mixiユーザー(id:817542)

2019年10月15日09:29

137 view

『ジョーカー』を見た。1-- メモ的に

まず映画的強度の強さに驚いた。

見終わっての、第一感想は、”よくこんなにすごい映画を、多くの人が、席取りを争うような勢いで見に行くな”というものだった。

話題になっていたし、ある程度の場面は知っていた。
しかし、正直、この作品を、あなどっていた。

ジョーカーが、自分の暴力性に目覚めて、ゴッサムの悪の首領に祭り上げられる様を、上手に描いているのだろうと、そのくらいに考えていた。しかし違った。

まず、この映画、アップの映画だということ。アップの映画に名作あり。というか、多くの傑作映画は、役者のアップが多用されている。それだけ主演の俳優の演技が見ものであることであり、監督、カメラマン、製作者の一同が、それに引き込まれていることの証。『ジョーカー』も、主役のホアキン・フェニックスの演技が、近年見たことがないくらいに、臨界点を突破したようなことになっている。

この作品、アカデミー賞の、作品賞、監督賞、主演男優賞くらいは、受賞してほしい。さらにコスチュームデザイン、撮影、編集、音楽も。主要部門を独占するくらいの仕上がり。

多くの支持を得ている理由としては、ジョーカーが徹底して、弱者の、貧民層の代表であり、その「日々の生活の悲惨さ、哀しさ」を丁寧に描いている点であると、ひとまず言える。そこが、今の格差社会(というか、すでに階級社会となっているという指摘もある)に生きる人たちの共感を得ている、と。確かに物語はそうした筋立てを持っているが、それだけではない。

その上に、この映画が、近年ないほどに、映画的に強く、濃密で、表現が見事に仕上がっていること。画面構成、色彩、音楽の選び方と寄り添い方、役者たちの演技。それらが太い綱のように編み上げられて、最後まで進んでいく。

暴力を描いているのだが、それは、多くの暴力描写がある映画以上に深いところにまで到達している。思い出したのは、ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。ビョーク演じるセルマが、「お金を返してくれ」と、どうしても必要だからと、請い願ったが、相手はそれに応じなかった。彼女にできることは、人を殺すことでしかなかった。その時の、手に拳銃を持ち、相手に近づいていく時のセルマと、今回のジョーカーである、アーサーは重なっていく。セルマやアーサーは、特に暴力に魅せられていたわけでもなく、異常者でもない。

社会的な弱者であり、母の面倒をよく見る優しい青年でしかなかったアーサーが、自分の母親の秘密を知り、生い立ちの事実に直面させられる。行方を狭められ、出口を絞り込まれ、その結果、変貌せざるをえなくなっていく。その様をこの映画は、丁寧に描いている。

だからその結節点に、優雅とも言える、夢遊病者のような”ダンス”がある。強く音楽と結びついた名場面となっている。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年10月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031