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2020年08月09日17:45

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昨日のNHKのETV特集

(写真は2019年11月22日掲載のキリスト教新聞様よりお借りしました。)

ETV特集 被爆75年「焼き場に立つ少年を探して」

23時からの放送で遅いので録画したのだけどやはり観たいと思ってお昼寝をしてスタンバイしていました。

写真は従軍のカメラマンが撮ったもので亡くなった後に奥さま(日本人)が出版社の勧めで去年公開されたそうです。


亡くなった弟を背負って母親を探し 焼き場で順番を待っている多分10歳くらいの少年だと思うけど胸が痛みます。


この写真を見た人が名前は思い出せないが 「どうしよったと?」と聞いたら「お母さんを探している」と言って 少年は順番が来て背負っていた弟を火の中に入れ口を真一文字に結んで真っ直ぐに立っていたと言う話をしていました。



お母さんに会えたのかどうか・・・・





私には今は亡くなっていますが曾祖母が生前 戦争中のことなどを聞くと話してくれました。



曾祖母は私の母の祖母で私には曾祖母になります。



母は当時15歳で空襲にあいました。



母は母親が空襲で防空壕に避難しようと言ったけど防空壕には入らなかったそうで空襲が終わった時は離れ離れになっていて母は避難していた母親と妹・弟を亡くしたそうです。



僅か15歳だった母が市内を流れる松川縁に亡くなった人がムシロを掛けられて並んでいる中を一枚一枚ムシロを捲って母親や妹・弟を探して歩いていたと曾祖母は言っていましたが母が探す人はそこにはいなかったそうです。



曾祖母は15歳の子供(母)が捜し歩く姿を見て一緒に探しているのが本当につらかったと。



私はその後の事も知りたかったのですが曾祖母はいつもその後の事を話す頃になると”用事を思い出した”みたいな事を言ってその場を離れ最後まで話を聞けなかったことを思いだします。



・・・・が



ある時チラッと防空壕の中で3人が重なるように・・・・みたいな事を聞きました。



15歳の母の辛かった思いは想像する私も辛かったです。



私が子供のころに飛行機の音がすると「あの音を聞くとB29の爆撃を思い出す」と言って両手で耳を塞いでいたことを思いだしますが 色々な話を曾祖母から聞きいていましたがめったに母からは戦争中の話は聞いたことがありませんでした。



焼夷弾(しょういだん)が飛んできて 頭が吹っ飛んでなくなった子供をおぶっている事を知らないで背中を揺すっている母親がいたり



焼けただれた衣服を着た人が熱い 熱いと言って松川に飛び込んでいる人もいたり





そんな話を何度も曾祖母から聞いていた私は昨夜の被爆体験者の話を聞いて重なることも多く涙があふれました。



年々戦争・被爆体験をされた人が少なくなるいま 私も戦後生まれなので戦争を知らない世代に悲惨さを伝えることが大切だと思いました。





去年 この写真を見てショックを受け曾祖母から聞いた話をいろいろ思い出して今日この記事をまとめるまで1年かかりました。



被災された方々が高齢化すると益々真実が遠くなります。



一日も早くこの写真の少年をご存知の方がお出でになることを祈っています。




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