずくめだから、水滸伝のような
案を打って快哉と呼ぶような場面が出てこないのである」
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