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2017年04月05日07:50

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『邪飛』二冊

 ツイン21の古本市は先週の土曜日から始まっています。陽気にさそわれてぶらぶらと、咲きはじめた桜を見ながら覗きに行ってきました。
 四日目ともなりますと会場ものんびりしたものです。気になる本屋さんの棚だけをじっくりチェックしてこちらをちょうだいしました。
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 『邪飛』第一号(一九七六年一二月二〇日)、第二号(一九七八年五月二五日)、発行は邪飛の会、同人誌です。同人はこちら。
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 荒川洋治、平出隆、山口哲夫、稲川方人など。第二号にも同じように名前がならんでいるのですが、
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荒川洋治の名の下に「中途脱退」とあります。二号の「編集を了えて」で河野道代は、≪「邪飛」の発案者であった荒川洋治が、本号準備段階で同人を脱退した。この件については、やはり本誌上で何らかの理由なり経緯なりを明らかにしてしかるべきと思われるので、末尾ながら若干の報告をしておく。とはいっても私が荒川の意向を知ったのは人伝てで、会って説明を受けたのは稲川だけ。平出、正木を除く他の同人は総て本人から一言の達しも受けていないというのが実情である。それも聞くところによれば「ノイローゼで、理由は勘弁してほしい」ということであった。その後「現代詩手帖」七七年三月号では、「寒とした一人の書き手にかえってみたい」と脱退を公言しているのをみかけたが、百に余る反響を呼ぶに到った同人公募の果にしては、とその身の処し方に疑問を持った。なお「手帖」十月号の荒川の筆になる一文において“遠交近攻”という発言が眼に入ったが、その伝を「邪飛」の中でこそ、身をもって実行してほしかった。≫と書いています。おやまあ、という感じですね。何があったのでしょう?
 そういえば、山田稔さんの『季節』でも、≪創刊号が出て間もなく、中川久定が同人をやめると宣言したのである。さらに彼はそこに書いた自分の文章にはげしい自己嫌悪をおぼえたあげく、その号を全部回収したいとまで言い出して同人たちを困らせた。≫ということがあったようです。
 結局この『邪飛』は二号で終わったのでしょうか。

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