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http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10118092661.html
〓先月ですね、“ナウシカ” という名前について書きました。
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10103920047.html
〓けっきょく、結論は出ずじまいでした。
〓実は、“ナウシカ” (ギリシャ語では “ナウシカアー”) という名前については、巷間 (こうかん) で流布 (るふ) している説があります。
burner of ships 「船 (複数) を燃やす者」
と言うんですね。たとえば、英語版のウィキペディアの Nausicaa の項に当たってみると、
Her name means, in Greek, "burner of ships".
http://en.wikipedia.org/wiki/Nausicaa
と記されています。しかし、ギリシャ神話に 「ナウシカアーが、数々の船に火をつけてまわった」 なんてバカげたエピソードは出てきません。あきらかにオカシイ。
【 「ナウシ」 は “船によって” 】
〓まずですね、アッシは、1つ大きな思い違いをしていた。
ναῦς naus [ ' ナウス ] 「船」。古典ギリシャ語
※さらに古いギリシャ語では *νάϝος nawos [ ' ナウォス ]
という単語を語頭に含む合成語においてですね、
ναυ- nau- [ ナウ〜 ]
ναυσι- nausi- [ ナウスィ〜 ]
という2通りの形が現れるのは、古ギリシャ語の *νάυϝος 「ナウォス」 が、古典ギリシャ語の時代に ναῦς 「ナウス」 となってしまったことで、どこまでが語幹かわからなくなったからだ、と考えていましたが、どうやらそうではないらしい。
〓実は、古代ギリシャ人は、実に規則正しく、2つの形態を使い分けていたのです。ちょっくら、ναυσι- nausi- で始まる古典ギリシャ語の合成語を見てみましょう。特に、“語義” に注意してください。
ναυσικλειτός nausi-kleitos [ ナウスィクれイ ' トス ] <形容詞>
「船々によって名を馳せている、海で名をとどろかせている」
ναυσιπέδη nausipedē [ ナウスィ ' ペデー ] <名詞>
「ともづな、もやいづな」 ← 「船の足かせ」
ναυσιπέρατος nausiperātos [ ナウスィ ' ペラートス ] <形容詞>
(川・海が) 「船で渡りうる、船で横断しうる」
ναυσιπόμπος nausipompos [ ナウスィ ' ポンポス ] <形容詞>
(風が) 「順風の」 ← 「船を運ぶような」
ναυσίπορος nausiporos [ ナウ ' スィポロス ] <形容詞>
(川が) 「船で渡りうる」
ναυσιπόρος nausiporos [ ナウスィ ' ポロス ] <形容詞>
「船旅の、船で行く」、「船を駆る、船の速度をあげる」
ναυσίστονος nausistonos [ ナウ ' スィストノス ] <形容詞>
「船に向かって嘆き悲しむ」
ναυσιφόρητος nausiphorētos [ ナウスィ ' ぽレートス ] <形容詞>
「船で運ばれる、船旅の」
〓 Liddell & Scott に掲載されているのは以上の8語です。
〓 ναυσι nausi 「ナウスィ」 というのは、ναῦς naus 「ナウス」 の 「複数与格」 の形です。“与格” (よかく) というのは、英語しか学ばなかったヒトには耳ナジミがないかもしれません。しかし、ドイツ語やロシア語を学んだヒトなら周知でしょう。ドイツ語学のほうでは3格とか Dativ 「ダーティフ」 などとも言います。英語で言うなら 「間接目的語」 に当たります。
Give me some water!
※ me が 「与格」。some water は 「対格」 にあたる
〓しかし、ドイツ語やロシア語の “与格”、あるいは、英語の “間接目的語” と比べたときに、古典ギリシャ語の “与格” は、その用法がかなり違います。
(1) 「〜に」、「〜のために」、「〜の方へ向かって」
〓これが本来の “与格” の用法で、他の印欧語とも共通しています。英語では、代名詞の場合は me, him, her, them などを使いますが、普通の名詞は格変化を失ってしまったので、to 〜 (〜に)、for 〜 (〜のために) などの前置詞を使います。
(2) 「〜を使って」、「〜に乗って」、「〜によって」、「〜といっしょに」
〓これは、印欧語では、本来、“具格” (ぐかく) という格を用いて示していましたが、ギリシャ語では “与格” に吸収されてしまったのですね。ロシア語で言うところの “造格” (ぞうかく) というのが、印欧語の “具格” に当たります。英語では、前置詞を使って、by 〜 (道具・乗り物)、with 〜 (同伴) と言い表しています。
(3) 「〜において」
〓これは、本来、印欧語で “処格” (しょかく)、“於格” (おかく)、“地格” (ちかく) などと呼ばれる “場所をあらわす” 格が、ギリシャ語では “与格” に吸収されてしまったものです。現代のほとんどの印欧語では “処格” を残していません。ロシア語などのスラヴ語では “前置格” として残っていますが、つねに、前置詞とともに使われるので、純粋に “処格” が残っているとは言えません。英語では、in 〜、at 〜 など、場所を示す前置詞であらわされています。
〓このような古典ギリシャ語の “与格” の用法と照らし合わせてみると、ναυσι- 「ナウスィ〜」 に始まる合成語が、デタラメに造語されたのではないことがわかります。
【 「船に」、「船のために」、「船に向かって」 to ships, for ships の意味 】
ναυσιπέδη nausipedē [ ナウスィ ' ペデー ]
「ともづな、もやいづな」 ← 「船のための足かせ」
ναυσίστονος nausistonos [ ナウ ' スィストノス ]
「船に向かって嘆き悲しむ」
【 「船によって」、「船に乗って」 by ships の意味 】
ναυσικλειτός nausi-kleitos [ ナウスィクれイ ' トス ]
「船々によって名を馳せている、海で名をとどろかせている」
ναυσιπέρατος nausiperātos [ ナウスィ ' ペラートス ]
(川・海が) 「船で渡りうる、船で横断しうる」
ναυσίπορος nausiporos [ ナウ ' スィポロス ]
(川が) 「船で渡りうる」
ναυσιπόρος nausiporos [ ナウスィ ' ポロス ]
「船旅の、船で行く」、「船を駆る、船の速度をあげる」
ναυσιφόρητος nausiphorētos [ ナウスィ ' ぽレートス ]
「船で運ばれる、船旅の」
【 例外 (対格の意味) 】
ναυσιπόμπος nausipompos [ ナウスィ ' ポンポス ]
(風が) 「順風の」 ← 「船を運ぶような」
〓不適格な造語と見られる単語が1つ見えますが、他は、きれいに “与格” の意味を保持しています。
〓ギリシャ語は文語を形成した時期が古く、紀元前5〜4世紀には、日本人もよく知る、ギリシャ悲劇やプラトンなどの著書があります。ギリシャ語の文法は、紀元前1世紀に文語が成立したラテン語と比べると、不規則で、例外的な部分が多く、造語法については、かなり自由な面があります。
〓ラテン語の場合、名詞・形容詞を造語要素に使う場合、ほとんどの場合、語幹を用いるのですが、ギリシャ語では、語幹の他に、主格形、属格形、与格形、対格形、および、古い時代の 「処格形」 を使う例があります。ナンでもあり、といった風情です。
〓実際、
ναυσίπορος nausiporos [ ナウ ' スィポロス ]
(川が) 「船で渡りうる」
ναυσιπόρος nausiporos [ ナウスィ ' ポロス ]
「船旅の、船で行く」、「船を駆る、船の速度をあげる」
については、語幹 ναυ- nau- を使った
ναύπορος nauporos [ ナ ' ウポロス ]
ναυπόρος nauporos [ ナウ ' ポロス ]
という語形もあり、特に 「船で」 ということを強調するのでなければ、ναυσι- は ναυ- でもかまわないことがわかります。
〓逆に言うと、
ναυσι- nausi- [ ナウスィ〜 ] で始まる合成語は、「船のための」、「船へ向かって」、
「船によって、船に乗って」 という意味を、ことさら、強調するときに使うものである
ということがわかります。つまり、「ナウシカアー」 という名前は、「船のための、船へ向かって、船によって、船に乗って」 といった “与格” の意味が含まれていることがわかるのです。
〓ここで、最初の俗説 burner of ships に戻ってみると、「船を燃やす者」 という解釈に、すでに、ボロが出ているのがわかります。つまり、「船を燃やす」 という単語を造語する場合、「船」 は “語幹” ναυ- 「ナウ〜」 か “対格” ναῦν- (単数)、ναῦς- (複数) でなければなりません。(実際には、対格を使って造語された合成語は1語もありません)
〓 burner of ships という説は、「ナウシカアー」 の語末の部分である -κάα -kaā [ 〜 ' カアー ] を καίω kaiō [ カ ' イオー ] 「火をつける、燃やす」 と解釈しているので、だとすると、この動詞は 「対格」 を取らねばなりません。
【 他にもあった 「ナウスィ〜」 で始まる名前 】
〓今度は、少し、別の面から攻めてみましょう。
〓実はですね、「ナウシカアー」 の他にも、わずか3つですが、ναυσι- nausi- に始まる古代ギリシャの名前を見つけることができました。
Ναυσίνοος nausinoos [ ナウ ' スィノオス ] 「ナウシノオス」
Ναυσίθοος nausithoos [ ナウ ' スィとオス ] 「ナウシトオス」
〓この2人は、ギリシャ神話に登場する兄弟で、オデュッセウスと女神カリュプソーの子どもです。ναυσί- nausi- の意味は、すでにOKですね。では、
-νοος -noos
-θοος -thoos
の意味を調べてみましょう。
〓ギリシャ語では、合成語の第2要素に、
「動詞の語幹・語根」 + -ος
というものを持ってきて、「〜する」 という形容詞をつくることができます。英語で言うところの 「現在分詞」、playing, sleeping などの 〜ing 形に相当します。
〓このタイプの造語をおこなう際には、動詞の語幹の母音が ε である場合は ο に交替します。すなわち、
νέομαι neomai [ ' ネオマイ ] 「行く」
↓
νε- ne- ※動詞の語根
↓
νο- no- ※ e を o に変える
+
-ος -os
↓
-νοος -noos [ 〜ノオス ] 「行く(ところの)」 going
θέω theō [ ' てオー ] 「走る」
↓
θε- the- ※動詞の語根
↓
θο- tho- ※ e を o に変える
+
-ος -os
↓
-θοος -thoos [ 〜とオス ] 「走る (ところの)」 running
〓どうですか、実に明快ですね。「ナウシノオス」、「ナウシトオス」 という兄弟は、それぞれ、
ναυσίνοος nausinoos 「船で行く(者)」 ship-going
ναυσίθοος nausithoos 「船で走る(者)」 ship-running
という意味なのです。“走る” というのは、船がスーッと進むようすを言うのでしょう。英語でも the ship is running という言い方をします。
〓ところで、実在の人物にも 「ナウスィ〜」 の名を持つ人物がいます。
Ναυσιφάνης nausiphanēs [ ナウスィ ' ぱネース ] 「ナウシパネース」
〓紀元前4世紀のギリシャの哲学者の名前です。こちらの 「〜パネース」 は動詞から、直接、つくることができません。同じ造語要素を持つ人物に、有名な 「アリストパネース」 Ἀριστοφάνης Aristophanēs がいます。
φαίνω phainō [ ぱ ' イノー ] 「現れる」
↓
φαν- phan- ※動詞の語根
+
-ᾱ -ā 「行為」 をあらわす名詞をつくる接尾辞
↓
φανη phanē [ ぱネー ] 「現れること」
+
-ς -s 「男性主格」 をあらわす語尾
↓
φάνης phanēs [ ' ぱネース ] 「現れる者」
〓接尾辞 -ᾱ [ 〜アー ] が -η -ē [ 〜エー ] に変ずるのは、アテーナイを中心とする アッティカ方言では、ι、ε、ρ (i、e、r) のあと以外では、-ā という音が -ē に変じるというクセがあったからです。
〓古代ギリシャ人の男子名が 「アリストテレース」 だとか 「ソポクレース」 というふうに 「〜エース」 で終わることが多いのは、この方式で造語しているからなんですね。
〓けっきょく、
Ναυσιφάνης Nausiphanēs 「ナウシパネース」 =「船に乗って現れる者」
という名前だとわかります。面白い名前ね。
※2に続きます↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=876313445&owner_id=809109
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