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2016年04月15日21:23

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携帯も始まりは・・

■「ポケベル知らない」「免許は昔大きかった」...読者がジェネレーションギャップを感じた瞬間
(Jタウンネット - 04月15日 17:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=241&from=diary&id=3948905

携帯電話も、もともとは自動車電話の扱いだった。
自動車に取り付ける電話。トランクに黒い40cmほどのアンテナがついているのがステータスだった。
その自動車電話に巨大な電池をつけて出されたショルダーホンが携帯の先駆け。
おせち料理の重箱の一段の大きさで、それを縦にした
感じの本体にハンドセットがついたもの。

そしていよいよ携帯電話の登場。

そしてauの前身のIDOも電話を出した。

当時、電話機はリースのみ。
当時は契約料がありNTTは20万くらい。IDOは8万くらいだった。
で、月の基本料がNTTは2万円。IDOは1万7千円だった。
そして、不便なことにNTTとIDOでは通話ができなかった。

通話料は160km以内とそれ以上の2段階。
160km以上の場所から携帯にかけると「030ではなく040でお掛け直しください」のアナウンスが流れた。
IDOはNTTよりも基地局が少なかったのでNTTローミングサービスというのもあった。

バッテリーは12時間くらいしかもたなかった。
こころは電話機のウラには「自動車電話子機」とか書かれていたから、自動車電話という扱いに入ってたようです。

今は通話料が安くなったけど、それには途中、微弱電波のPHSという電話機のヒットにより、通話料の安さでPHSに集中がおこり、そのために携帯電話の通話料が下げられた経緯がある。
携帯電話に対して、PHSは通称「ピッチ」と呼ばれてた。
このPHSの登場でポケベルが消えたと言えるだろう。


免許はたしかに今よりも大きかった。
そんで、「訓読み」の不可解なフリガナが自動で付けられた。

また、免許証は申請書に書いたものがそのまま写真プリントで免許証になったので、申請書が手書きだと、手書きの住所、氏名のままとなるので、申請書に和文タイプライターで打つ「代書屋」が免許センターの近くには乱立していた。
今のようにワープロが無い時代なので和文タイプライターだったのだ。

だから外字機能が無く、旧字などの特殊文字が名前に使われている人はその文字だけ手書きになったりもした。

免許も即日交付ではなく1週間後に取りに行く形式。
その手渡される行為を「交付」というが、その前までは無免許扱い。
せっかく合格しているのに免許を取りに行くのに自動車や自動二輪車や原付で行ってしまう人がいて、無免許として処理される人もいてニュースになってた。


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